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自立するってどういうことだろう。

今日話していた大学二年生の女の子から、「私、自立したいんです」という言葉を聞きました。

「それってどういう意味?」と聞いてみると、「困ったとき、悩んだときに自己解決できず、すぐに親や友だちに頼っちゃう」とか、「恋愛に依存しがちで...」という答えが返ってきたんです。

あれ、自立ってどういうことなんだろう?

ぼくは生まれてこの方ほとんど実家暮らしでのうのうと生きてしまっているので、そういう意味では全く自立できていません(笑)。でも、彼女が話す自立とちょっとニュアンスが違う気がします。

気になったので調べてみると、自立には以下のような意味がありました。

[名](スル)
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。「自立式のパネル」
出典:デジタル大辞泉(小学館)

なるほど、自立という言葉には精神的な意味と物理的な意味があるんですね。

実家暮らしという話はどちらかといえば後者にあたり、その大学生の子が目指しているのは前者にあたるということはわかってきました。ここからは、”精神的な自立“という定義を前提に書きます。

では、どういう時に自立できていないと感じるのでしょうか。彼女は、人に頼り、依存していることに負い目を感じていました。つまり、”精神的に誰かに依存している”ことを、自立していないと認識していたのです。

ここまで考えてみて、「”精神的に誰かに依存している“ことは、果たして負い目に感じるようなことなのだろうか?」という疑問を持ちました。

例えば、チームで何かを進める時に「自立しているから俺は誰にも頼らない」と言って頑張ってみたはいいものの、やりながら悩みが膨らんでパンクしてしまい、結果的にやりきれない人がいたとします。

それだったら、早いうちからアラートを挙げて、「私はこれができないから、助けてほしい」「どうしたらいいかわからないから、悩みを聞いてほしい」と素直に言えるほうが、結果的に成果に繋がると思うしチームにも貢献できます。

つまり、精神的に依存できる人の方が良い場合もあるということです。

そう考えると、”精神的な自立“という言葉には、表と裏がありそうだなと考えました。多分、良い自立と良くない自立があるんだと思います。

思うに、視点の行き来できる人こそ良い自立なのではないでしょうか。

短期・中期・長期的に視点をずらし、何の選択をするのがベストなのか。

自分・チームメンバー・先輩・社会と視点を変え、最適解はなんなのか。

そうして人に頼ったり、ときには自分でなんとかしたりしながら物事を進めていくことが良い自立なんだと思いました。

逆に言うと、ある一定の視点に固執し脇目もふらずに突き進むというのは、色んな可能性を考えられていないので、違った方向に物事を進めてしまったり取り返しのつかないことになったりと、良くない自立をしているのかもしれません。

人に弱みを見せられる、というのはとても素敵なことだと思います。人を信頼していないとできない行為だし、素直さを感じられるので、その人のことを信頼したくなります。

もちろん、弱音を吐いて何もしないだけでは困るけれど、視点を行き来させながら物事を進めていける上での依存であれば、むしろ自立しているとも言えます。

「自立したい」と話してくれた大学生の子には、依存していることを負い目に感じず素直に突き進んでほしいし、ぼく自身もいろんな人とゆるやかに依存しあえたらいいなと思いました。

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