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心がざわつく日常のなかで心をシンプルに保つ方法

不幸なことが起こると、たいてい複数の不幸が同時に降り掛かってくる。

不幸を不幸と認識しはじめると、日々の事象のなかに潜んでいる不幸がカラーリングされて、不幸が続いているように見える、もしくは不幸を意識しすぎて心が不安定になりネガティブに過大解釈をしてしまうのかもしれない。どちらにせよ、不幸だと感じる時間が続くとなかなかテンションは上がらないよね。

そんな心がざわつく日々を過ごしていたので、なんとか現状を打破しようと一冊の本を手にとった(正確には電子書籍なのでこの表現は適切ではないが)。その名も『反応しない練習』。表紙には「あらゆる悩みが消えていくブッダの超合理的な考え方」と書かれていた。”悩む”という前進のない状況を、”考える”という前向きな行為によって打破する姿勢に興味を持ったので、ぽちってみた。

反応しないことこそ、勝利

タイトルどおり、この本に敷衍しているのは「反応しないための対応策」。ブッダの考え方に即して、とても実用的な思考法が説明されている。どんな悩みにも悩んでいる原因があり、それは必ず解決できる、というある種楽観的な、とはいえ現実的な考え方が示されていた。

そもそも心には求め続ける性質があるのだから、それを前提として受け入れて不必要に心を反応させずに合理的に考えればいい。そのためには、自分が何を感じているのかを言語化し感覚を意識し、それがどんなカテゴリーのものなのかを整理していけば悩みというものが煩悩、つまり承認欲求や妄想、怒りなどから来ているとわかる。それらを求めてたところで何も生まれないので、合理的に考えて悩む必要性がない、といった論理展開で悩みを解消するのがブッダ流らしい(ひとつひとつ照らし合わせて書いていないので、ちょっと違ったらごめんなさい)。

「そう思えれば素晴らしいけど、なかなかな...。」と思わざるを得ない説明が続いたが、そのあとに膝を打つ考え方があって、それは外部の働きかけ(社会、他者、仕事など、自分以外のすべて)に対して判断せずに「心を前と後ろに分ける」ことで反応しないというものだった。

どういうことかというと、前の心はただ相手を見て理解するだけに努め、後ろの心は理解したあとに自分がどんな反応をしているのかを言語化し、感覚を意識して消化することでムダな反応を防ごうというもの。

この概念を知ったあとに実際に試してみると、驚くほどに日々自分がムダな反応をしていたかがわかってしまった。

通勤はムダな反応で溢れている。

毎日電車通勤をしているのだが、何も意識せずに会社に向かうだけで、イライラしてしまう外部の働きかけに出会ってしまう。

1. 混雑している車内なのに、押してくるおじさんにイライラ
2. 音漏れしている若者にイライラ
3. 改札でSUICAの残金がないがために人の流れを止めてしまう人にイライラ

こういった人に遭遇したとき、声に出しはしないものの内心で「この人、むかつくな...」と感じていた。小さいことを合わせると、たぶん毎日ベースで起きている気がする。

通勤時間って不思議なもので、あんなに人の中に溶け込んでいるのに自分が社会に出ている感覚が全然なくて、眠さにこっくりしたり、動画や音楽を楽しんでいたり、本を読んでいたりしているので、意識が外部に向いておらず自分の世界に入り込んでいる。だからこそ、ふとした外部からのムダな働きかけに、よけいに敏感にイライラしてしまうんだよね。

そういった外部からの働きかけに対して心を前後に分けてみると、自分の処理の仕方は大きく変わる。

1. 混雑している車内なのに、押してくるおじさんにイライラ
→(前の心)観察
→(後ろの心)「確かに、目の前に電車が来ていたら少しくらい押してまでも乗りたいよなー」

2. 音漏れしている若者にイライラ
→(前の心)観察
→(後ろの心)「自分がどれだけ音漏れしているかなんて、イヤホン外して確認してみないと気づかないよなー」

3. 改札でSUICAの残金がないがために人の流れを止めてしまう人にイライラ
→(前の心)観察
→(後ろの心)「定期が切れているのを忘れていたのかな、それともセブンの春巻きがおいしいからっていっぱい買っちゃってチャージするの忘れていたのかなー」

前の心では、その現象を観察して判断はせずに背景の理解に努める。そして、後ろ側の心で理解した状況を言語化する。「一瞬イラッとするけどおれもやったことあるし、みんな悪気があってやっているわけじゃないんだもんな」と落とし込めると、イライラはいつのまにか消えてなくなる。

これを心がけるだけで、だいぶ心がすっきりするし、ちょっぴり大人になれた気がする。「そんなことじゃおれはイライラしないぞ」と言わんばかりに。

心をシンプルに

イライラするのは脊髄反応みたいなものなので、誰もが実感として感じているものだと思う。でも、合理的に考えて処理することで心の平穏を保てる。

たぶんだけど、日々のイライラって閉めきれていない蛇口からこぼれ落ちる水滴みたいに知らぬ間にコップに溜まっていて、蛇口を開いた瞬間に一気に溢れ出してしまうものなんじゃないか。だったら、日頃からきちんと蛇口を閉めて、ポタポタとこぼれないようにしておいたほうが合理的だし、エネルギーの節約ができると思うんだ。

心をシンプルに保つことを習慣づけられれば、仕事とか人間関係でなにかあっても、一喜一憂せず淡々と対処できるようになる気がしている。ここからはまだ実感を得ていないので、明日から検証してみようと思う。

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