What does "Paris" mean to me.
憧れのフランス、パリに来ています。
前もFacebookで投稿しましたが、フランスに来ることが人生の夢でした。100回以上はパリにいる夢を見ているし、自分が生きるモチベーションがフランスにあったといっても過言じゃありません。
夢だからこそ簡単には叶えないほうがいいと思って、学生時代はあえて行っていませんでしたが、最後の最後に思い切って行っちゃうことを決めてから、もうわくわくが止まらなくて。自分がいまパリにいることがマジで信じられません。
パリへ向かう飛行機の中で、なぜフランスに行くことが夢だったのか、これまでの自分にまっすぐ向きあって10時間くらい考えました。
幼稚園から振り返ってみると、その理由が自分の中では腑に落ちました。同時に、過去を振り返りながら、ぼくは本当に色んな人に後押ししてもらい、助けられて生きてきたんだなあということを。
海外志向の萌芽と親への感謝
ぼくの海外志向の芽生えは小1のとき。地球儀を買ってもらったことで、「なんて世界は広いんだ」と月並みですが衝撃を受けたのを覚えています。小2のときに国旗図鑑を図書室で借りたら先生に褒められたことで海外への好奇心がかきたてられました。
転機は小4のとき。鬼武者3というパリが舞台になっているゲームをやってフランスを認知し、後々ゲームの中の世界が実在していると知った時は衝撃でした。その時から、「ゲームの中のあの世界に行ってみたい」と思いはじめ、パリに行くことが夢になったんです。なので、理由はロケ地巡りしたい、くらいの感じです(笑)。小学生の頃からミーハー加減は変わらないw
この辺の原体験的なことを振り返っていたら、実は海外志向ゼロの両親からの影響が大きかったんだなということを再認識しました。地球儀を買ってもらったのはもちろん親からだし、鬼武者3というゲームをやっていたのも、あんまり深いコミュニケーションを取れていない両親とのコミュニケーション手段だったんだなあと、今振り返ると思います。
正直な話、ぼくは親との関係に対して良さも悪さも感じないくらい、普通の関係性であることに、逆にもどかしさを感じていました。すごい仲良いわけではないし、かといって反抗期もないし、やりたいことを反対された記憶はないし、かといってこれやりなよと勧められた記憶もほぼない。
自分は、親から影響を受けずに自分で世界を広げていったものだと、つい最近まで思っていました。でも、自分の過去を紐解くと多大なる影響を受けていることを、今更ながら思います。ほんと、幸せ者です。
こういったことを直接親に伝えるのはまだ恥ずかしいですが、社会人になってしばらくしたら、感謝を込めて香港か台湾旅行を親にプレゼントしようと企んでいます。ひとまずそれをマイルストーンにこれからも頑張ろうと思っています。
色んな人からの後押し
飛行機の中でフランスに行きたかった理由、ならびに過去を振り返る中で、両親以外にも本当に色んな人にお世話になりまくっていたことがわかり、多幸感に包まれました。就活の時に自分に向き合いまくっていたはずなのに、その時よりも純粋に自分のことを書き出すことができ、素直な欲望や感謝が溢れてきたんです。他のだれでもない「磯部俊哉」という人間に生まれることができてよかったなあと思えたのは、自分でもびっくりでした。
これまで、たくさんの転換期が色々ありまくるのですが、ひとつ大きいのは高3のときの東南アジア一人旅でした。
最初に東南アジアの中でベトナムを選んだ理由もフランスにあります。歴史的背景からフランス文化が残っているので、フランスまで行かなくても安くフランスを味わえると思ったからです(笑)。へんてこな理由ですが、当時は本気でそう思ってハノイ行きのチケットを取りました。
いまでこそ、高校生のときから海外に行く人はざらにいますが、当時ではわりとレアだったので、日本人と会う度に驚かれました。その時、現地でいろんな価値観を持った人たちと出会い、ずっと自分の課題であった社交性・人見知りといった性格を直すことに成功したんです。
昔、記事で書いています。→ http://travelersbox.jp/column/3147
ここから色んな行動を起こせるようになり、大学時代は色々なことにチャレンジできました。サークルの立ち上げ、アセナビ、海外インターン、国内インターン、イベント主催などなど。書ききれないほどの体験をできたのは、ひとえにいろんな機会を与えてくれた大学やサークルの友だち、アセナビのみんな、フランジアやグッドパッチの皆さん、kokokaraで関わった皆さん、その他関わってくれた全ての方々には感謝しかないです。
人を好きになる感覚
色んなことに手を出してそれなりに成長していたと思いますが、もうひとつ忘れられない転機は去年のアジアツアー。
友だちに言われた「人を好きになる」ということについて、強烈に痛感したのを覚えています。色んなチャレンジをしても何か満たされない、自分に自信ない自分でしたが、好きと尊敬の共存という概念を取り入れることで、人と接することが本当に楽しくなったんです。うわべじゃなくて、人の内面が好きという状態になれました。感情表現が苦手だったけど、恥じらいや他者フィルターをなくし、自分でいられることが楽しくて。
そこからは、自分の殻を破り、ありのままでいつつ飲み会ではっちゃけたり、クラブに行ったりと、今までできなかったことがどんどんできるようになりました。パリに来る前は台湾にいたのですが、ずっと尊敬していた人から「学生時代を、ありがとう」と言ってもらって、Uberの中で号泣したのは、心を持てた証拠なんだと思えました。
感謝
自分の色んな行動の原点であるパリに向かう途中で、自分と向き合い、自分の人生に関して心から肯定感を持ち、周りに感謝できたのは、本当に嬉しくて、だれのためにもならないけど、自分のために文章にしちゃいました。
ぼくにとってパリとは、自分の原動力であり、がんばる理由だったのかもしれません。これまで自分と関わってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
4月から社会人になりますが、この感動と感謝、多幸感を忘れずに次のステージへと行って、今度は色んな人のきっかけを与えられる存在になれるように精進します!!
では、パリ観光行きます!!!
(ここまで言っておいてパリ嫌いになったらウケるw)
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