概念のぶつかり合い

概念と概念がぶつかり合う感覚を感じている。

例えば「主体性」について。マネジメントをしていて、メンバーに対して主体性を求めたくなる気持ちが自分自身もある。細かいことに対して悩まずに自分の頭で考えて前に進めてほしい。もし判断を仰ぎたい場合は課題と論点と選択肢を用意した上で来てほしい。求めすぎなのかもしれないけれど。

だから自分がマネジメントされる側に立ったときは自分も主体的でありたいと思って、なにか提案するときや問題点について相談する際、なるべく自分の頭で一通り考えた上で会話するようにしている。

とはいえ、主体性が行き過ぎると自分勝手の概念に突入してくる。もし僕が仮にメンバーに対して主体性が大事だ、というメッセージだけを発信して具体的な状態とか背景とかをきちんと伝えきれていなかったとしたら、自分が意図する主体性には導けないのかもしれない。

柔軟性を持とうという話があったとする。自分の意見に固執し外部の情報を受け入れられずに困るという事象があったからだ。今度柔軟性が行き過ぎると、外部の情報に振り回されてしまい自律性が失われてくる。

なにか抽象度の高い概念だけを切り出して偏重すると、概念のぶつかり合いが起きて論理が崩壊する。

内容の薄いコンテンツを浅い理解のまま読んでしまっていると、もしかしたら抽象度の高い概念ベースで「記憶」しているだけになるかもしれない。そうするとなにか大事にしようとした概念が閾値を超えた段階で別の概念のぶつかり、逆効果をもたらす。

主体性という言葉を使うなら、具体的にどんな状況下での主体性を期待するのか、何かしらの制約条件の中でのみ発動することを伝える必要がありそうだ。制約ないところにクリエイティビティが生まれにくいように、抽象的な概念を用いるときは、一定の状況下においてという前提条件付きなんだと思う。

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