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人生の取捨選択について

人生は取捨選択の連続だ。

今日は何を食べて
どんな音楽をかけ
どんな言葉を使って話をしようか。

意識しなくとも人はいつだって選択に追われいてる。

これまで、大なり小なり多くの選択をしてきたが
選択ばかりをしていても、手持ちがいっぱいになるので
必然的に何かを手放し切り捨てることも出てくるであろう。

近頃は、何を選択し何を切り捨てなければならないのか
夜通し頭を悩ますが、決まって解決はせず結局その場凌ぎの毎日である。

取捨選択をする事柄が大きければ大きいほど
やはりそれらは私の前に大きな壁として立ちはだかるのである。

どんなタイミングで何を選択し何を切り捨てるか、
何を優先すべきで何を後回しにするべきなのか。
結局、私が大切にしていることは何なのか。

人はやりたいことをやればいいと声高々に謳うが
やりたいことなどまったくをもって存在しない。

強いて言えば、引き締まった健康的な身体と、たまにの旅行、
疲れたときのコンビニスイーツ、心躍る自分だけの空間・・・
そんなものたちと、ただ静かに生きていたいだけなのである。

にもかかわらず、それらさえも許してもらえない現状には
不安が募るばかりで

唯一の取り柄といえば、
後先を考えずに行動できるいい加減さとわがままさであったが、
もちろんそんなものは社会で通用しないし、健気でかわいいなんてもってのほか
憎たらしいまでもあるので
揉み殺されて当然なのだ。(最近はもっぱら予定管理が趣味なまである。)

きっと、こんなことを綴っても答えなんて見つかりやしないし、
明日も目が覚めたら、この億劫な感情がすべて晴れて
穏やかな日々を過ごせたらなど、叶いもしない夢を想像しながら
その場凌ぎの眠りにつくだけなのである。

それでも、私はここまで多くの取捨選択をしてきた。
これは紛れもない事実である。
上述では、後先考えず・・・などが取り柄とも言ったが、
本当はとても不安だったときもあっただろう。
怖気付く気持ちを抑え込み
勇敢に取捨選択を繰り返してきたのだ。

それであれば、今はゆっくり流れに身を任せることも悪くない
のではないだろうか。
ここまで走り続けてきたゆえ、きっと休息も水分補給も
栄養摂取も必要である。
きっちり、準備が整ったらまた走りだしたくなる日がきっとくる
のではないか。

若さは一瞬であるが、何もそんなに急がなくても良いはずである。
皆は今、長い休息を得て走り出しているだけなのであれば
なんら焦る必要はないし、
もっとも、どのタイミングでどう走り出すのか、
はたまた、休息をとるのかは
個々の選択に委ねたれているのだから。

いつか走り出したくなるその日まで、
明日からは、きっと心地よい取捨選択ができる日々を流されるままに。


2024.3.11 Mon




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