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わかる ホセイニー/アーシューラー #4

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چارشی‌زاده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月4日


マッカへのイマーム フサインの旅立ち


教師の皆さんにお願いがあります、イマーム フサインの蜂起をその最初からヒジュラ暦の月暦に照らし合わせて黒板に描いてください。学習者がイマーム フサインの行動を各月ごとに物語を追うように理解できるでしょう。
イマーム フサインの蜂起に照らした月暦は最初から順に、ラジャブ月、シャアバーン月、ラマダーン月、シャッワール月、ズィカアダ月、ズィヒッジャ月、ムハッラム月、サファル月となります。そして残りも順に、ラビーウルアッワル月、ラビーウルアーヒル月、ジュマーダルウーラー月、ジュマーダッサーニー月です。(図1を参照)
 
イマーム ハサンが殉教した際にイラクのシーアの人々はイマーム フサインに「我々はムアーウィヤをカリフとして認めておらず、あなたに忠誠を誓います」という内容の手紙を書きました。イマーム フサインはその時節を適時とはなさらず、彼らの申し出を断り、辛抱するよう命じられました。ヒジュラ暦60年ラジャブ月の中頃の夜中にムアーウィヤがこの世を去りました。その息子ヤズィード(アッラーの呪いが降り注がれますよう)がその後継者としてカリフ位に就任すると、彼はワリード ブン ウトゥバ ブン アブースフィヤーン(教師の皆さん、もしイマーム フサインの蜂起における各地方の重要な総督府、たとえばクーファではムスリム派遣前にはヌウマーン ブン バシールが総督でしたが派遣後にはウバイドゥッラーブンズィヤードが総督に任命され、マディーナではワリードが治めていた…を黒板に書いてくだされば、学習者にとってベターです)に手紙を書きました。そこにはマディーナ総督に以下の四人から忠誠の誓いをとるよう命令が記されていました:
①アブーアブドゥッラー アル=フサイン(イマーム フサイン)
②アブドゥッラー ブン ウマル
③アブドゥッラー ブン ズバイル
④アブドゥッラフマーン ブン アブーバクル(信頼ある伝承がない)(最初の三人を学習者に紹介して、残りの1人は不詳としてください)
ワリードにはマルワーンという名前の相談役がいました。マルワーンにワリードが相談するとこう返事が返ってきました:この中の数名はムアーウィヤが死んだことを知りません。彼らを招聘してヤズィードに忠誠を誓わせ、もし拒めば殺しましょう。
 
ワリードは預言者の哀歌の集いに参加していたこの三人に招聘の遣いを送りました。遣いがイマーム フサインのもとに来るとイマームは仰いました「家に戻りましたらワリードの招待を受けましょう」ワリードの遣いは引き返すと、アブドゥッラー ブン ズバイルは言いました「ワリードの招待は時宜を得ません、どうですか!アバーアブディッラー(イマーム フサイン)あなたはどう思われますか?」イマームは仰いました「横暴なムアーウィヤが死んだと見ます。そしてワリードは我々から忠誠の誓いをとるために招聘したのでしょう」
アブドゥッラーは言いました「私は決して忠誠を誓いません」
イマーム フサインは自宅へ戻られると30人の家の者を武装させて引き連れてワリードのもとへ向かいました。そしてワリードの城のもとで仰いました「あなた方はここの門の前で待機していてください。もし私が叫んだら入ってきてください」そしてイマームは城の中へと向かわれました。

وَجَلَّتْ وَعَظُمَتْ مُصِيبَتُكَ فِي السَّمَاوَاتِ عَلَىٰ جَمِيعِ أَهْلِ السَّمَاوَاتِ

 

図 1.イマーム フサインの蜂起のフローとヒジュラ暦および西暦を併記した年譜



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