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わかる ホセイニー/アーシューラー #11

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چاوشی‌زاده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月11日


前回のあらすじは、ムスリム ブン アキールがクーファに到着して間もなくイブン ズィヤードがクーファ総督として恐怖政治を始めたところでした。

クーファの人々はムスリム ブン アキールに身を寄せることを恐れました。ムスリムはハーニー(ハーニー ブン ウルワ[1]はクーファの長老かつシーアの名士で、殉教した際には89歳でした。名を馳せた人物で司令下におく四千人の甲冑兵と八千人の歩兵を有していました)という名の長老の家の門までやって来ると、用があると名乗りました。ハーニーが門から出てくるとムスリムは仰いました「私はあなたのもとにやって来ました。私を庇護してあなたの客人としてください」ハーニーは答えました「私に難題をお課しになりますなぁ。私を頼ってくださる人を手放して追い返すほど人としての温もりは失せてはおりませぬ」それからムスリムはハーニーの家に入ったのでした。

ムスリム ブン アキールがハーニーの家にいるとき、クーファのシーアたちが隠れてムスリム ブン アキールのもとへと次々やって来ては彼に忠誠を誓いました。その頃、イブン ズィヤードはムスリムがどこに隠れているのか定かではありませんでした。ですから密偵を放つことでムスリムがハーニーの家にいることを彼は突きとめたのでした。

それからイブン ズィヤードはハーニーを連れてくるよう数人を遣わしました。ハーニーが連れてこられると言いました「いいか、ハーニーよ!家でこっそり企む騒乱は何のつもりだ!ヤズィードを裏切ったなぁ貴様!ムスリム ブン アキールを家に匿っているだろ?!」

ハーニーは答えました「私はムスリムを招待などしておらず、家に連れてきておりませぬ。むしろ、彼のほうから仕方なく私の家にやって来て庇護を求められたので、彼を家から放り出すことを恥ずかしく思ったのです。さあ、私を放免してくだされ、さすれば彼を家から追い出して、彼はどことでも気が向くところへ行くでしょう。

イブン ズィヤードは言いました「唯一のカミサマに誓って、やつを我のもとに連れてくるまで貴様を解放するわけにはいかぬ」

ハーニーは答えました「唯一のカミサマに誓って、決してそうはならないでしょう。この私が客人を手にかけるかもしれぬ貴殿に引き渡すとでも?!」

するとイブン ズィヤードは語気を強めてムスリムを連れてくるよう主張するも、ハーニーははぐらかしました。

イブン ズィヤードは近辺の者たちと話し合った後で、ハーニーを脅迫して言いました「唯一のカミサマに誓って、もしムスリムを連れて来ぬなら、貴様の首を刎ねてくれよう!」

وَلَعَنَ اللّٰهُ آلَ زِيادٍ وَآلَ مَرْوانَ، وَلَعَنَ اللّٰهُ بَنِي أُمَيَّةَ قاطِبَةً



[1]. هانی بن عروه.

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