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わかる ホセイニー/アーシューラー #16

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چاوشی‌راده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月16日

イマーム フサインの軍隊へやって来た騎兵らのひとりがイマームに申し上げました「私にはあなたの軍隊が多いとは思えません。私がクーファを出る前に大軍団を見ました。兵士らをイマーム フサインとの戦いに派遣したい、そう彼らは言っていました。ヤブナラスーラッラー![1]もしできれば、クーファに近づかれませぬように」

道中、イマームはクーファを知る大変多くのクーファからやって来た人々とお会いになりました。ある日の朝、イマームは夜明けの礼拝[2]を行ったあとにフッルの軍団と離別するために自身の同伴者を遣わしました。しかし、フッルの軍団は邪魔をしてイマームの軍隊をクーファから逸らそうとしました。そしてニィナワー、つまりカルバラーの地に辿り着きました。それと同時にクーファからの早馬がフッルの方へと駆けていき、書簡をフッルに手渡しました。イブン ズィヤードがフッルに宛てた手紙にはこう書かれていました「フサインに対して厳しく理不尽に接するように。私の使者から貴殿が手紙を受け取った際には、フサインらを水も入手できそうにない片田舎の荒野に連れていくのだ。私の使者はいつでも貴殿のそばにいて、私が命じたことの進捗を報告するだろう」

その手紙をフッルはイマーム フサインとその同伴者たちに向けて朗読すると、水のない片田舎の荒野であったまさにこの場所で、イマームに対して道を閉ざして理不尽に厳しく対応したのでした。

アブーアブディッラー(イマーム フサイン)がカルバラーの地に降り立ったのは、ヒジュラ暦61年聖なる[3]ムハッラム月2日でした。その地に着くとイマームは同伴者たちにお尋ねになりました「この地は何という名前ですか?」彼らは「カルバラーと呼ばれています」と申し上げました。

イマームがカルバラーの名を聞くと仰いました:

اللهم انی اعوذ بك من الكرب و البلاء

あぁカミサマ、私はあなたに避難します

悲哀と災厄から

それから続けて仰いました:

「ここはカルブ(ひどく深い悲哀)とバラ―ゥ(ひどく困難な災厄)そして苦しみの場なのです。降り立つのです、ここが我々の住処であり宿営地です。我々が血を流す場です。この地が我々の墓場となるでしょう。唯一のカミサマからの御使いである私の祖父がこれらのことを伝えました」

それからイマームの同伴者たちはその地に足を踏み入れたのでした。

اللّٰهُمَّ اجْعَلْنِي عِنْدَكَ وَجِيهاً بِالْحُسَيْنِ عَلَيْهِ السَّلاٰمُ فِي الدُّنْيا وَالآخِرَةِ، يَا أَباعَبْدِاللّٰهِ،

あぁアッラーよ!フサイン(彼にサラーム)(が持つ権利)により現世でも来世でも私をあなたに相応しい者としてください、

あぁアバーアブディッラー(イマーム フサイン)



[1]. یا بن رسول‌الله. あぁアッラーの御遣いよ、という意味。

[2]. صلاة الفجر. 黎明の礼拝。日が昇る前の夜明けに行う。義務である一日5回の礼拝のうちの1つ。

[3]. ヒジュラ暦そしてアラブの暦にあった四つの禁じられた月 شهر حرام، اشهُر الحُرُم を示す。この月になると争いごとや戦争が禁じられる慣習がもとよりアラブにはあったが、それをイスラームが承認する形でイスラームに引き継がれることとなった。ここでの戦争や争いとは侵略行為であり、防衛戦は常に義務であることに留意されたい。

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