見出し画像

わかる ホセイニー/アーシューラー #15

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چاوشی‌زاده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月15日

以前お話した通り、セイエド ッ=シュハダー(イマーム フサイン)はヒジュラ暦60年シャアバーン月3日に敵対者たちの危害から身を守るべくマッカへ移動すると、シャアバーン月、ラマダーン月、シャッワール月、ズィカアダ月の期間そこに滞在しました。そしてズィヒッジャ月、ハッジ巡礼のためのイフラーム[1]の布をイマームは身にまといました。しかし、ハッジ巡礼を言い訳にヤズィードからの一団がイマームを連行する、あるいは殺すために訪れていました。イマームは周囲に悟られずに彼らの意図を読みとり、タワーフ[2]をしてサファーとマルワの丘を周回する[3]とイフラームの状態を解いて、イラクへと旅立たれました。

ある日の夜明け前に、イマーム フサインは若者たちに水をたくさん汲んでおくように指示しました。半日の時間を水汲みに費やすと再び旅路に戻りました。あるところまで来ると同伴者のひとりがタクビール[4]を叫びました。それを耳にしたイマームはお尋ねになりました「タクビールを上げて、なにを見たというのでしょう?」ある同伴者たちは声を上げました「軍団の証である数多くの馬の頭が見えるぞ」時を待たずにフッル ブン ヤズィード リヤーヒー タミーミー[5]が千人程の騎馬兵団を伴って姿をあらわにしました。そして厳しい暑さのなか、イマーム フサインの数十人の兵団に対峙して並びました。イマーム フサインはフッルの同伴者たちの様子からのどの渇きを察すると、若者たちに彼らやその馬にも水を与えるように指示しました。彼らに十分な水を与えたうえで数多くいた馬にも樽や桶で水を運びました。時刻は正午の礼拝にせまっていました。礼拝に立つ時刻になるとセイエド ッ=シュハダー(イマーム フサイン)は革のサンダルと外套をまとって両軍の間に立ちフッルに仰いました「お望みでしたら、あなたも自身の軍団と一緒に礼拝しなさい」

フッルは答えました「私はあなたの後ろについて礼拝します」

それからイマームは前方に立つと両軍ともにイマーム フサインと共に礼拝しました。その礼拝のあとには両軍とも自分たちの持ち場に戻りました。そしてアスル[6]の礼拝もこれと同じように行いました。

礼拝後、イマーム フサインはフッルの軍団の方を振り向かれるとフトバ[7]を述べられました:
アイユハンナース![8]もし、真実の(正当な)人々の権利をご存じでしたら、カミサマはあなた方によりご満悦となるでしょう。我々は預言者の一門の人々であり、カミサマから託された使命を賜っており、より相応しいのです。もし迷誤と無知に固執し続けて、あなた方が私宛の手紙に書いたことから意見を翻すのでしたら、心配ありません。

フッルは返事をしました「唯一のカミサマに誓って、あなたが仰っているこれらの手紙を私はまったく存じ上げません」

イマームは手紙の束が入った籠を持ってくるよう指示しました。フッルはそれを見ると口走りました「私はあなたに手紙を書いた人たちから遣わされたのではありません。あなたに謁見し、あなたから離れないように、そしてあなたをクーファのイブン ズィヤード総督のもとにお連れするために任命されたのです」

それからイマーム フサインはお怒りになり仰いました「死があなたに近づきましたよ」その後、イマームのご見解により同伴者や女性たちに対して騎乗して出発するようお命じになりました。なぜなら引き返したかったからです。フッルは軍団を駆使してイマームたちの行く手を阻み、妨害しました。それから暫くして、クーファからやって来た四人の騎兵がイマーム フサインの軍隊に向かってきました。

イマームは尋ねました「私が派遣したカイス ブン ムサッハルについて何か報せはありますか?」

彼らは返答しました「その者を捕縛してイブン ズィヤード総督のもとに連行しました。そして、あなた様とあなたのお父様を呪い罵倒するよう総督は彼に要求しました。しかし、彼はイブン ズィヤードとその父を(言論による防衛戦のために[9])風刺して呪ったため、イブン ズィヤード総督の命令により彼は城の屋上から投下されて亡くなりました」

イマームはその報せを耳にすると涙をその瞳から流し、クルアーンの節を朗誦なさいました:…。

وَأَكْرَمَنِي بِكَ، أَنْ يَرْزُقَنِي طَلَبَ ثارِكَ مَعَ إِمامٍ مَنْصُورٍ مِنْ أَهْلِ بَيْتِ مُحَمَّدٍ صَلَّى اللّٰهُ عَلَيْهِ وَآلِهِ



[1]. .الإحرام ハッジ巡礼をする者がまとう白い二枚の布を着てニイヤト(意図)を持ちタルビヤ التلبية という文言を言ってその状態になる。タルビヤの文言:«لَبَّیكَ الّلهُمَّ لَبَّیكَ، لَبَّیكَ لاشَریكَ لَكَ لَبَّیكَ، إنَّ الْحَمْدَ وَ النِّعْمَةَ لَكَ وَالْمُلكَ، لاشَریكَ لَكَ لَبَّیكَ»

[2]. .طواف

[3]. السعي بين الصفا والمروة タワーフも同様だがイマーム フサインのハッジ巡礼の手法とその際の意図を巡りイスラーム法学や歴史、伝承学の観点から専門家たちの間で意見の相違がある。

[4]. .تکبیر アッラーアクバルと言うこと。

[5]. .حر بن یزید ریاحی تمیمی

[6]. .عصر 夕方という意味。

[7]. .خطبه 説教、演説、スピーチという意味。

[8]. .ایها الناس いいですか(目の前にいる)皆さん、という意味。

[9]. .هجو 風刺による防衛戦。単なる悪口や罵倒 سبّ とは異なる。預言者の時代から حسّان بن ثابت や ابن رواحه などの詩人による風刺は行われており(تفسیر منهج الصادقین، ج ۶، ص ۴۹۵)、宗教的真実やイスラームの根幹を言語と表現で擁護することは重要な防衛戦である。現代では言説によるジハード(奮闘努力)جهاد تبیین がハーメネイー師をはじめ世界中のイスラーム指導者たちから発せられている。メディアや言論における防衛戦が現代において最も注力すべき分野であるべき理由は、西欧諸国のマスメディアにおける予算やその対策費用の額を参照すれば明らかである。

いただいたサポートで、日本人のイスラーム研究を応援します!