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ゲティア問題への1つの解答


慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって
おぉ、アッラーよ!祝福くださいムハンマド様を
そして彼の御一門の人々を
そして彼らの救済を近づけてください

はじめに

・我々人間が知覚したり理解する認識の土台は一体何でしょうか?
・知識、knowlege、معرفتとは何でしょうか?
・認識する手法には何があるでしょうか?
・自身の空腹、のどの渇き、喜怒哀楽を疑う余地があるでしょうか(精神疾患や病気の影響は除く)?それらは経験的手法(五感での知覚)と同じ認識でしょうか?
・経験的手法は内在する論理的推論 قياس خفي 抜きに成立するでしょうか?
・・・
などなど、認識論の問題は東洋から西洋、古代から現代まで幅広く議論され数多くの思想や学派が誕生しました。

イスラームの碩学たちの間でも、認識論は古くから研究されて論理学やイスラーム哲学、つまり存在論、そして信条学や神学との関連で欠かせない話題です。

西洋では確証 یقینیات を経験論に内在する論理的推論手法 قياس خفي に着目しない、あるいは見落とした形での経験論に依るのが主流です。

今回のテーマ「ゲティア問題」とは、
認識論研究の分野で長年議論されている難問の1つです。

これのなにが重要か?というと、
人が何かを知っている
人が知識を有する状態について
プラトン
から続く従来の考えに反例を示したことです。

この問題の鍵は「確証 یقینیات」の理解にあるのですが、
まずはこの問題から知ることにします。

ゲティア問題とは

ゲティア問題とは、知識 knowlege معرفت の定義を覆す反例のことです。

プラトンの時代から現代においても、知識とは「正当化された真なる信念(en:Justified true belief=JTB)」と定義されてきました。イスラーム世界でもこの定義が広く受容されており、アラビア語やペルシャ語では「باور صادق موجّه」と呼ばれます。

この知識の定義を覆す問題とは、エドムント・ゲティア(en:Edmund Gettier)が1963年に上梓した3ページからなる論文『正当化された真なる信念は知識か』(Is Justified True Belief Knowledge?)に負っています。

知識とは?

知識 knowlege معرفتとは、「正当化された真なる信念」であるとプラトンから現代まで踏襲されています。これを英語で表記すると「Justified True Belief」なので、その頭文字をとって「JTB定式」と呼ぶようです。

アラビア語やペルシャ語では「باور صادق موجّه」と表記しますが、
・信念=باور
・真なる=صادق
・正当化された、説明理由づけされる=موجّه
に対応しています。

JTB定式によれば、ある命題について、

(a)その命題が信じられている
(b)その命題が真である
(c)その命題を信じる人が信じるに足る理由を持つ
これら3つを満たす場合のみ、
つまり「正当化された真なる信念」が「知識」と定義されます。

なにが問題か?

では、この「(a)かつ(b)かつ(c)が知識である」は本当に正しいでしょうか?
たとえば、Aさんが時計を見て 12 時を示している場合、Aさんはそれが 12 時であると信じています。ですがAさんは、この時計が 2 日前に壊れたことを知りません。しかし偶然にも、Aさんが時計を見ると、時計は 12 時を示しており実際の時間も 12時 でした。この場合、Aさんが本当に「12時」を知っている と認めていいのでしょうか?

では、検討してみましょう。
まず、
(a)その命題が信じられている、ですが、
「Aさんが時計を見て 12 時を示している場合、Aさんはそれが 12 時である」という命題を信じています。よって問題ありません。

次に、
(b)その命題が真である、ですが、
その人が「Aさんが時計を見ると、時計は 12 時を示しており実際の時間も 12時 でした」とあるので命題が真であることが分かります。よって問題ありません。

最後に、
(c)その命題を信じる人が信じるに足る理由を持つ、ですが、
Aさんが時計を見ると、実際の時間も 12時だという事実から、Aさんが時計を見て 12 時を示している場合、Aさんはそれが 12 時であると信じるのですから、信じるに足る理由を持ちます。よって問題ありません。

よって、JTB定式の
(a)その命題が信じられている
(b)その命題が真である
(c)その命題を信じる人が信じるに足る理由を持つ
これら3つを満たすので「正当化された真なる信念」となりAさんは「知識」を持つと定義されます・・・となりそうですが、
実際には、この時計が 2 日前に壊れたことをAさんは知りませんから、Aさんは「実際の時間も 12時 」と誤って信じているのです。故に、Aさんはこの命題について知識を持っているとはいえません。

したがって、JTB定式で導かれる「命題」は偽となります。

ここまでが、「ゲティア問題」です。
他の例題がwikipediaにもあるのでそちらも参照してみてください。

つまり、知識とは「正当化された真なる信念」とするプラトンから従来続く概念に「ゲティア問題」は反例を示したのです。

反例への反証

では「ゲティア問題」は、従来からの「正当化された真なる信念」を知識とする概念を本当に覆したのでしょうか?

なにか論証が変ですね?

もし(a)(b)(c)を満たすならばJTB定式によって導かれる「命題」は真なはずですが、なぜ偽なのでしょうか?

別な言い方をすれば、
時計が 2 日前に壊れたことを知らず、「実際の時間も 12時 」であると誤って信じているが故に、Aさんはこの命題について知識を持っていないと主張するのはなぜでしょうか?そして何故JTB定式で導かれる「命題」は偽である、と結論されるのでしょうか?

おかしいですね?
「ゲティア問題」がJTB定式で「命題」を偽と結論した理由は、
①JTB定式のTが成立していない
もしくは
②JTB定式のBが誤った信念であるから
のどちらでしょうか?

①の場合「真である」の解釈で2通り考えられます。

1-1:「真である」とは真実と合致する、という意味。
実際には、この時計が 2 日前に壊れたことをAさんは知りません。故に時計が壊れたことを踏まえた上での「実際の時間が本当に12時である」という真実とAさんの認識が一致しないので、T「真である」が成立しない、という意味です。

もし上記であれば、JTB定式のT「真である」が成立しません。
よってJTB定式が成立しません。
JTB定式自体が成立しないので、Aさんがそのことに知識を有するか否かを問うこと自体が不能です。不成立のJTB定式でその「命題」の真偽を問うことはできません。
ゆえに「ゲティア問題」の主張は誤りである、と結論されます。

1-2:「真である」とは実際、プラグマとしての意味。
その人が「時計を見ると、時計は 12 時を示しており実際の時間も 12時 でした」とある通り、実際に起こった事象は真実です。故にT「真である」が成立する、という意味です。

もし上記であれば、JTB定式のT「真である」が成立します。
ではこの1-2を引き継いで次の②「JTB定式のBが誤った信念であるから」を検討しましょう。

②であれば、信念が正しかろうが誤っていようが、信念であれば(a)の要件を満たします。故に誤って信じているが故に、Aさんはこの命題について知識を持っていない、という結論は誤りです。
よってJTB定式で導かれる「命題」が偽である、との結論も誤りです。

整理


以上を改めて整理します。
「ゲティア問題」がJTB定式で「命題」を偽と結論した理由は、
①JTB定式のTが成立していない
もしくは
②JTB定式のBが誤った信念であるからですが、

①の場合、
1-1:「真である」とは真実と合致する意味
1-2:「真である」とは実際、プラグマとしての意味の2通りがあり、

1-1の場合、 T「真である」が成立しません。不成立のJTB定式から知識を有するか否かの結論は導けませんので、「ゲティア問題」の主張は誤りであると結論されますが、
1-2の場合、実際に起こった事象は真実なので T「真である」が成立します。
この1-2を引き継いで②を検討すると、
信念の正誤を問わず、信念であれば(a)の要件を満たしJTB定式が成立するので、Aさんはこの命題について知識を持っていない、との結論は誤りです。

よってJTB定式で導かれる「命題」は偽であるとの結論は誤りです。
故に「ゲティア問題」の結論は誤りである、と導きました。

ですが、待ってください。
誤って信じている信念も知識なのか?という懐疑は残されたままです。

加えて、そもそも信念とはなにか?も明らかではありません。
では次に信念を検討します。

信念とは

時代や地域の違いによって知識の真偽は変化します。それは特に科学の進歩によって大きく変化します。たとえば、天動説が正しいとされた時代には地動説は誤りだとされましたが、科学の発達とそれを受容する社会に変遷を遂げたことにより地動説が正しい、と知識は変化しました。

物質観「物質とは何か」も科学の変遷とともに大きく変化をしました。ギリシアの自然哲学においては「四原質説」つまり「土、水、空気、火」の四つのさまざまな混合割合で万物は成立する、との考えが正しく「原子論」は異端で誤りだとされました。17世紀にガッサンディ(1592-1655)がデモクリトス流の原子論を復活させ、近代的物質観を築きました。ですが以降もフロギストン、カロリック、エーテルといった仮想物質の論議を経てそれら仮想物質も現代の物質観に至る過程で廃棄され、原子物理学や量子力学の発展の中で現代の物質観が築かれました。

このように、知識の真偽とは時代や地域、その多くは科学の進歩において大きく変化します。

知識とは「正当化された真なる信念(Justified true belief=JTB)」アラビア語やペルシャ語では「باور صادق موجّه」と定義されると冒頭部分で述べました。

信念とは何でしょうか?
信念とは何を指すのでしょうか?
何が信念ではないのでしょうか?


信念とは何かを紐解くことで「ゲティア問題」のような誤りがなぜイスラーム世界で生じなかったのかも同時に理解できると思います。

信念の定義

信念を「確証の信条 اعتقاد یقینی」とも呼びますが、
「確証の信条 اعتقاد یقینی」に含まないれないものは大別して2つあります。

①…は…であると紐付けない脳裏に浮かぶ、想起する事象 تصور
なぜなら、…は…であると紐付けないので判断 حكم がありません。つまり何かについて判断していない事象は信条ではありません。
例:コップ、太陽、月、笑顔の少女、などのイメージ
誤:少女が笑っている [理由] …は…であると紐付けているから

②…は…であると紐付けする叙述 تصدیق の8つから成る مبادی اقیسه のうち7つを除いたものが確証 یقینیات です。
1. 51-99%正しいと信じる叙述 مظنونات
2. 世間一般で心情や感情によって受け入れられる叙述 مشهورات
3. 理性ではなく想像力により生み出される信条となる叙述 وهمیات
4. 相手が受け入れる明白な叙述 مسلمات
5. 正直者である人物、権威から発せられる叙述 مقبولات
6. 正しいような虚偽の叙述 مشبهات
7. 想像力を掻き立たせて人の魂を揺さぶる叙述 مخیلات

これら7つの叙述を除いたのが、確証 یقینیات です。

そして、この確証(に基づくとある個人や集団の判断)が、
「確証の信条 اعتقاد یقینی」であり信念 باور になります。

確証 یقینیاتの定義

確証とは、
その事柄の逆が成立する可能性が無い、事実と一致する信条
のことです。

そして確証 یقینیات は幾つかの分類方法が存在します。

①確証 یقینیات の広義的意味と狭義的意味
広義的意味:事実に基づくor基づかない確証的な信条
狭義的意味:事実に基づく確証的な信条

②思惟的確証 (یقینیات نظری (اکتسابیと自明的確証 (یقینیات بدیهی (ضروری
思惟的確証:思考と理由づけを要する確証(最終的に自明的確証に帰結)
自明的確証:思考や理由づけを要さない確証(例:砂糖は甘い)

自明的確証 یقینیات بدیهی は一般的に6つの叙述 تصدیق を言います。
1. اولیات:主題 موضوع と叙述対象 محمول が正しく想起 تصور されれば論証不要です。
2. مشاهدات یا محسوسات: これは体感の叙述 حساسیت と内的感覚の叙述 وجدانیات に分かれます。
3. تجربیات یا مجربّات:以下の4要素を基に成立する叙述です。
تصور صحیح، مشاهده، مشاهده مکرر و قیاس خفی
つまり、正しい想起、体感、繰り返しの体感、内在する推論の4要素を基にした叙述です。
4. متواترات:利害を共にしない、多数の一致する叙述や報告。
5. حدسیات:月の光は太陽からである。考えて正しいと分かる叙述。
6. فطریات:算数など。4は偶数である。叙述自体に論証が含まれる叙述。

ですが、
アーヤトッラー・メスバーフ師ره や現代のイスラーム思想家は自明的確証を次の3つに限定して認めます。
اولیات:小は大より小さい。つまり موضوع と محمول を正しく想起すれば自明である叙述)
وجدانیات:これは حس باطنی とも言われます(喜怒哀楽、畏れ、空腹…)
قضایای تحلیلی:父は子を持つ(父=子を持つ男性)、موضوع を考えれば محمول が自明である文のこと。

この確証が信念に該当します。

「ゲティア問題」解決の鍵は「信念」です。
先の反例において、この人は「実際の時間も 12時 」と誤って信じているので知識をもっておらず、JTB定式によって導かれる「命題」は偽であると論証しています。

もし信念の定義が確証に基づかなくてもよいならば、真実と異なる事実を誤って信じていても信念とはなります。ですが、信念を確証の信条と定義するとそれは許されません。

もう1つ、興味深い話題を提供してこの「ゲティア問題」の話題を一旦終わりにすることにします。

意思決定

人は意思決定する際に、まず意思決定するための対象となる問題や事項を認識しなくてはなりません。問題の認識を مسئله یابی とペルシャ語では言いますが、経営学の計画策定と併せて意思決定はその前後で議論され、初めに検討するのが問題認識のプロセスです。

問題認識のプロセスで問題を3つに識別します。
1.障害:遂行する上での障害
2.必要:要求、必須である事柄
3.機会:遂行するための残り時間、要する時間

そして問題を正しく、深く認識することが意思決定プロセスの前段階として非常に重要です。そして先の「ゲティア問題」も認識の齟齬が根本的問題です。

問題やあることを認識するにあたってじつは2通りの認識があります。
1. احساس مسئله:観察的理解
2. ادراک مسئله:根本的理解
これらの例を日常そしてクルアーンから見てみましょう。

1つ目:
医者が患者を診る際に、
1.患者の表情や問診、聴診器による観察で処方箋を出す。
2.MRIやCTなどで体内の隅々まで調べて根本原因を調査する。

2つ目:
18.洞窟章の預言者ヒドゥルと預言者ムーサーの逸話
1.ヒドゥルの想定外で理不尽な行いを問いただすムーサー。
2.真相を知ったうえでそれらを行ったヒドゥル。

1と2では問題の認識が全く異なります。
認識水準がまったく異なる(意思決定によって導かれた)確証、信条は様相を異にすることは明らかです。

ですから、認識はとても大切ですね、
ということで終わりにします。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。

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