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無限循環

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって

ここで有名なクイズです!

①鶏と卵
鶏と卵、この世にはじめにあったのは、一体どちら?

答えは・・・???
解らない人は②を引き続きどうぞ。

②五人の運動会

本日、徒競走大会がアルムスタファー大学で開催されます。参加者は5名でABCDEさんです。

しかし、この徒競走にはルールがあります。

ルール:指定された者が動き始めたらスタートしてOK。それは以下の通り。

AはBが動くのを待つこと
BはCが動くのを待つこと
CはDが動くのを待つこと
DはEが動くのを待つこと
EはAが動くのを待つこと

さて、この徒競走はいつスタートするでしょうか?

Ans:いつまで経っても始まらない。


では、②を解説してから①に戻ってみましょう。
この徒競走がスタートするには条件があります。それは上記の関係を持った人物が動き出すことです。条件をよく見ると誰一人として誰かが動き出すことを必要としない人はいない=つまり、誰かが動き出すことを必要としています。A→B→C→D→E→A→B→C→・・・気付きましたか?


はい、これが無限循環です。上記の各々すべてが関係を持った状態では、独立単体でスタートすることが出来ません。

どういうことかと言うと、ABCDE各々が動き出すための条件を誰もが満たせません=切り出せません。AにはB、BにはC、CにはD、DにはE、EにはA、AにはB・・・と先頭を切ってスタートすべき人が見当たらない訳です。お互いがお互いを必要としています。ちょっとややこしい言い方をすると、必要を要する存在、あるいは相互依存の存在と言い表せます。

では、上記の条件でどうすればスタートを切れるのでしょう?
答えは、無理です。つまり不可能です。

ここで、ひとつポイントが見出せます。
必要を要する存在、あるいは相互依存のみの世界では、他を出し抜いて先んじて原因になる存在が無い。各々が何かしら必要を要する=相互依存なので、単体で他全ての関係を断ち切って第一番目に存在する、と主張することが不可能です。何故ならそこは相互依存のみの世界ですから。

ですから、相互依存のみの世界では如何なる存在であっても、それらが存在している決定的原因にはなれません。

では、相互依存のみの世界はどのように生じたのか?という問題が浮上します。

ここでその存在が必然である存在に登場してもらいましょう。
必然とは原因を遡れない、ということです。存在そのものが既に前提である、ということです。ですのでこの存在を一体どこの誰が齎したのか、と問うことが不可能です。如何なるものも必要としない存在とも言い表せます。つまりすべてのもの・関係から独立しています。如何なるものもその存在のために必要としません。この存在が相互依存のみの世界を齎したとしたら如何でしょう?問題は生じません。むしろ、この必然的存在があることで初めて相互依存のみの世界が存在できることがわかると思います。

では①に戻ります。

鶏が先か卵が先か。鶏も卵もお互いがお互いを必要とする無限循環に陥っています。よって、いずれが先かと問うことが無効です。鶏と卵、いずれも必然的存在が齎したとすることで解決します。

ですが、これには別解があります。それは、

卵の機能に注目することです。それは生殖です。つまり子孫を系代維持するために必要な仕組みです。よって鶏が存在しなければ、卵の存在自体が必要ありません。よって鶏が先である。と主張出来ます。ですがこの生殖の仕組みも一体どこの誰から齎したのか?と考えることで、答えは先の通りに纏まります。つまり鶏もその生殖機能の一部である卵も必然的存在が齎したとすることです。鶏は系代維持のために卵を必要とします。卵の存在意味は鶏があるから機能します。

以上、この続きはありません。

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