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クトゥルフ神話TRPG『沼男は誰だ?』のスワンプマンの世界は許されるか?

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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名によって

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おぉ、アッラーよ!祝福くださいムハンマド様を
そして彼の御一門の人々を
そして彼らの救済を近づけてください

スワンプマンの世界

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実は、視点別にこのスワンプマンを認めるか否かは180℃異なる。

1つは代謝
もう1つは哲学の存在論

代謝の視点でいれば、スワンプマン、そしてその捕食(殺害)行為は許容される、いやむしろ必然であると言わなくてはならない。

逆に哲学の存在論の視点からは、同一個体が同時刻、同座標に2つあることは本質的に不可能な事柄に該当する。つまりスワンプマンは有り得ない。
本質的に不可能な事柄とは、たとえば矛盾がその例に該当する。たとえば、私が同時に存在もするし、存在もしない、という事柄は有り得ない。それから例えば天才数学者であれば1+1=14に出来るか?出来る訳がない、というような類の事柄である。

では代謝から論証する。

そもそも、人間の身体は常に代謝を行っており、2年経過すると人体の骨はまるごと入れ替わると言われている。

とすれば、人間の身体は常に何かと置き換えられている、と言える。

スワンプマンの捕食(殺害)行為によって生じる仮人間(スワンプマンx)は捕食される前の人物がそのまま全てまったく同じ状態で再生される。捕食で仮人間(スワンプマンx)が欠けたり足される点は一切ない。

であれば、仮人間(スワンプマン)であろうと、捕食(殺害)されたという1点を除き、人間と一切の区別が無いのであればそれはもはや人間である、と言っても問題ない。

何故なら、それは代謝の概念と重複するから。代謝も古い細胞が死んでそこに新たな細胞が入れ替わるということなので、実質スワンプマンの捕食(殺害)行為と同様である。

故に、スワンプマンは許容される。

これが1点。

次に、スワンプマンが生じ得ないことを論証する。

このことは存在論の偶性を理解すれば明白である。
イスラーム哲学のمقولاتについて、جوهرとعرضの議論があるがその事柄を理解していれば、明白である。

もしくは、天性的に明快な事柄に該当すると言えるかもしれない、それほど明白にあり得ないことが分かる。

どういうことかというと、
同一個体が2つ、現実世界で同時刻、同座標に存在不能であるから。
現実世界(物質世界)において同時刻、同座標においてある物質があれば、そこに別な物質が座することは不可能である。

故に、この現実世界(物質世界)において全く同じものが2つあることは有り得ず、スワンプマンは生じ得ない。

まぁ、スワンプマンがこの話で言うところの「全く同じものが2つあること」に該当するか?は正直よくわからないが。

最後におまけ。
これはスワンプマンの話しとかみ合うか分からないが、参考までに。
もし瞬間瞬間に物質が原子やそれ以下のレベルで常に入れ替わっているحرکت جوهریの視点からすれば、我々は常に瞬間瞬間に新たな人間に生まれ変わっている。故に、スワンプマンであるとも言えそうである。

このようにスワンプマンは思考実験と言われている通り、空想ごとなのでどうしてもフワッとした捉え方で語られるのだろうが、人体や存在の観点から一度立ち止まって考えてみると、特段変なことではないとか、起こり得ない事象とか、色んな角度から語られる故に「沼」なのだろう。

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