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わかる ホセイニー/アーシューラー #13

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چاوشی‌زاده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月13日


そして徐々に一人また一人とムスリムの周りから人々は離れていきました。遂には女性たちがやって来て、自身の息子や兄弟たちを捕まえると家に連れて帰ってしまいました。そして男たちは自身の息子たちに言いました「仕事に戻りなさい!」

ですから次から次へとムスリムの周囲からは人々が離れていきました。どれ程だったかと言うと、礼拝の時刻となりムスリムはマグリブの礼拝[1]をマスジドで行いましたが、そこに残っていたのはたったの30人ほどで、ムスリムが人々の不誠実さを目の当たりにしてマスジドから出ようとした際には10人も残っていませんでした。そしてマスジドから出てくると誰も彼の傍にはおらず、ムスリムは単身孤独となり果てたのでした。

それから彼は通りから通りへと放浪しました。どこに行けばいいのか分かりませんでした。彷徨い歩いた先で一軒の扉の前に着きました。そこはタウア[2](解放された元奴隷で、息子の名前はビラール[3])の家でした。

息子の帰りが遅かったので、息子の帰りを待ちわびてタウアは家の門の前に立っていました。ムスリム ブン アキールは彼女を見つけると、彼女の傍に行きサラームをしました。するとタウアもサラームを返しました。それからムスリムは言いました「少しお水をいただけませんでしょうか?」タウアは彼にコップに入れた水を差しだすと、ムスリムはそれを飲みそこに座りました。タウアはコップを持っていき戻ってくると、そこにはまだその男が座りこんでいます。そこで言いました「水を飲んだではありませんか!さぁ立ちなさい、自宅にお帰りなさい!」

ムスリムは返事をしませんでした。タウアは三回おなじ問いを繰り返してから彼女は言いました「あなたがこの夜の時間帯にここ、私の家の門の前にいることは不適切です。私もこのことをハラール[4]としません」

ムスリムは立ち上がって言いました「私はここの街で家がなく、身内も支援者もおりません。単身孤独の身です。行く当てなどないのです。もし可能でしたら、同情いただけるのでしたら、私をあなたの家に庇護していただけませんか?あとでお返しができますので」

タウア:あなたの事情を話してください

ムスリム:私はムスリム ブン アキールと申しまして、ここクーファの人々が私を騙して浮浪者としたのです。私を擁護することから手を引き、単身置き去りにしたのです

タウア:あなたがムスリムですか?

ムスリム:はい

タウア:どうぞ、家におあがりください。

とても良い個室に絨毯を敷いて彼を案内すると、ご飯を運んできました。ムスリムはそれを召し上がりました。しばらくすると息子のビラールが戻ってきました。母が個室に出入りしているのを見て彼は何事かを尋ねました。タウアはムスリムがやって来たことを話すと、彼にこのことを誰にも公にしないことを誓わせました。そしてビラールは黙ると寝床に着きました。

وَلَعَنَ اللّٰهُ أُمَّةً أَسْرَجَتْ وَأَلْجَمَتْ وَتَنَقَّبَتْ لِقِتالِكَ؛ بِأَبِي أَنْتَ وَأُمِّي



[1]. 日没してから東の空が半分以上暗くなった時刻の礼拝。

[2]. طوعه.

[3]. بلال.

[4]. 許すという意味。自身が有する権利を他人が侵害した場合、それを許すか否かを自身が決めることができる。他人が有する権利をحق الناس と言い、その人が許してくれないと唯一神も許すことがない。よって حق الناس を犯した際にはまずその人に許してもらう、ハラールとしてもらうことが最も重要である。

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