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わかる ホセイニー/アーシューラー #3 

بیان ساده عاشورای حسینی

مؤلف: مریم السادات چاوشی‌زاده

著者は、ホセイニー/アーシューラーについてムハッラム月~サファル月20日アルバイーンまでの50日間、教師が生徒や児童に語るための内容を信頼ある伝承集をもとに一冊の形に仕上げました。この本が編纂された動機は、説教のような長い時間を耐えられない生徒や児童向けにアーシューラーの追悼について1話=5分ほど、彼らの心や頭に残るよう、わかりやすく短く伝えることを支援する目的で執筆されました。また、アーシューラーの巡礼祈禱を日別記事の最後に記してあります。これは学習者が少しずつこれに親しみ、これを声に出して、暗唱するまでの過程を補助する狙いがあります。

ムハッラム月3日


イマーム フサインへの涙と追悼[1]集会を開催する報奨について

伝承にはこうあります:ある日、イマーム サーデクのもとでイマーム フサインを語ると、イマーム サーデクは大変涙を流されてから、頭をあげられると仰いました:イマーム フサインは仰いました「私こそ涙と涕泣に死せる者、いかなる信徒も涙せずに私を呼ぶことはないのです」

 

別な伝承

ある詩人が伝えます:イマーム サーデクのもとに出向いた際、イマームは仰いました「イマーム フサインの哀歌[2]を詠んでください」それから詠み始めるとイマームは泣き出されました。哀歌を詠むたびにイマームの泣き声は大きくなり家中に響き渡ったのです。

別な経路の伝承から、イマーム サーデクは仰いました「あなたが詠むやり方で悲嘆の歌[3]を詠んでください」それから詠み始めるとイマームは泣き出されて女性たちも(隔たりのカーテンの裏側で)泣き出しました。詠み終えてイマームの傍によると仰いました「イマーム フサインに関するいずれかの哀歌を詠み、五十人を泣かせたならば、天国がその人をそこに連れていきます。三十人を泣かせたら、天国がその人にとって義務となります。二十人を、十人を、五人を、一人を泣かせたら、天国がその人にとって義務となります。そして哀歌を詠み自身が泣けば、天国がその人にとって義務となります。そして誰かを泣かせずタバーキー[4](泣くふり、泣き真似)すれば、天国がそのひとをそこに連れていきます。[5]

イマーム リダーは仰います「ムハッラム月になると、誰も笑った父を見ることがありませんでした。アーシューラーの日まで悲嘆と悲哀に包まれていました。アーシューラー当日、その日は父にとって災禍、悲嘆と涕泣の日でした。そして仰っていました:今日はイマーム フサインが殉教した日です。アーシューラー当日に自身が望むことを放棄することに努める者には誰でも、唯一のカミサマは現世と来世の望みを見繕ってくださります。アーシューラー当日がその人にとって悲嘆と涕泣の日である者には誰でも、唯一のカミサマは復活の日(最後の審判の日)を幸せで愉快な日にしてくださり、その人の天国での存在は我々にとって明らかとなります。アーシューラー当日に購入して蓄えた日用品や日々の糧には祝福がなく、唯一のカミサマはその人を復活の日においてヤズィード[6]やウバイドゥッラー ブン ズィヤード[7]、ウマル ブン サアド[8](アッラーが彼らを呪われますよう)と共に地獄の最下層で招集なさるのです。

لَقَدْ عَظُمَتِ الرَّزِيَّةُ وَجَلَّتْ وَعَظُمَتِ الْمُصِيبَةُ بِكَ عَلَيْنا وَعَلَىٰ جَمِيعِ أَهْلِ الْإِسْلامِ



[1]. عزاداری.

[2]. مرثیه.

[3]. نوحه. موثیه の同義語としても用いられる。

[4]. تباکی.

[5]. منتهی الآمال، ص 377.

[6]. یزید بن معاویه.

[7]. عبید‌الله بن زیاد.

[8]. عمر بن سعد.

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