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遠江国進士氏(掛川市・菊川市・島田市) 清洲藩・進士清三郎/土浦藩・進士清蔵との関係

進士清蔵には遠江国にて言い伝えがあります。
ℹ︎『静岡県掛川市大渕にある高室神社の由緒』
由緒の儀は長寛年中(一一六三〜一一六四年平安期)藤塚、進士庄三郎(誠)の祖先に進士清蔵と申す者があった。同人の生国は奥州で村名は不詳である。彼は陸奥国塩竈六所大名神(現在の塩竈神社宮城県塩釜市国幣中社)の御写しを請願し、現在地に奉斎した。当時、村に悪疫が流行し、壮丁老幼の別なく、疫のために倒れ村民皆痛く苦慮し、悪疫の害を免れんことを偏に右氏神に祈願せしところ、たちまちにして速かに止み、村民一同蘇生の思いを為し、遂に挙げて当社を創立したといわれる。
高室神社 氏子総代 進士輝彦

ⅱ『静岡県菊川市富田に伝わる昔話①②③』
①盗人坂(ぬすっとざか)  潮海寺の東南で「矢田部」とうの堺近く、「掛下」という所がある。この東側の下には菊川が流れ、台地から下に向かって坂道になっており、俗に盗人坂という。この道は、大地を降りると川を渡って「矢田部」「富田」の二方面に通じており、昔は主要な道であった。弘安の頃、小夜の中山あたりに出没したという「やいばの雉子(または鬼人)」を退治するため、京から差向けられた落合権の守の従者に進士清蔵という強弓の達人がいた。しかし、主従は遂に賊を退治でき来ず、やがて、替わりに来た一条三位上杉憲藤が征伐したという。落合主従は、いまさら京にも帰れずに、この地に土着していたが、ある日のことこの地方に盗賊が入りあちらこちらと盗みを働いた。この時清蔵は潮海寺の坂を逃げてゆく賊の姿を見て、富田川の河原から矢を射ったところ、みごと賊の足に当って捕らえることができたという。以後、この坂を「盗人坂」というようになった。
②落合権の守とヤイバの雉子(鬼人)  昔小夜の中山あたりにヤイバのキジという賊が出没し、近在はもとより旅の者にも危害を加えるということで、往来も絶えるという有様であった。このヤイバのキジというのは、中央に地位を認められなかった豪族の連れそいが、せめて娘だけでも都びとに認めて貰いたいものだと日夜奔走したが、この願いも叶わず、遂には手段を選ばなくなって悪事を働くようになったものという。そして娘を認めれば悪事もやめよう、退治もされようということであった。この事が都にも知られ、討伐の者を遣わす事となり、落合権の守と従臣の進士清蔵、植山、本目、などが、征伐のために遠江に下向することとなった。しかしヤイバの鬼人の力が強く、征伐する事ができず、権の守は福田港へ、進士は横須賀方面に退いたといわれる。進士は、この戦いで
鬼人を討ちもらしはしたが、無二の弓の達人であったので、射った矢はヤイバの鬼人の太ももに七針も縫うが如くに突き刺さった。そこで鬼人は「これほどの矢を射るものは、進士以外にはいない、七生たたってやる」といったという。朝廷では再び、一条三位上杉憲藤を差し向け、ようやく退治することが出来た。
③三郡山で割腹して果てた三左衛門 これは西富田の進士良夫氏宅に伝わる「刃の雉子」のお話である。昔、「八重歯の狂人(刃の鬼神)」討伐のため、京から進士三左衛門と落合権頭(ごんのかみ)がし向けられたが退治できずに敗れ、落合権頭は公文名の奥山に切腹、進士もまた、富田の赤坂を北に登りつめた三盛山(三郡山)に割腹して果てた。この時残した辞世は はるばると、花の都をあとにして三郡山に身を果たすなり と伝えられている。時もうつり、寛文年間に至って、進士半左衛門は森下、植山の家来を引き連れ当地にきたり、その霊を慰めたという。そして京の愛宕社の分霊を戴いて裏山に氏神として祀った。以来、代々半左衛門(時には半兵衛)を称え、村の庄屋となりその役務を果たして名字帯刀を許され、その分家も細野、進士など三十余戸にのぼるようになった。当家の墓地(塚)には、今も十基におよぶ一石五輪塔や石幢(せいどう)、延宝元年銘の家型石龕(せきがん)など、中世から江戸初期にかけての供養塔や墓石が、当時を物語るかのように数多く残っている。
《進士氏世帯数 菊川市富田十九軒 地元の名士 進士織平の墓石調査結果 家紋は丸に立ち沢瀉❣️》

『静岡県の名字』
城東郡大渕村(大須賀町)の進士氏の祖先は陸奥国出身の進士清蔵といい、陸奥国塩釜六所六名神を大渕村に勧請して長寛年中(一一六三-六五)、高室神社を創祀し、庄左衛門は寛永年間、昌雲寺堂宇を建立する。《進士氏世帯数 静岡県掛川市大渕16軒 大渕墓石調査結果:家紋「丸に下り藤」及び「丸に五本骨扇に月丸」❣️》

『大須賀町誌』
曹洞宗 高室山昌雲寺 大渕(藤庄)7340
地蔵堂 本尊 地蔵菩薩
寛永年中(一六二四〜一六四三)当村進士庄左ェ門並びに檀徒有志の者で、子孫長久、家門繁栄を祈って堂宇を境内に建立した。
《住職聴き取り調査にて昌雲寺は「丸に下り藤」を使用が判明。❣️》

『町内屋号調査集 大須賀町郷土研究会』
進士誠 ‘藤塚地区’ 屋号又は呼名:庄屋様 屋号の由来:江戸末期まで藤庄の庄屋を務めた 家紋:下り藤
進士福一 ‘野中地区’ 屋号又は呼名:でんま 由来:伝馬業 藤塚の進士一統
進士源吾 ‘野中地区’ 屋号又は呼名:たな 由来:酒販売

『土浦藩の先生たち-分館を中心に-』
進士清蔵 明治一三(一八八〇)年三月一三日に六一歳で病死した。石岡清凉寺に葬った。
進士仙吉 明治二六(一八九三)年三月八日に四九歳で病死した。石岡清凉寺に葬った。

『石岡市 ホームページ』
曹洞宗 興国山清凉寺 石岡市国府6丁目2−3
文亀元年(1501)曹洞宗に改宗して,大本山永平寺の道元禅師に請うて開山した。
清凉寺は佐竹氏ゆかりの寺として,佐竹氏の家紋である「五本骨扇に月丸」を使用している。


清須藩士に遠江国の進士清三郎が実在する。
『御家中分限帳』

御寄合衆 千石 進士清三郎


『清須分限帳』

町奉行 進士清三郎 遠江の者
 進士清三郎母

『山内治大夫進士清三郎功を譲る事』

諏訪原の城 進士清三郎
松平康重 父松平康親

参考文献
『徳川家臣團の研究』 吉川弘文庫 昭和四十一年十月三日 発行
『幼學綱要』禮譲第十○  山内治大夫、進士清三郎、功を譲る
『常山記談 全』巻之四山内 山内治大夫進士清三郎功を譲る事

『士林沂洄 巻第二十八』

丁之部一
山内治大夫




進士清三郎妻

参考文献
名古屋叢書続編 第十八巻 士林沂洄(2)

『東条松平氏相縁関係之図』

松平康親 松平康重 親子
清須藩主松平忠吉


松平康親 松平康重 親子


松平康親 松平康重 三河国の者

参考文献
徳川家臣團の研究

『進士文書 広島大学所蔵』

三河国額田郡に幕府御家人進士氏の所領

『進士文書』

幕府御家人進士家

《進士氏世帯 京都府南丹市園部町南大谷 五軒》
参考文献
岡崎市史 史料 古代中世 6
所蔵 広島大学 猪熊文書 (一)

『見聞諸家紋』

五番 進士

参考文献
群書類従 第二十三輯 武家部

『土浦藩主初代 土屋数直』

土屋氏(寛政重修諸家譜御系譜、系図)
茶阿の局が土屋忠直を育てた。

参考文献
土浦市史

『茶阿の局』

茶阿の局 遠江国金谷村の者

《進士氏世帯 島田市金谷 十七軒》

【詳細は証明出来ないが、幕府御家人進士氏が三河国額田郡に所領→戦国時代に徳川家臣團松平康親配下のち清州藩町奉行→茶阿の局(遠江国金谷)に育てられた土屋数直が土浦藩主になり、土浦藩士に任じられたと思われる。静岡県掛川市大渕(横須賀城)・菊川市富田(諏訪原城)・島田市金谷(諏訪原城)に進士氏の集落がある】

『天保十四年江戸分限帳』(茨城県立歴史館所蔵長島家文書)は、縦二三・五センチメートル、横一五・九センチメートル、表紙・裏表紙とも全四四葉の竪帳で、これにより、天保十四年六月の土浦藩の江戸詰の家臣団の構成が明らかとなる。長島尉信が筆録したもので、「江戸分限今渡高書抜」として、「知行」、「大扶持」、「金給」以下「御出入扶持」まで記されている。江戸詰の人びとの禄高、今渡米(金)高・役米高、姓名などが記されている。

進士清蔵

『嘉永三年江戸住居家中席順並禄高調』(国立資料館所蔵常陸国土浦土屋家文書)は、縦一一・四センチメートル、横三二・〇センチメートル、表紙・裏表紙とも全十八葉の横帳である。嘉永三年の調査による土浦藩の江戸詰の家臣の席順と禄高・姓名が記されており、これにより、嘉永三年の土浦藩の江戸詰の家臣団の構成が明らかとなる。

進士清蔵


参考文献
茨城県史料 近世政治編Ⅲ  印刷所
株式会社精興社 平成7年3月27日発行

『住宅旧武家屋敷図(原図・白田良夫氏所蔵)』

進士清蔵

参考文献土浦市史別巻 土浦歴史地図 印刷 菊池印刷株式会社 昭和四十九年三月十五日発行

『諸士年譜』土浦藩の「諸士年譜」は、もともと土屋家が所蔵していたが、土浦家では「諸士年譜」も含めた土屋家文書を昭和二九年度と昭和三六年度に手離し、最終的に国立史料館(正式名称は、国文学研究資料館 史料館)が所蔵することになり、現在に至っている。はじめに待遇の石高、さらに姓名、幼名などがあり、続いて各ポストに任ぜられた年月日とポストが記されている。そして最後に死亡した年代、年齢が入っている。そのあとに、後継者が同様な内容でもって何代か続くのが一般的な書き方である。
諸士年譜(巻第九目録ヵ)シ之部(一〇家)

進士清蔵


進士清蔵 進士仙吉

《進士氏世帯 土浦市 三軒 石岡市 一軒》
参考文献
土浦藩の先生達-文館を中心に-上 印刷 (株)綜合プリント 1987年9月10日 発行土浦藩の先生達-文館を中心に-中 印刷 (株)綜合プリント 1987年11月15日 発行


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