平沢進(P-MODEL)のすゝめ『MANDRAKE編』

[注意]
・音楽経験なし(軽音楽部ではあった)
・初投稿
・まとめ下手

皆さんは“平沢進”さんという方をご存知でしょうか?
平沢進、「ひらさわしん」じゃない、「ひらさわすすむ」。

平沢進(Hirasawa Susumu)

いや〜…かっこいいね!美しいね!
もう見惚れちゃうね!(マイノリティ)
ええ?平沢進を知らない?そりゃそうだよね。テレビとかあまり出ないからね。

平沢進さんは、1954年4月1日生
69歳(2023/05/20現在)年齢不詳の歌手、音楽家、映像CGアーティスト……。
現在、ギターアルバムを制作中のアンチギタリスト(ギターが嫌い)です。
拙い文面ですが、温かい目で見てください。

話を戻して、平沢進さん。
音楽活動はとても長く、1973年からになります。長いね!
題名の『P-MODEL』何だこりゃ?ってなっている人が多いと思います。これは平沢進さんがリーダーのバンドの名前です。活動していたのは1979年から2000年、核P-MODELというのが2004年から始まってますがアレはソロみたいなものですので…。(どうして一人でやっているのかは聞かないでくれ。)

ちょっと前フリが長くなってしまった。
早く書かなければ!!

─MANDRAKE─
おいおい!『MANDRAKE』って何だよ!!
ま、まんだらけ…?
違います。
マンドレイク、P-MODELの前身であり、母体でもあります。ジャンルはプログレッシブ・ロックです。1973年〜1978年に活動していました。
今回の記事はMANDRAKE“だけ”を紹介していきます。P-MODELは難しいからね。

マンドレイク/アンリリースト・マテリアルズ Vol.1(2006)

馬の骨(ファンの通称)でも聴かないというマイナーの中のマイナーであるMANDRAKEですが、私はMANDRAKEが大好きです。
本当にかっこいいです。

MANDRAKE時代の平沢さんは前期はギター、中期からはボーカルとギターとして活動していました。
当初、HR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)をイメージしていたMANDRAKEですが、
MANDRAKE前期のヴォーカル、安部文泰がヴァイオリンを持ってきたことでプログレに変更されました。(Wikipedia参照)

そんなMANDRAKE、初ライブは立教大学でした。

立教大学

ですが、ゴミ箱を投げられてしまい、演奏中断になってしまったとか。
その時演奏されたのが『錯乱の扉』という20分弱ある大作。(でも歌詞は聞き取れない。)そりゃ怒っちゃうよ!
その後もMANDRAKEは不遇の時代を進むことになります。

MANDRAKE中期、安部文泰が失踪……。
仕方なく平沢さんがヴォーカルに。
このときのメンバーは、平沢進、田中靖美、田井中貞利、関弘美(東京デザイナー学院で平沢さんとクラスメイトだった)でした。
このまま解散まで行くと思いきや、関弘美が地元に帰り、上京を何度かしたが、来なくなってしまった……。

MANDRAKE後期、関弘美の後任に阿久津徹が加入。阿久津さん、めっちゃいい声なんだよね…。

この動画の後半部分を阿久津さんが歌ってます。この曲は『夜になったら』という曲です。

MANDRAKEは平沢さんのヴォーカルになってから、作品をどんどん作り出します。
『飾り窓の出来事』、『終末の果実』、『奇妙なタマゴ』などなど…
円盤化されたものもあれば、お蔵入りになってしまったものもあります。先程の『夜になったら』はアンリリースト・マテリアルズには入っていません。残念ながら。

そして、1978年。MANDRAKEは解散します。
人気もあまりなく……。
P-MODELを結成すると凄く売れたらしいです。どうして…。

まあ、そんなこんなでMANDRAKE編は終わりです。

回れ右!解散!!

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