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都知事選二人出馬は、民主主義のゲームチェンジャーとなりうるか 後編

おさらい

これまで、前編・中編と書いてきました。

これまでの話を簡単にまとめると。

●有権者の政治不信が、民主主義選挙を「人気投票」に変えてしまった。

●山本・宇都宮のどちらかが小池に勝てる状況を創るためには、まともな民主主義選挙へとゲームを戻すことが必要。

●現状、まともなリベラル系候補者が勝てないのは、「訴えを聞かせようとする候補者・支持者」と「耳を閉ざそうとする有権者」のデッドロック状態が原因。

●支持者による有権者をバカにする態度が、一般有権者の政治離れに拍車をかけている。

なので、宇都宮さんと山本さんのどちらかが勝つためには、

①デッドロックを解除する
②有権者に対して、上からの態度を取ることをいますぐやめる

この両方が最低条件になるわけです。

まあ、②は、なぜそれがダメなのかを理解して端的にやめてもらうしかありません。では、①のデッドロックを解消するためにはどうしたら良いのでしょうか?

討論という手法

どうすれば良いのか。一人が有権者に語りかけるときに、心理的ブロックを解除することは困難です。ところが、二人ならデッドロックを解除することは、そんなに難しくないのです。

まず、僕が思い描いている手法をご紹介します。

①宇都宮けんじと山本太郎が可能な限りワンセットで移動し、行く先々で街頭討論会を行う。

②毎日夜20時過ぎてからは、それぞれの事務所に戻ったうえで、可能な限り毎日オンライン討論会を行い、東京都のあるべき姿について話し合う。

③上記とは別に、第三者がオンライン討論のプラットフォームを用意する。毎晩、小池百合子も超泡沫候補も平等に、候補者5~6人を呼んでテーマを絞って討論会を開催する。


私が思い描いているのは、だいたいこんな感じの選挙戦です。

なぜ、1人での演説ではデッドロックが解除できないのに、2人以上の討論なら解除できるのか。

それは、多くの有権者が強い抵抗感があるのは、「政治的内容」ではなく、「正しさ」の押しつけというコミュニケーションの態度だからです。そして基本的に、1人が多数に演説するという形式では、正しさの押しつけという態度を回避することはものすごく難しい。だって、ひとは、「自分が正しい」という前提で話すことから、原理的にほとんど逃れられないのですから。

SEALDsはなぜ成功し、なぜ没落したのか

ちょっと話はズレますが、そこに最初に気がついたのは、おそらくSEALDsです。彼らは、「正しさ」の押しつけを回避するために、「私は~だと思います。何年何年何日、○○」と自分の固有名の資格で、対等な2人称に話し続ける、という形式で演説しつづけました。

徹底して自分の主観において語り続ける彼らを初めて目撃したとき、「まさに驚天動地、日本における政治的言語の発明」だと私は衝撃を受けました。しかし、彼らの「主観的スタイル」の意義を理解した学者はほとんどいませんでした。おそらく「不勉強な学生だ」という思い込みがあったのでしょう、リベラル系研究者たちによる熾烈なバッシング対象となってしまいました。

その後SEALDs自身、自分たちがいかに革命的なことをやってのけたのかを理解せず、「コジャレたポスター」などの小手先の手法を重視し、啓蒙主義的方向性に走ってしまった。そのことを、今でも私はとても残念に思っているのです。

2人以上なら民主主義のゲームチェンジができる

そういう意味において、地べたに降りてわかりやすい言葉で語ろうとする山本太郎のスタイルと言葉の選択は、SEALDsの系譜にあると考えることもできます。そして旧来の野党支持者から「ポピュリズムだ」と批判されるのは、そのスタイルの必然性を理解しないからでもあると言えます。

しかし、私たちはさらにその先の未来を切り拓いていく必要があります。そのゲームチェンジのための戦略が、「演説」から「討論」へ、「1人」から「複数」への転換なのです。

多くの人へ向けて1人が話しかける形式を取る以上、聞く側はどうしても「正しさの押しつけ」を感じて身構えてしまう。しかし、複数の人間がお互いにまともな議論をしていると、その「正しさ」の押しつけがかなり薄れるのです。というのは、双方が「自分が間違っている可能性」を受け入れることによって、初めてまともな議論が成立するからです。

相手の言葉に真剣に耳を傾け、それに対して真摯にこたえ、それを相手も聞いてくれて、お互いに自分の誤りを認めつつ考えをブラッシュアップしていく。そういう議論は、第三者にとっても非常に聞きやすいものです。「あー自分はこう思うな、あ、でもこっちの意見もわかるな」と思考を深められます。

逆に、「朝まで生テレビ」みたいな、ああいう「激論」はぜんぜんダメですね。お互いにお互いの話を聞かないから、視聴者としても見てて非常に辛かったり腹が立ったりする。

でも、そういう「立て板に水」タイプの人は、政治家としての資質はまったくありません。だって、有権者の声に耳を傾けないのですから。まともな民主主義政治において、そういうタイプの政治家は本来必要ありません。

たしかに、いろんな政治家を呼んで話をさせれば、そういうタイプの「激論」になる可能性もあります。しかし、山本太郎と宇都宮けんじの二人ならば、まともな議論が成立するでしょう。僕は最低限そう信頼しています。

まとめサイトの絶大な効果

実は、そういう(擬似的な)「対話的手法」は、すでに与党側に採用され、世論操作に絶大な効果をあげてきた。そのように言うと驚かれるでしょうか。

具体的には、「まとめサイト」と言われるものです。これは、月間PV3200万と言われている超巨大まとめサイト「アルファルファモザイク」の、河井案里逮捕についての記事からの抜粋です。

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匿名掲示板の投稿を、会話が成り立っているかのように、サイト運営者が適当に編集するのが「まとめサイト」の特徴です。こうすると、読む側も抵抗なく読めるし、なんとなくその流れを「世間一般の意見」として受け入れてしまいがちになる。

もちろん、こうやってまとめサイトに現れた「世論」なるものは、かなり怪しいものです。たとえば、サイト運営者が匿名掲示板に好きなように書いて、その発言を自分で拾ってまとめ、そうやって世論誘導をすることもできるわけです。

ともあれ、まとめサイトのうちの相当部分は、いわゆるネトウヨ系でした。それは世間の流れというよりは、現与党側(電通含む)はその新しいメディアに目を付け、保守系まとめサイトを直接・間接的に応援してきた可能性が高いでしょう。

個人的には安倍首相が「保守速報」を愛読しているのはどうかと思いますが、しかしそういう新しい世代のメディアに積極的に取り組んできたという点で、はるかに野党より進んでいるのは、残念ながら事実と認めざるをえません。

視聴者が動画に文字コメントを入れられる「ニコニコ動画」が、いまや麻生資本傘下であるということの深刻さを、野党は真剣に考えるべきだと僕は思います。

マスメディアから双方向メディアへの転換

私が考えるに、「正しさの押しつけ」を有権者が嫌がるようになってきた背景には、マスメディアから双方向メディアへの革命的な転換があります。

90年代半ばまでは、ほとんどメディアと言えばテレビ・新聞・雑誌などのマスメディアでした。たしか1993年前後だったと記憶しているのですが、高校の担任教師と二者面談で将来の進路について話していて、未来学者のアルビン・トフラーを愛読していた僕が来るべき情報化社会について話したところ、「これからは個人が情報を発信する時代が来るって事?」と鋭い質問をされました。

確かにそのときまでは、個人による情報発信など全く考えられない時代だったのです。情報はほぼ無条件に信頼できるものとされ、しかるべき立場にある人間が、「正しい情報」を一方的に押しつけるのは当たり前のことでした。

しかし、90年代後半以降のパソコンとインターネットの普及、そして2010年前後からのスマートフォンの普及によって、若い世代が利用するメディアの中心はインターネットにうつっていきました。

もちろん、インターネットだって、様々なメディア形式があります。LINEなどのパーソナルメディアからTwitterやTiktokなどのSNS、大手のニュースサイトまで様々です。もちろん、すべての情報が信頼できるワケでは決してありません。だからこそ、自分の判断で情報を取捨選択し、加工し、発信する時代なのです。

大事なことは、このメディア形式の転換が、いわゆるジェネレーションギャップになってしまっているということです。これは平成30年版「総務省情報通信白書」からの引用ですが、「いち早く世の中の出来事を知る」「信頼できる情報を得る」において、世代が下るごとに旧来型マスメディアの比率も大きく下がっています(10代で逆に少し増えているのは、パソコンやスマホを持っていない子どもがいるためでしょう)。

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マスメディアから双方向メディアへの転換は、単なる情報の質や内容の問題ではありません。それは、情報や他者に対する態度というもっとも深いレベルで主体のあり方を変えてきたのです。

そして残念ながら、今の野党支持者のコアの部分、少なくとも選挙で実際動いている人の圧倒的大部分は、マスメディアの時代で人生の過半を生きてきています。だからこのメディアシフトの革命性が理解できない。

市民運動や選挙運動の現場に行って、上の世代の人と話しをしていると、「若い人たちはネットとか信頼できないものを、よく考えもせずに信用して嘆かわしい」とけっこう頻繁に言われます(笑)。「あんな、ほんまそういうとこやで」と思いますけどね。でも僕は大人なので、「じゃあ自分で調べて考えてみてくださいね」ってチクって言うだけでスルーします(笑)。

メディアリテラシーを言う人はよく「Wikipediaは信用できない」と語ります。確かにそれはその通りです。でも、自分の方が信用できる情報を持っているなら、自分でWikipediaを書き直す。それが今の時代、本当の意味でのメディアリテラシーなのです。

マスメディアの衰退と若者の投票率

すみません、超脱線しました。でも、このメディアの転換とジェネレーションギャップを理解することが、野党が勝つために最も重要な点なのです。

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上のグラフは平成29年度衆議院選挙の年代別投票率ですが(出展 総務省から加工)、先に挙げたマスメディアについてのグラフと、かなり似通っています。

「野党が勝つためには、若者の政治参加が大切」、でも、「若者はなぜ選挙に行かないのだろう、政治に関心がないのだろうか」・・・こんな言葉をしょっちゅう耳にしますよね。

しかし、本当に若者に選挙に行って欲しいなら、選挙のあり方もまた、新しい時代、これから未来を担う世代の生き方にあわせて、方法論を改めていく必要があるのです。

選挙で「民主主義」を創る方法

話を東京都知事選に戻します。

私は、選挙の新しい方法論こそ、「討論を中心にする」という事だと思います。

討論会について最も重要なのは、有権者をただのオーディエンスにしないことです。街頭でもオンラインでも、一般市民が見てるだけにとどめるのではなく、議論に参加していける仕組みを取り入れていくことです。

たとえば街角だったら、「この意見に賛成の人・反対の人」って手を挙げてもらう。オンラインだったら簡易投票システムを取り入れる。そして、その結果を受けて、討論者がもう一度考えなおしたり、説明したりする。

さらに言えば、有権者から困りごとを聞く時間を必ず設ける。それに対して各候補が考え、新たな政策をその場で提案し、互いに議論しブラッシュアップし、またアンケートを採る。もちろん、有権者からの政策提案も受け入れ、好ましいと候補者が思えば採用する。

政治家が有権者に耳を傾け、彼らのためになんらかの政策を実現することが民主主義政治の本義です。だとするなら、この選挙運動において、有権者を巻き込んで公約が変わっていく、それこそ民主主義そのものではないでしょうか。

そして、自分の悩み事を真剣に聞いてもらい、政策議論に参加した人や、それを間近に見た有権者は、「これこそが民主主義なんだ」と心の底から実感するのではないでしょうか。

こういう経験をした人は、自分から積極的に政治に関わるようになります。たとえば情報をSNSで発信・拡散したり、自分から運動を手伝ったりするかもしれません。選挙において、主体的に情報発信・拡散をしてくれる人は、非常に大きなパワーになります。

一般論ですが、人が言葉を発しないのは、「言いたいことがないとき」ではありません。「言ってもどうせ聞いてもらえない」と内心諦めているから、何も言わず、そのうち何も考えなくなるのです。語ろうとする言葉に耳を傾けてもらう経験によって初めて、人は「自分が人間なのだ」という実感を得るのです。そして、自分で社会を変えられるという実感を得て、はじめて人は政治に参加しようという意志を持てるのです。政治家はあくまで、人が政治参加を行い、社会を変えていくための媒体にすぎないのです。

そろそろ終わりにしよう

もう一度言いますが、このような選挙のあり方こそが、本当の民主主義における選挙の本来の姿ですし、さらに言えばこのようなプロセスそのものが民主主義なのです。

逆に、今の選挙、あれは本当に民主主義と言えるのでしょうか。各政党が一方的に決めた候補が並び、ひたすら候補者の名前を轟音で聞かされ、守るつもりもない公約をダラダラと話される。それ以外のいわゆる泡沫候補は、なんというか・・・(略)。

私は「野党共闘」を推進したいと考えていますが、それだって、現在の候補者や政策統一プロセスは、まったくいただけません。密室・密談・密約の三密において公約も候補も決めておいて、一般有権者はただそれを応援してねというだけ。

それのどこが民主主義で、どこが「ボトムアップ」なのでしょうか。

21世紀に入ってもう20年、もうそろそろこんな時代遅れのことをやめる時ではないでしょうか。

ここ数日、山本支持者と宇都宮支持者が言い争いをしているらしいです。でも、政策について異なる考えがあることは非常に好ましいことです。言い争いはやめて、ともに議論しましょう。

この民主主義選挙の土俵が支配的になれば、小池百合子のような人間が評価される余地はありません。政策立案能力・傾聴能力・誠実さ、そのすべてにおいて、圧倒的に見劣りします。だから、そういう人材は、討論のプラットフォームにはできるだけ登らないようにするでしょう。そうすれば、少なくとも空中戦がかなり困難になり、情報拡散能力はだいぶ落ちるようになるはずです。

都知事選の状況はめちゃくちゃシビアだと聞いてます。残念ながら、このような選挙戦略の転換を行ったところで、小池百合子には追いつかない可能性が非常に高いです。なにより、あまりにも時間が足りない。情報を届かせ、人の意識が変わるのは、時間がかかるのです。

でも、この新しい選挙の方法論は、必ず将来の礎になると僕は考えます。彼らは、そのために立候補したのではないでしょうか。

もう、ばかばかしい言い争いはやめましょう。宇都宮けんじと山本太郎と共に、私たち一人一人の力で、本当の民主主義を創っていきましょう。人気投票から民主主義へ、この選挙戦のゲームチェンジだけが小池百合子に勝てる唯一の方法なのです。

最後に

みなさん、長い長い記事を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。

僕がここで提案した「本当の民主主義の方法論」は、決して「正解」ではありません。僕としては、皆さんがぜひそれぞれ、新しい選挙のあり方について考え、発信してくれることを望んでいます。異論があればぜひオンラインで議論しましょう。

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都知事選二人出馬は、民主主義のゲームチェンジャーとなりうるか 後編

馬の眼 ishtarist

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社会問題研究家。 専門は、社会哲学・社会システム論(経済含む)・データ分析・カルト研究。 著書に「リベラルの育て方」https://amzn.to/357sDCG 「人権の経済システムへ」https://amzn.to/3bHUGev TwitterID:@ishtarist

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