見出し画像

上野千鶴子の歴史修正主義② 歴史修正主義を正統化したのは誰か?

上野千鶴子一派の歴史修正主義を検証する連載、第二回です。

第一回のnote記事では、従軍慰安婦問題の第一人者・吉見義明と上野千鶴子の歴史修正主義をめぐる論争を紹介しました。

上野は、歴史の事実など存在しない、色んなものの見方があるだけだと主張し、「単一の歴史的事実」の存在を信じている時点で、自由主義史観も吉見らの(正統な)歴史学もどっちもどっちだ、と批判したのです。

それに対して、吉見は、「学問であれば、複数の構成された「現実」のうち、どれにより説得力があるか、どれに根拠がないか、ということ、つまり実証性が問われなければならない」と反論し、「上野流フェミニズム社会学」の学問としての資格に重大な疑義を投げかけました。

今回は、『ナショナリズムとジェンダー』を取り上げ、社会構築主義が歴史修正主義に近接していくことを示します。

『ナショナリズムとジェンダー』の方法上の問題

1998年に出版された『ナショナリズムとジェンダー』は、序節「方法の問題」で、歴史とは「現在における過去の絶えざる再構築」であり「時代や見方が変わるにつれ、いくども書き換えられる」と論じます。

(以下、ちょっとややこしい議論だと思いますが、上野一派の思想と運動を理解する上で最も重要な箇所です。できるだけわかりやすく解説します。)

歴史学者たちが様々な資料や証言を集め、議論の中で学問を構成しているのは当たり前のことです。その意味で、吉見は様々な歴史像が存在することを認めます。

しかし、上野が次のように主張するとき、単に構成された「歴史像」の複数性ではなく、「単一の歴史」そのものの実在を否定します。

「言語論的転回 linguistic turn」以降の社会科学はどれも、「客観的な事実」とは何だろうか、という深刻な認識論的疑いから出発している。歴史学も例外ではない。歴史に「事実 fact」も「真実 truth」もない、ただ特定の視覚からの問題化による再構成された「現実 reality」だけがある、という見方は、社会科学の中ではひとつの「共有の知」とされてきた。社会学にとってはもはや「常識」となっている社会構築主義(構成主義) social constructionismとも呼ばれるこの見方は、歴史学についてもあてはまる。(p.12)

要するに、歴史には単一の事実など存在せず、モノの見方の方が「事実」を決めるのだ、ということです。

しかし、そうだとするならば、吉見が言うように、「どの視点を信ずるか、あるいは好むかという信仰や嗜好の問題になってしまう」のではないでしょうか。

おそらく、そうなのでしょう。実際、上野は次のように書いています。

したがって、他の社会科学の分野と同様、歴史学もまたカテゴリーの政治性をめぐる言説の闘争の場である。わたしの目的はこの言説の権力闘争に参入することであって、ただひとつの「真実」を定位することではない。(p.12)

しかし、(それぞれ異なる歴史像の手前に)「歴史的事実」があるという前提がなければ、議論は成立しえなくなります。それでは言葉を使った、論理も事実もない闘争だけが残ることにならないでしょうか。

古来より、権力者たちは歴史の隠蔽・捏造を試みてきました(崔杼弑君)。しかし、学問を生身の権力闘争へと変えてしまうなら、私たちは何をもって「学問の自由」を守ることができるのでしょうか。

上野は歴史修正主義を正統化する

上野は、歴史修正主義との闘争について次のように書いています。

その限りで、社会構築主義は、たとえば「ナチ・ガス室はなかった」とする歴史修正主義者 revisionistとの「歴史と表象」をめぐる闘いを避けて通ることはできない。(p.13)

しかし、続く文章を読むと、本当に「歴史修正主義者との闘い」をしているのか、疑わしくなってきます。

たとえば、戦時下の歴史記述について、「歴史の偽造を許すな」「歴史の真実を歪めるな」というかけ声がある。この見方は、歴史に「ただひとつの真実」がそこに発見されるべく存在している、という歴史実証主義 historical positivism の立場を暗黙のうちに前提しているかのように聞こえる。だが、「事実」はそのまま誰が見ても変わらない「事実」であろうか?(p.13 強調はishtaristによる)

これでは、「ガス室はなかった」というネオナチの見解も、「見方による」ということにならないでしょうか。これでどのように歴史修正主義と戦うのでしょうか。

むしろ歴史修正主義を(メタレベルから)肯定する結果になります。実際、社会構築主義や「ポストモダン」というロジックは、右翼・歴史修正主義者側に採用されるようになりました。歴史修正主義を理論的に正統化したのは上野千鶴子だったのです。

上野と侵略戦争の相対化

さらに、上野自身が歴史修正主義へと接近する可能性についても指摘しておきます。「事実」や「論理」を否定する以上、彼女が歴史について述べるとき、それが歴史修正主義的言説なのか、事実に対して誠実であろうとする学問的議論なのか、本人の中で区別のつきようがないはずです。

(以下、金富子の論文「上野流フェミニズム社会学の落とし穴」もぜひご参照ください)

『ナショナリズムとジェンダー』の前半において集中的に批判されているのが女性史家である鈴木裕子です。鈴木は、戦前の女性運動のリーダーである市川房枝や平塚らいてふらが行った戦争加担・戦争責任を明らかにしました。

その研究を、上野は「反省的女性史」「加害者史観」と呼び、強く批判します。

彼女たちの「戦争協力」を「誤ち」と断罪するには、二つの条件が必要となる。第一は,「あの戦争」が「誤ち」であるという判断、第二はしたがってその「誤ち」を見抜けなかった「無知」と歴史的「限界」の指摘である。その種の「誤ち」を指摘する視点は、つねに事後的かつ超越的なものにならざるをえない。(p.82-83)
「国家」の限界と「天皇制」の悪は、歴史によって事後的にのみ宣告されたもので、そのただなかに生きている個人がその「歴史的限界」を乗りこえられなかった、とするのは歴史家としては不当な断罪ではないだろうか。(p.83)

つまり、当時の日本社会では、「国家」や「天皇制」さらには「あの戦争」は悪いものではなかったのだから、歴史家として断罪するのは間違っているという主張です。

さらに上野は、「良い戦争」と「悪い戦争」はそもそも区別できるのか、ファシスト国家に属する女性には「反省」の必要があり、連合国民の女性は「反省」の必要がないのか、と問うています(p.88)。

私はこれはさすがに詭弁が過ぎるだろうと思うわけです。その狙いは、「日本の侵略戦争は悪である」という価値観の否定であることは明確です。

このように上野の論調は、歴史修正主義者の論調と似てくるわけです。むしろ、今のネトウヨのロジックの元を丁寧にたどれば、上野がルーツの一つである可能性も十分にありえそうです。

ただ、大事なことは、歴史修正主義への近接が「社会構築主義」の論理的な帰結であるということです。事実も価値観も、それぞれの社会によって構築される相対的なものであって、そこには互いに優劣がないことになるからです。

詳しくは次のnoteに譲りますが、上野は先の著書の後半部分において、人権概念をも相対化し、そのことを論拠として従軍慰安婦制度を性奴隷制度とみなすことを否定したことを示していきます。

ここから先は

0字

¥ 250

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?