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上野千鶴子の歴史修正主義 ① 従軍慰安婦問題をめぐる歴史学との論争、あるいは「上野流フェミニズム社会学」は学問と呼ばれる資格があるのか

フェミニズムは歴史修正主義と戦ってきた?

最近、「フェミニズム VS 歴史修正主義」という図式で語る人が増えているように思います。

文化人類学者・山口智美はあるインタビューで、日本会議および安倍晋三が、従軍慰安婦問題に対する歴史修正などを通じて、フェミニズムに対するバックラッシュを仕掛けてきたと主張しました。

もちろん、それは事実です。2005年、戦時性暴力の問題を取り上げようとしたNHKの番組を、安倍晋三が改変させたという事件がありました(NHK番組改編問題)。

しかし、「フェミニズム VS 歴史修正主義」という単純化された議論において、あまり語られないことがあります。

フェミニズム研究の重鎮・上野千鶴子一派の「歴史修正主義」についてです。

ここで私は、「歴史修正主義」という言葉によって、上野らが自分たちの都合が良いように事実をねじ曲げているということを、いま問題にしたい訳ではありません。

むしろ、上野千鶴子とその一派が、過去20年以上にわたって、とりわけ従軍慰安婦問題における歴史修正主義の最大の推進者であった、という話をしたいのです。

このような話をすると、多くの人には非常に驚かれます。「フェミニストは女性の人権向上のために戦ってきた人たちで、上野さんはその中でもっとも偉い人」ぐらいの世間一般のイメージと、あまりにも乖離しているからでしょう。しかし、上野らが歴史修正主義の推進者であるというのは、一般社会で語られることがあまりないとしても、人文社会系の研究者の間ではほぼ常識のはずです。

たとえば金富子は、2008年に書かれた『歴史と責任 ―「慰安婦」問題と一九九〇年代』において、歴史修正主義を推進してきた人間として、安倍晋三・和田春樹・上野千鶴子・朴裕河の4人を挙げています。そして、この状況は、現在もなお続いているのです。

一連のnote記事では、以下のような内容を一般の人でもわかりやすいように整理していく予定です。

・上野千鶴子が、歴史学者に対して論争をしかけ、歴史修正主義を理論的に正統化しようとしてきたこと。
・上野一派が、従軍慰安婦に対する歴史修正主義的な見解を普及し、それを多くのリベラル系の知識人・フェミニズムの研究者が受容してきたということ。
・そして、上野らを中心としたリベラル研究者たちが、被害を訴える元・従軍慰安婦の声を抑圧する大規模な運動を行ったこと。

また、私が紹介する資料群を実際に読んでいただければ、さらに正確に議論を理解できると思います。

一連のノートにおける私のスタンスについて

本論に入る前に、私のスタンスを明確にしておきます。

従軍慰安婦問題は、単なる歴史認識の問題ではありません。この問題について歴史修正主義を擁護することは、学問として不誠実である以上に、性奴隷制度の最も深刻な被害者に対する人権侵害です。私は、上野一派が「フェミニズム」の名において、被害者にたいする人権侵害を正統化し、また自らも行ってきたのかを、多くの人に示したいと思ってこのNoteを書いています。

ただ、こうした「不都合な事実」について語ると、必ず言われることがあります。それは、「あなたがフェミニズムを批判するのは、男性中心主義社会を守りたい差別主義者だからだ」という類いのキメツケの刃です。

実際、私が「フェミニズムのバックラッシュ」について語ったツイートに反応して、私が民族中心主義者であるかのような根拠のないデマを、著名な研究者たちから拡散されたことさえありました(twitter参照)。

ともあれ、私としては、自分のスタンスを明確にしておきます。

ひとりひとりの人権と生命の側に立って擁護すること。

たったこれだけです。

言うまでもないことですが、擁護するべきは、女性の人権も含めてです。私は基本的人権の普遍的価値を信じていますし、社会的属性によって守られる「べき」人権の優劣はないと考えています(優劣があればそれは基本的人権ではありません)。

なので、私が彼ら・彼女らに反論するとすれば、たった一つです。

女性の人権よりも自分たちの理論や運動の名誉を守りたいのであれば、どうぞご自由にしてください。
私は、『差別主義者』というレッテルを恐れるよりも、一人一人の人権を守る道を選びます。

どちらが「フェミニスト」と呼ばれるに値するかは、他の人の判断にお任せします。

上野千鶴子による「実証史学」批判

1990年代後半、上野千鶴子が正統な歴史学に対して、論争をしかけました。相手は歴史学者の吉見義明です。映画『主戦場』で大きく取り上げられた、従軍慰安婦問題の第一人者であると言えば、思い当たる方もいらっしゃるでしょう。

当時の吉見は、「新しい歴史教科書をつくる会」に所属する歴史修正主義的な研究者たちと、慰安婦問題をめぐって論争をしていました。

その論争に上野は割って入り、吉見側を批判したのです。その内容は以下のようなものでした。

①吉見は、歴史の「事実」はだれの目にも単一であると考えている。
②「事実」は、文書資料、物証、証言などによって裏づけられなければならないと考えている。
③「口頭の証言より文書資料、文書資料より物証という序列」づけをしている。

上野はなぜ吉見を批判しているのでしょうか。上野は『ナショナリズムとジェンダー』において、次のように書いています。

歴史に「事実 fact」も「真実 truth」もない、ただ特定の視覚からの問題化による再構成された「現実 reality」だけがある、という見方は、社会科学の中ではひとつの「共有の知」とされてきた。社会学にとってはもはや「常識」と」なっている社会構築主義(構成主義) social constructionismとも呼ばれるこの見方は、歴史学についてもあてはまる。

要するに上野は、歴史の事実など存在しない、色んなものの見方があるだけだ」と主張しているのです。その考えはもはや「最新の社会科学の常識※」なのに、歴史学者たちはいまだに「単一の歴史的事実」があると信じている。その点で、自由主義史観も、吉見らの(正統な)歴史学も、どっちもどっちだと批判したのです。

※余談ですが、このようなものが社会科学の常識であるという主張に、強く異議を唱えておきます。私はフランス現代思想を研究してきましたが、彼女が錦の御旗に挙げている「ポスト構造主義」の哲学者の中で、このような主張をしている人はちょっと思い当たりません。いみじくも上野らが研究者ならば、「社会科学の常識」「ポスト構造主義」などという言葉でごまかさず、自分たちの主張の根拠となる具体的な著者と文献を明記すべきです。

吉見義明による反論

以上のような上野による議論は、事実上、歴史学を批判し、歴史修正主義をメタレベルから擁護するものでした。なぜなら、「歴史学」も「自由主義史観」も、「どちらも数あるモノの見方の一つにすぎない」ということになるからです。

こうした議論を、吉見が受け入れるわけもなく、上野に対して厳しく反論しました。

まず第一に、吉見は、上野が慰安婦問題について初歩的かつ重大な事実誤認を重ねていることを批判します。たとえば、吉見氏が「朝まで生テレビ」で「軍関与を示す書類が存在しないと認めた」というのがそもそも「大ウソ」であること、1992年に吉見が発見した公文書こそ軍関与の直接的証拠であること、また彼女が強制連行と軍関与の基本的な区別すらついていないこと、などです。

言い換えれば、上野の慰安婦問題に関する認識は、それ自体が「歴史修正主義的」なものであることを、吉見は明らかにしました。

第二に、吉見は、上野による「実証史学」批判に反論します。

同じ対象を取り上げた場合でも歴史像は単一ではないということは、 歴史学の「常識」に属する事柄であり、それぞれの視点や史料の取り扱い方により、再構成された歴史像が、どのように「事実」に迫りえているか、どの程度の説得力があるか、総じて歴史家が文書・記録・証言・物証などによってどれだけ論理的・説得的に構成されているかが問われるのである。

「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える(吉見義明)

それぞれの研究者の視点によって構成された様々な歴史像の中で、文書や証拠などによっていかに論理的・説得的に構成されているかが大事だ、そうでなければ学問は成り立たない、という当たり前の反論です。

吉見は次のように批判します。

上野氏の立場にたてば、大事なことは、「それを構成する視点」であることになり、そうだとすれば、視点によって無数の「現実」があることになり、どの「現実」をとるかは、「それを構成する視点」の内のどれかを選ぶかによって決まってくることになる。これでは、不可知論になるか、どの視点を信ずるか、あるいは好むかという信仰や嗜好の問題になってしまうではないか。
少なくとも学問であれば、複数の構成された「現実」のうち、どれにより説得力があるか、どれに根拠がないか、ということ、つまり実証性が問われなければならない。
「従軍慰安婦」問題と歴史像-上野千鶴子氏に答える(吉見義明)

次回の予告

以上、上野千鶴子が歴史学を批判し、歴史修正主義を正統化してきた経緯をみてきました。

ともあれ、吉見氏の反論は非常に重要です。彼は「上野流フェミニズム社会学」はそもそも「学問」と呼ばれるに値するのか、と問いかえしたのです。

続くnote記事では、上野千鶴子の『ナショナリズムとジェンダー』を解き明かす中で、彼女が事実を相対化するだけでなく、人権概念をも相対化することによって、「従軍慰安婦は性奴隷制度である」という見方を批判したことについて書きます。

おしらせ

本連載は、原則として無料公開の予定です。

ただし反響によっては、一部ないし全文を有料化する可能性があります。なので、投げ銭方式であらかじめ値段を設定しておきます。予めご購入いただければ、有料化されても読めるはずです。

どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。

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