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新型コロナ:日本の検査戦略はどこで間違えたのか―政府が緊急事態宣言を出さないわけ―

政府が緊急事態宣言を出さない理由

オミクロン株の現状

オミクロン株が全国的に猛威を振るっています。
新規陽性者数は、連日10万人前後を記録。死亡者数も急増し、2月10日には175人。これまでの感染の波を凌駕して、明らかに過去最悪の状況となっています。

厚生労働省 新規陽性者推移
厚生労働省 死亡者数推移

なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか

しかし、このような状況において、政府の対応は非常に鈍いと言わざるをえません。とくに、未だに緊急事態宣言がどの都道府県でも発動していないことは、理解が困難です。

なぜ政府は動こうとしないのでしょうか。
岸田首相は2月9日、次のように語っています。

岸田首相は9日、首相官邸で取材に応じ「国民の皆様の協力で、感染拡大のスピードは明らかに減少している。先週と今週の比較では、沖縄県や広島県では1.0倍を割り込んでいて、感染者数の増加速度が減少し始めている。東京でも、1.1倍となっていて、まん延防止等重点措置の適用を始めた2週間前の2.6倍と比較すると、半減している」と述べ、一連のコロナ対策で、感染拡大の速度が減少していることを強調した。(強調は引用者)

FNNプライムオンライン 

要するに、感染拡大速度が減速しているから、特別な対策を取らなくても、近いうちにピークを超えるだろうという訳です。

尾身会長らがピークアウト予測をしていた

岸田首相だけではなく、政府周辺の専門家たちの共通認識のようです。
厚労省のアドバイザリーボードによる政府向け提言案によれば、「早ければ、この2週間前後でピークが到来する可能性」について記載されているのです。

内閣官房 新型インフルエンザ等対策推進会議 第21回資料


この提言が出てから20日が立ちますが、ピークアウト予測が外れたのは明白です。
最近、政治学者()の三浦瑠麗が、近日中のピークアウトを「予言」して炎上していましたが、尾身茂会長や岡部信彦・押谷仁ら厚労省のアドバイザリーボードの錚々たるメンバーたちも、同レベルの認識だったということです。

実効再生産数にもとづく政策決定は間違っている

政策決定において、岸田首相が(そしておそらく専門家たちも)参照しているのが、「実効再生産数」という指標です。「実効再生産数」は(ある時刻tにおける, 一定の対策下での)1人の感染者による二次感染者数」と定義されます(国立感染症研究所)。近似的には、一定の日数前の感染者数からどれだけ増えたかで計算されます。(下記東洋経済のデータでは2日前)

東洋経済 新型コロナウイルス国内感染の状況 実効再生産数


しかし、「実効再生産数」をもとに、政府が政策決定を行うことは、科学的に完全に間違いです。この数値そのものに、意味がないからです。その理由は後ほど解説します。

データ分析の世界ではよく、"Garbage in, Garbage out"と言います。ゴミのようなデータに基づいて分析を行えば、無意味な結果が返ってくるということです。そして、日本の専門家たちが間違ったデータ分析を行えば、それは国民の甚大な犠牲という結果を伴うのです。

データと社会システム

「データに基づく科学的判断」とはどういうことか

「データに基づく科学的政策判断」とは、いったいどのようなことでしょうか?

どうも尾身会長も岸田首相も含めて、政策決定者たちも、統計データは社会そのものを反映していると考えているようです。データと社会の関係は、そんな簡単なものではありません。

データを正しく解釈するためには、どのようにデータが構築され、私たちの元に届けられているのか、そのプロセスの全体像を理解する必要があるのです。

実際の社会の中の感染拡大とデータとの関係について、簡略化された(理想的な)因果ループ図を示します。

(感染拡大とデータの関係 ishtarist作成) 

この図が意味するところは、以下のとおりです。

  1. 社会の中でウイルス感染が拡大再生産される

  2. 感染者の一部が検査される(PCR検査・抗原検査など)

  3. 検査された人は医療によって保護される

  4. 検査と医療機関が作成したデータにもとづいて、陽性者数や実効再生産数などが集計される

 繰り返しますが、以上のプロセスは、もちろん「理想化されたモデル」にすぎません。ですが、この因果ループ図が基本です。これをベースに、適宜必要な要素や因果関係を加える形で検討していくと、新型コロナ感染の全体像を把握できます。

見えるデータと見えない社会

さて、政策決定者が本当に気にかけないといけないのは、左側の赤い感染拡大のループです。

しかし、政策決定者にとっては、目に見えるのは「集計データ」だけです。集計データの手前には、「検査」や「医療」、さらに「現実の社会の中における感染拡大」が存在します。

本来ならば、為政者がなすべきことは、目に見えるデータや情報から、目に見えない社会の現状を再構成することのはずです。データが歪められて適切に社会の現状を把握できていないなら、その歪曲ポイントを探り当て、修正する必要があります。

本来、そうやって推測された社会的現実が適切なものだからこそ、正しい政策を行うことができるのです。これが本来の「データリテラシー」です。

しかし残念ながら現状では、政治家たちだけでなく、専門家たちも必要不可欠なデータリテラシーを持っていないようです。データのの手前にある「本当の社会」の存在は、きれいさっぱり忘れさられてしまい、データが「社会そのもの」であると思い込んでいるのです。

感染者と陽性者は異なる

データは社会ではありません。そうではなく、データは社会によってつくられるものです。

データと、その向こう側にある「社会」を区別して理解するということは、新型コロナの文脈では、まず陽性者と感染者の違いを理解するということです。

私はここで、PCR検査懐疑論者が言うように、偽陽性の問題を指摘したいわけではありません。

そうではなく、感染者は検査によって、初めて「陽性者」としてカウントされるという当たり前の事実を指摘したいのです。
(データとして計上される)陽性者は、感染者のごく一部が反映された「影」にしか過ぎないのです。この「影」から社会の向こう側の「生きて苦しんでいる膨大な感染者」を想像する能力が、政策に携わる人には必要とされているのです。

検査数が圧倒的に不足し、検査陽性率が著しく高い水準を維持している現状では(東京都の陽性率は2月9日現在で39.9%)、陽性者数から政策決定に意味がある情報は引き出せません。

たとえ社会全体で毎日何百万人の感染者が発生しようと、30万件しか検査キャパがなかったら、陽性者は30万人を超えることはないのです。感染が拡大しすぎても、データ上の実効再生産数は1前後となるのです。

データと社会の関係を正しく理解する

大切な論点なので、データと社会との関係について、もう少し解説します。

多くの人はなんとなく、データは社会を(おおかれ少なかれ正確に)反映したものであると考えています。たとえば、本日の新型コロナ陽性者が10万人であると発表されるとき、それを文字通り「感染した人は10万人だ」と理解するわけです。

しかし、この10万人という数字は、どうやって作られたものなのでしょうか?ちょっと考えてみてください。

たとえば、数日前、私がとつぜん発熱したとします。保健所に何度も電話をかけてやっと医療機関を紹介され、その翌日、診察とPCR検査を受ける。そしてその結果が病院から保健所にFAXで送られ、保健所職員がシステムに手入力する。この膨大な社会的プロセスを通じて、初めて私が今日、1人の陽性者としてデータ計上されるのです。

感染者がデータとして計上されるこの膨大な「パイプライン」の中に、どこか一つでも滞りがあれば、情報は正確に反映されません。たとえば、

  • 感染したけど症状が出ず、自分が陽性だと気づかない

  • 保健所に電話がつながらない

  • 医療機関から診療を断られる

  • 検査資材や検査機器が不足して、検査が受けられない

  • 保健所が人手不足で、検査データをシステムに入力できない

  • FAXの紙が切れた

  • 集計システムに設計ミスがある

これらすべての問題がクリアされて初めて、データはある程度、社会の感染実態を反映するようになるのです。逆の言い方をすれば、データが社会実態を正しく反映するためには、感染者と最終集計とを繋ぐデータパイプラインが理想的な形で設計され、すべての箇所で破綻することなく運用される必要があるのです。

そうでない場合、データは感染実態そのものではなく、「パイプライン」の歪みを意味するものとなるでしょう。

なお、データや科学と社会との関係については、科学社会学の不朽の名著、ラトゥール『科学が作られているとき』をぜひご参照ください。

いま、現実の社会で進行している恐ろしい出来事

政策決定者たちは、結果として現れた集計データだけを文字通りに受け取り、陽性者が横ばいになっている(=実効再生産数が1に近づいている)ため、ピークアウトが近づいていると判断しています。

もし、データの手前にある「目に見えない社会」について最低限の想像ができていたら、そのような判断には絶対なりません。

実際には、何が起きているのでしょうか。


感染拡大の現状 ishtarist作成


上の図が、様々な状況から推測できる、新型コロナ感染の現状に関するモデルです。先の図と異なるところがいくつかあります。

  • 感染者が多くなりすぎたため、ほとんどの感染者が検査にありつけない。

  • 検査のキャパシティが、供給がますます逼迫する検査資材によって制限を受けている。

  • 検査にありつけた一部の人のうち、さらに一部しか医療保護されない。

  • 自宅療養者は家庭内・地域内の感染拡大に寄与する。(食料などの供給がないため、外出せざるを得ない。

このモデルにおいても、表向きのデータ上は、「陽性者数」はほぼ横ばいか微減傾向で、実効再生産数が1前後まで減速してきたように見えるわけです。しかしその裏側では、恐るべき速度で感染拡大が進行している可能性があるのです。何せ、わが政府はピークアウトを予測し、必要な対策を完全に怠っています。勝手に感染者数が減る道理がないのです。

その結果、多くの感染者が検査にも繋がれず、医療にもつながることができないまま、自宅や施設でひっそりと亡くなっていっている可能性が高いものと思われます。

たとえば、私は数日前に次のようなツイートをして、感染がいまだに拡大フェーズである可能性を示唆しました。

直近のPCR検査件数が減少している原因について考えられうるのは

  • 検査需要が多すぎて、検査資材が不足している

  • (陽性者データだけカウントされて)検査件数だけ集計が追いついていない

のどちらか(あるいは両方)だと思われます。

ともあれ、単に数字の表面だけを見るのではなく、今起きている様々なニュース(医療崩壊・集計崩壊、搬送の困難など)を総合して判断する必要があるのです。
そうして総合的に判断する限り、感染者数がピークアウトを迎えつつあるというアドバイザリーボードの解釈よりも、実際にはまだ感染拡大フェーズであると考えるほうが、よほど整合性が高いと思います。

必要なのは、検査戦略のコペルニクス的転回

大切なのは検査されなかった感染者数である

ここまでは、(とりわけ検査飽和について)多くの識者が指摘していることとを、単に図式化したにすぎないとも言えます。

せっかくの記事なので、私の専門であるシステム論とデータ分析の観点から、他の人があまり書いていないことを述べたいと思います。

政府の政策決定者たちは、データとして可視化された「陽性者数」に注目して行政判断を行っています。この見方に対して、コペルニクス的転回を提唱したいのです。

実は、社会全体の感染という意味において、検査によって確定された「陽性者」は大して重要ではありません。むしろ本当に大切な指標は「感染しながら検査されなかった人数」だということが、因果ループ図から一目で読み取れます。

なぜか。当たり前の話ですが、検査によって確定された陽性者は、理想的な状況においては、感染拡大に大きな寄与をすることはありません。それに対し、検査されなかった感染者は、さらなる感染者を生み出すからです。

医療政策を考えるならば、陽性者数も大切です。しかし、感染拡大を食い止める目的では、可視化された「陽性者数」に着目してはいけないのです。そうではなく、この目的においてほんらい真に重要なKPIは、陽性者の裏側にいる、「検査されなかった感染者数」(=感染者数ー陽性者数)なのです。この指標を最小化すること(すなわち感染者のほとんどを検査すること)は、ただちに感染抑制の成功を意味するからです。

この「非検査感染者数1人」が次の感染者を何人生み出したのか、それが「真の実効再生産数」です。感染抑制のKPIとしては、こちらも非常に重要です。感染者数が増えすぎて検査が追いつかないときは、ロックダウンなどの手段によって実効再生産数に介入する必要があります。

逆に、上の因果ループ図をもとに考えると、通常「実効再生産数」と呼ばれている指標が、どれほど役に立たないかがわかります。なぜなら、ある日の陽性者数と、数日後の陽性者の間には、ほとんど因果関係が存在しないからです。なぜなら感染者は、検査されて保護(隔離)されて陽性者になったとたんに、感染拡大の循環から外れるからです。このような意味をなさない「偽の実効再生産数」を元にして、政策決定をしてはいけないのです。

検査戦略のコペルニクス的転回

ですが、「検査されなかった感染者数」を把握する、そんなことが可能なのでしょうか?やみくもに検査数を増やしてもわかりません。警察官をどれだけ増やしても、「通報さえされなかった闇の犯罪件数」がわからないのと同じです。

一見難しそうな課題ですが、実はそんなに難しくありません。

たとえば、日本全体の内閣支持率を調べるときに、全国民にアンケート調査を行う必要はありません。ごく一部の人に電話調査をすることで、全体が推計できるからです。

一番シンプルなのは、ランダムサンプリング検査でしょう。毎日、国民から何万人かを無作為で抽出して、検査をお願いするのです。
精度ではPCR検査では抜きんでていますが、感度・特異度が一定であれば、抗原検査も実態把握に使えなくはないはずです。あるいは、家族でPCRプール検査をしてもらうならば、検査数は稼げる可能性が高いでしょう。

検査結果が陰性の場合、飲食店や旅行クーポンを配布する。陽性ならば医療に繋げる。そうすれば、多くの人が喜んで協力してくれると思います。

このような制度設計によって、日本全体の感染者数・感染率だけでなく、地域別の感染率の高い地域、あるいは感染者数の推移、感染ピークなどをかなりの精度で推測できるはずです。感染率が特に高そうな地域がわかれば、重点的にサンプリング検査を増やすことで、より精密な推測ができるはずです。

そうすることで、これまでの検査・統計では見えなかった「社会の感染実態」を、おおむね可視化することが可能です。

そうやって実際の社会や社会における感染者数を推測できれば、そこから様々な検査による陽性者数を引き算することで、「検査されなかった感染者数」が推測できます。そうすれば、このKPIを最小化するために、どれだけ医療・防疫目的の検査を増やさなければいけないのかもわかります。

日本の検査戦略がどこが間違っているのか

繰り返しになりますが、日本政府は、感染者と陽性者の違いを理解していません。そして、陽性者数にもとづいて無意味な「実効再生産数」を算出し、政策を決定しています。

本質的な問題は、医療目的のための検査をベースに統計を作成し、政策決定をしたことにあります。

そもそも検査には3種類の目的があります。

  1. 治療目的 誰が感染しているのかを見極め、治療するため

  2. 防疫目的 誰を保護(隔離)するべきかを判断し、次の感染者を生み出さない

  3. 統計目的 政策決定のために、社会の実態を知る

現状の新型コロナ検査は、PCRであれ抗原検査であれ、基本的に①と②の目的です。しかし③の、社会の実態を知るという目的のために、そのまま使うことはできません。

そもそも、検査数の問題ではなく、治療・防疫目的の検査と、統計目的の検査をきちんと分けて考えなかったことが問題の本質なのです。

だからいま、特定の地域で感染拡大しているのかピークアウトしているのかもわからないまま、政策決定をしているのです。

これは「単に検査数が足りてない」ということではありません。そもそも、医療・防疫目的の検査と、統計検査を分けなかったために、いまどれぐらいの検査数が本当は必要なのか誰にもわからない状況になっている、そのような状況を放置してきたこと自体が問題なのです。

言い換えれば、医療・防疫目的の検査とは別に、社会の感染実態を把握する統計データを確保してこなかったことこそが、本質的な検査戦略の間違いなのです。

まとめ:なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか

政府が緊急事態宣言をださない本当の原因についてまとめます。

  • 政府とその周辺の専門家たちは、データと社会の関係を理解していない。つまり、データが社会そのものであると勘違いし、向こう側にある社会を推測する能力が欠如している。

  • そのため、医療・防疫目的の検査とは別に、感染実態を把握するサンプリング検査の重要性を理解していない。

  • それゆえ感染者と陽性者の違いがわかっておらず、陽性者の推移から実効再生産数を算出するという誤謬を犯している。

  • そうやって計算された「偽の実効再生産数」から、ピークアウトしつつあるという誤った結論を引き出している。

読者の皆様へ

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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