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『ジェイソン・ボーン』(10/7公開)

 すごいよね。感無量だよね。「ボーン」シリーズが、ここまで息の長いシリーズになるとは(旧三部作の最後『ボーン・アルティメイタム』は2007年の制作で、気がついたら9年もたっていた)マット・デイモンは「ポール・グリーングラスが監督しなければ出演しないと言っていて、スピンオフ作品はマット=ボーンが出演しなかった。そのふたりが作り上げたキャラクターが堂々の復活である。 
 それまで「スパイ」といったらMI6のジェームス・ボンドが金字塔だったのに、いつのまにやらまったく別のキャラクターで分け入り、今やスパイと言えばジェイソン・ボーンはジェームス・ボンドと同じぐらい、いや、以上に「スパイ映画」の代表格の地位を固めつつある。余談だが、一緒に『スペクター』を見に行ったふたりのティーンエイジャーのめいたちは、ボンドより若きパソコンギグの「Q」の方が完全に好みだと目を輝かせており、ボンドは若い世代にはセックス・シンボルですらなくなっているのだ。私もそう思う。パソコンが調子が悪くなったら、「直して」と頼むのはQでありボーンであってボンドではない(ボンドは直せるのだろうか?)そのえ、ボーンにはQにはない身体能力も備わっているのだからね。

 ジェームス・ボンドは、ハリウッドがセクシズムばりばりだった頃に作られたキャラクターだった。無責任ぶりで言えば、植木等の「スーダラ節」とあまり変わらない。ほんとに酒ばっかり飲んで、あんまり仕事をしていない。そのキャラから、少しずつ現代的なキャラにしていこうとしても、無理があるのだ。『スペクター』でも、砂漠の中であのタキシードとボンド・ガールのドレスはどこから出て来たのか? とか、突っ込みだしたらきりがない。

 ジェイソン・ボーンは、冷戦が終わり、女性をトロフィーとして見る時代が(一応)終焉し、仕事ができない男は首を切られ、仕事ができても都合が悪くなると抹殺され、だから「俺は何ものなんだ?」という問いを男が発するようになってからクリエイトされたキャラクターである。だから一作目のタイトルは「ボーン・アイデンティティ(生まれ出たアイデンティティ)」なのである。寅さんとかボンドとは別の意味での「男はつらいよ」を表現するキャラクターなのである。でも、ボーンの「つらいよ」のほうがボンドや寅さんの「つらいよ」よりずっと現代的で、しかも現実の我々に迫る。それがボーンのここまでの人気の背骨(バック・ボーン!笑)としてある。

「ボーンが姿を隠していた9年のあいだに、世界にはいろいろなことがあった」とプレス資料に書いてある。ボーンはスパイ・フィクションであってまったくの現実ではないけれど、我々と一緒に現実を生きるキャラクターだ。

 マット・デーモンが「グリーングラスとじゃなきゃイヤ」と思ってる気持ちもわかるような気がする。この作品に出演するまで、彼はそこそこの人気を築いていたけれど、それまでの彼の役は、「女性をトロフィーとして見る時代が(一応)終焉したけどあんまりモテ男ではなくて(どっちかというと奥手)今の社会に適合できず、都合が悪くなったら切られる筆頭、そして「俺は何ものなんだ?」という問いをいつも発していて、それゆえ人気があった。でも、彼の役は肉体派ではなかった。そこにふってきたのがこのジェイソン・ボーン役なのである。たぶん、見る人も本人達も、こんなんなキャラクターが現代を象徴するヒーローになるとは思わなかったんじゃないかな。でもなった。それで私もこうやって熱く書いているわけだ。そんな彼もかなり年をとってきたのに、ヒロインが(ただしジェイソンは最初の妻マリーが死んでから誰とも浮いた話はない)若くなって次々入れ変わる点のみは「あーあ」と思いますけど(たぶんそれも演出です)。

 六本木でのプレミア試写会でこのおふたりをお見かけしました。お姉様はお帽子をかぶり、妹さんは髪が赤いです。

 私は2回しかお見かけしたことがありませんが、周囲の方への丁寧な対応は2回とも噂どおりです。そして、きっとこの方たちも、スパイ映画がお好きなんですねえ。


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