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健康は、横に伸ばすと縦に伸びなくなる。

 昨日書きかけた記事ともう違う内容を書いているのだけれど、自分でいくつもの連載を掛け持ちできるのがnote のいいところなので、今日は標題のお話を書いていきます。

「健康は、横に伸ばすと縦に伸びなくなる」。

 2006年にナチュラル・ハイジーンを始めたとき、もっと健康になりたくて、なりたくて、しかたがなかった。今までとはまったく違う考え方でデザイされた献立を毎日食べて、毎日身体が変わっていって、それにともなってものの見え方が変わって、ついでに周囲の人の自分を見る目も変わった。行っても行っても先がある、そんな感じが楽しくてならなかった。

 本を出すところまでは、あれよあれよという感じだったのだけれど、その後、「自分が変わる、殻を破る」」快感というのは、明らかに減っていった。

「もうこれで終わりなのかな~。だったら自分が本当に好きなもの、食べたいな」とも思って、ヨーロッパに出かけて、野菜と果物と全粒粉パンと非加熱乳チーズもたくさん食べた。あれは本当においしかった。幸せでもあった。でも、「自分が変わる」「何かを突き抜ける」という感覚とは違っていた。

 2012年の秋に初めてゲルソン療法のWSに参加して、本当に久しぶりにあの「突破感」を味わった。できればこのままずっとこの食事のままいたかった。でも、社会的にうまく折り合える線を見つけられなくて何を食べたいのかわからなくなってしまった。

  その頃、パートナー候補とお付き合いしてみたのだけれど、相手が健康志向人であったにもかかわらず、食べものの折り合い点が見つからなかった(「動物性タンパク質は科学的に必要」と考えている人だったので、かえって折り合いがつかなかったというのもある)他にも合わない点があり、結局、食べものの線を崩しても関係を深めたいという人だとは思えなかったため、こちらからお断りした。その後も、「お相手と何を食べる?」というのがどうにもイメージできず、デートに誘われても二の足を踏むことがしばしばあった。

 2014年になって、今度こそ厳格ゲルソン生活に入ることになったきっかけは、「腰痛」「子宮筋腫」という2つの現象だった。でも、それは表面的な理由であって、「あの突破感を感じたい~」という希望にもう勝てなくなった、というのが深い理由だった気がする。最初のうちこそ、最初のうちこそ「突破の快感」「誰かと食事をシェアする快感」の間で揺れてはいた。でも、毎日起きる変化に、「突破の快感」のほうがどんどん強くなっていった。

 ものの見え方の変化は、ナチュラル・ハイジーンを始めたときの比じゃなかった。昨日も書いたけど、「食事をシェアすることのまったくないデートのお相手」が、もっとも私の邪魔をしないスバラシイお相手に変わってしまった。そのとき初めて「これが自分の、本当に責任のとれる心の声なんだ」と納得することができた。

 このすさまじい快感、今も「ローフードの素晴らしさを広め」続けていたら、きっと味わえなかったんじゃないか、と思う。昨日とまったく違うものの見え方が起きる。それが毎日起きる。細胞交換の早さは、思考の交換の早さと比例するのではないかと思うほどだ。

 ピンクの本を出して3ヶ月で増刷が決まった頃、「ローフード教室はやらないんですか」というオファーがたくさん来て、その頃、ローフードを「広める」団体も日本にできた。そして、それ以降、日本でもローフードは急速に広まっていった。でも、広まったのは「ローフード」なんだけど、「突破すること」「突破することに魅力を感じること」というのは、それにともなうほど広まってはいないように私には見えていた。

 それはそうだと思う。これはローフードだけにかぎった話ではないのだが、「広める」ことが目的になると、その「広めよう」としているもの(この場合はローフード)を選ぶのは、お客さん主体になる。「お客さん」が求めているローフードは、「おいしいローフード」「楽しいローフード」「キレイになるローフード」あ、あと「体調が改善するローフード」であって、「突破するローフード」ではないのだ。

「おいしいですよ」「楽しいですよ」「キレイになりますよ」「体調が改善しますよ」という言葉よりも「突破できますよ」という言葉の、なんと魅力のないことか(笑)(マーケティング的に)。

 「おいしくて」「楽しくて」「キレイになって」「体調が改善する」ローフードはそちらの人々のご尽力あって、人から人へ広がっていく。だけど、その人達が「突破すること」に魅力を感じていない以上、「おいしくて」「楽しくて」「キレイになって」「体調が改善する」でも「突破はしないようにできてる」商品ができちゃうのである。それが消費者のニーズだから。

横への広がりがパワフルになればなるほどそういうものなのだ。だって、横にたくさん広がるということは、広がった相手が集団(マス)化するということだから、多くのお客さんに満足してもらうというためには、「突破」という、エッジのきいた(=現在の自分を壊す)要素は、入っていないほうが安全、ということになってくる。多くの人に受けいられるようになると、不快な症状を引き起こすリスクを避けるようになってくるからだ。

 健康が横に広がると縦に伸びなくなる、というのは、そういうわけ。

 「おいしくて」「楽しくて」「キレイになって」「体調が改善する」ローフードを食べても、人は変わる。でも、実は、その変わり方というのは、人が変われる伸びしろの全部から見ると、実にちょっとだけなのだ。そして、「おいしくて」「楽しくて」「キレイになて」「体調が改善する」ローフードの私の苦手なところは、「それ以上変わりたくなくなる」ということなのだ。

 「縦に伸びる」ということは「おいしい」「楽しい」「キレイになる」「体調が改善する」という快感とは、まったく別のところに快感がある。「縦に伸びる」ということは、誰にとっても「楽しい」ことではない、どころか、実際、やっている私がいうが、毎日不快なことが(笑)多い。だって、その「不快」の中にいるということが「突破」なのだからね。

 そんなこといったら、やりたい人、ますますいなくなさそうだ……。

 でも、その快感を知ってしまってから、私は思ったのだ。

 もう、横に広がるローフードには貢献できないかもしれないし(意思を超えて勝手に貢献しちゃうっていうのなら別だけど)、意欲も持てないかもしれない。

 その代わり、突破して突破して縦に伸びて、「そこではこういうことが起こっているんだよ」と、レポートすることはできるんじゃないか。

 何よりも書いていたい人である私にとって、そこに一番の快感と、お役目と、キャッシュポイントを見いだせるんじゃないか。

 それはちょっと戦場ジャーナリストのようなものじゃないか、っていう考えが、このあいだ、ちらりと頭をかすめた。

 誰もがそこに行く必要はない。でも、そこで何が起きているか知ることは、意味がある。そこで何か起きているか知っているのと知らないのとで、人生が違ってくる。

 きっとそうなんじゃないかと思う。


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