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「人生から希望を奪うようないや〜な痛み」って……

 昨日書いた『ローフードは「知識」が一生のタカラ、ゲルソン療法は「習慣」が一生のタカラ。』 で、子どもの頃から感じていた腰の痛みを、「人生から希望を奪うような、いや〜な痛み」と書いた。

 この表現は、書く前から用意していたものではなくて、書きながら出て来たものだ。当時の痛みをどう表現しよう〜って考えていたら、ぽこっとこんな表現が出て来た。

 書くというのはときどきタロット・カードみたいな部分があって、書いてしまってから、「おお〜〜、そんなふうに考えてたのか」とか「そんなふうに感じてたのか」とかわかって驚くことがある。この腰の痛みに関してもそうだ。

 私が腰の痛みを感じてたことで、もっとも古い記憶は小学生のとき。

 その頃からいつも腰に手をやっていて、その日は、家族で、父の取引先の人と、すき焼きを食べに行った(今でも覚えている、浅草の今半だった)。この、家族の行事とお取引先の接待がごっちゃになった感じというのの嫌さも、今でも身体の中に残っていたりする……子どもの頃、戦争のことをいつまでもいつまでも繰り返し話すおばあさんがしつこくて嫌いだったりしたけど、自分も五十近くなって、当時の心の痛みをまだ繰り返し話してるおばさんになってきちゃったなあ。

 で、私がさもだるそうに歩いていたら、その取引先のおじさんが「ここが痛いんじゃない? それって腎臓が悪いかもしれないよ」といいながら、私の腰を親指でぎゅっと押してくれて、その指の感覚がまさに「つぼにあたる」というぐらい気持ちがよかったことをまだ覚えている。

 親の取引先の人に腰のつぼを押してもらう小学生って……なんだかやれやれだ。しかも腎臓の不調まで指摘されるなんて。

 腰の痛みはその後も続く。いちばん覚えているのは、武蔵小杉のマンションを売って六本木に引っ越して来て、さあ文筆業でがんばろうと思った瞬間、腰痛にやられたこと。その後も何度も、「私の好きなことをするんだ!」って思ったとたん、やられていた記憶がある。行きたい方向に進むとその前に壁が立ちはだかる。文字通り、「希望が奪われる」ような感覚だったわけだ。

 この痛みは、ナチュラル・ハイジーン、ローフードの生活になってからも続く。

 ゲルソン療法の食事に変えて、失ったものはいくつかあるけど(外食、会食の楽しみは極端に減った。デートで外食、なんていう可能性も、もうないかもしれない)、でも、この痛みをとるためなら、もう、しょうがないかなあ、という気持ちに、今は達している。外食や会食の楽しみは無いけど、人と交流したりすることは、今はネットの力もあるし、まあまあできている。というか、前より、交流しないとつまらない、さびしいという気持ちがなくなった。(それもまた習慣化かな?)

 それより、「希望を奪うような痛みがない」ということは、つまり、「希望を感じる」ということなのだ。

 それはとても大事だ。そのためには、他のことで少々得られないものがあったとしても、それはもうしょうがない、と思うようになった。

 

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