どうも親鸞です。

はいこんばんはー。

突然ですが、

浄土真宗を開祖した、かの親鸞聖人は、

このような言葉を残しております。

『善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。
しかるを世のひとつねにいはく。
「いかにいはんや善人をや。」』と。

まあ簡単にいうと、世間一般では、

悪人が往生できるんなら善人も往生できて当然

と考えるけど

善人すら往生できるんだから悪人も往生できて当然

なんだよ。

ということだそうです。

奇遇ですね。

ハイスペック男子たちが、毎日のようにどこかで

素敵な女性と繋がっている

いつか僕が繋がるのも当然なんだ

という信念ひとつで

ダラダラとマッチングアプリを続けている私と

全く同じ考えです。

そんな私は現代の親鸞といってもいいのでは

と思い始めている、

どうも、いしやまでございます。


さて、前置きが長くなりましたが、

お久しぶりでございます。

今年こそは、

noteの更新を頑張ろうと思い、筆を取りました。

ということで、本日は心機一転

自己紹介がてら、私が生きてきた

四半世紀とちょっとを

振り返って行こうと思います。

そんな私は、

平成5生まれ(早生まれなので平成4年世代)

でございます。

そうです。何を隠そう私は

ポケモンで道具の7番目でセレクトボタン押して
レベル100にしちゃったよね世代であり

BUMPすきなやつ、もれなくRADも好きになっちゃったよね世代であり

ガラケーの電池パックに彼女とのプリクラ貼っちゃったよね世代

なのであります。

まあそんな四半世紀ちょっとを簡単に振り返って

いきましょう。


まずは小学生の頃

2000年、小学2年生

ウリナリのマッターホルン登頂部に憧がれ

彫刻の授業で、見るも無惨なマッターホルンを

掘って周りから冷ややかな目で見られたこの年。

最近話題の森喜朗さんの第一次森内閣が発足。

この時は、まさか自分が老害として叩きに叩かれる

未来が来るとは想像していなかったことでしょう。



2004年、小学6年生

ココロオドルが収録されたアルバムを

すり減るほど聴いていたMDウォークマンを

かつあげされ大泣きしたこの年

アテネ五輪の開催。

内柴正人さんの金メダルが印象的でしたね。

内柴さん...

調べたところ現在は温泉旅館に

勤務されているとか


2005年、中学1年生

部活のミーティング中、

小便を漏らし、完全に私の学校での地位が

確立されてしまったこの年。

世間では、矢田亜希子と押尾学の熱愛が話題になり

山口もえと会社社長が結婚。

いやこの2組を並べたことに深い意味はないのですが


2008年、高校1年生

コンビニの前でヤンキーの自転車を倒し、

大勢の前で

ヤンキー(中学生)に土下座をしたこの年。

世間では、リーマンショックや北京オリンピック

と、話題は尽きなかった年ですが

やっぱり何と言ってもヘキサゴンの流行ですよね。

羞恥心の羞恥心や泣かないでなどヒットしたのが

この年でしたね。いやーすごい。


2013年、大学3年

初めてデリヘルを呼び、緊張して何もできず、

デリヘル嬢が帰った後、まくらの匂いを嗅ぎながら

半泣きでシコったこの年。

あまちゃんやごちそうさんといった朝ドラが大流行

東出昌大という現在でも大いに活躍されている

大俳優がブレイクしたのもこの朝ドラでした。

杏さんとの出会いもこのドラマですよね。



とまあ、私の人生と時代を振り返っているつもりが

なぜか、私の人生とのちに過ちを犯す人々の紹介

みたいになってしまいましたが、

大体こんな感じの四半世紀でした。


そして現在。

社会人となり6年が経ち、私は

スクールカーストの最下層を匍匐前進してきた

ような学生時代をおくったことにより、

放置しすぎて

綿のようなになった食パンほど腐りきった

根性と性格を手に入れ、

自分のことは棚にあげ、

人の嫌なところばかりを探し

それを生きる活力としている

それを落ち目に感じながらも

心のどこかでそんな自分をちょっと好き

だったりする痛々しくて

歳のわりに幼稚で、欲望に忠実な

そんな私。



本日、28回目の誕生日を迎えました。



と、これが言いたいがために長々と書きましたが、

とりあえず今年は、

noteをまめに更新して、

マッチングアプリで彼女作って、

頑張って、生きていきます。

今年のモットーは「努力」と「精進」!

皆さん、

私のこれからの努力を見守ってくださいませ。


そして最後に、

冒頭の言葉に加えて、

親鸞聖人は、こんな言葉も残しております。

『外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、
内に虚仮を懐ければなり』
(賢者や善人らしく努力や精進している姿を外に表してはならない。その心の中に偽りを抱いているからだ)

と。


やはり私は親鸞聖人ではなかったようです。



終わり

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