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[読書ログ]「moja」

著: 吉田 桃子
出版社: 講談社
  

あらすじ

主人公の女の子は毛深いのが悩みの中学二年生。体の毛は服を着てしまえば、とりあえず隠れてしまうのでぱっと見たところ、周りからは何も苦労していない幸せな女の子だと思われているが、心のなかは将来を悲観する絶望的な悩みでいっぱい。
たかが毛、されど毛。悩める乙女の明日はどっちだ!?
(絵本ナビより)


感想

最高に読みやすかった。
読むのに時間がかかるほうだが、休憩なしで1時間で読めた。
ワンテーマで、主人公の問題(自分は毛深いというコンプレックスとの向き合い)が一貫しているので、すらすら読める。
  
話の半分は、主人公である理沙の毛深いことに対する悩みや葛藤が淡々と描かれる。周囲の人物もそれぞれ悩みらしいものを持っていそうだが、序盤では特に深堀されない。
人に隠しつつ、母親にも理解されず、脱毛サロンに行っても施術を受けられず、八方ふさがりになる。

この間は理沙自身の問題に理沙自身が向き合っているシーンが続く。
特に大きな出来事は怒らないが、テーマがぶれないので退屈にならずにすいすい読める。

そこから、母親との喧嘩、友だちとの喧嘩とカミングアウトを経て、コンプレックスと向き合って、それを受け入れていくというお話。


こういった人に相談しずらい悩みは、他人が思っている以上に深刻だ。
中学生だとなかなか親の理解も得られず、他人からすればそんなこと、という悩みが大きく膨らんでいく。
今でこそ、SNSなどで気軽に情報発信、キャッチできるけど、自分が中学生の頃は、今ほど脱毛サロンも身近になかったし、結構苦労した。

この悩みがどんどん膨らんで、死にたいと言いたくなるような悩みになる。
   

死にたいなんて言ったのも、本気ってわけじゃない。ううん、「もじゃ」のことを考えると、たしかに死にたいって思うこともあるけど、死ぬことを考えたらやっぱり怖いし、私にはできない。だけど、崖っぷちに追い詰められたとき、「死にたい」って、なぜか脳内の回路がそっちにいっちゃう。もしかしたら、「助けて」の代わりなのかもしれない。それなら、素直に「助けて」って言えばいいのに、どうして言えないんだろう。

本文より引用

この感覚がぴったりハマる中学生は多いだろうと思う。
自分の圧倒的な感覚、感情を表現する言葉を持たなくて、ただとにかく最上級につらい、という悲鳴が、この言葉に終着していく。
(もちろん、この感覚よりも深刻な想いを持っている人もたくさんいるはずだが)

人はだれしもコンプレックスを持っている。
一般的には、コンプレックスは劣等感と認識されているが、わたしが言いたいのは、心理学でいう本来のコンプレックスのことで、言ってみれば、自我を統制する力のことだ。

告白したいけど、出来なかったという場合、告白したかったけど、自我の統制が乱された、ともとれる。
思考が強いと感情が抑圧され、感情が強いと思考が抑圧される。
この流れのなかで、自我を統制する力が乱されることで、こころは大きくなろうとし(受容しようとし)、成長していく。

今回の話で言うと、肌を見せるような服を着たい、水着を着たいと思うけれど、できない、という状態。
この狭間で揺れ動くことで、こころが成長していく。

つまり、成長過程でコンプレックスは、必要不可欠なものだと思う。
そういう意味で言えば、児童文学においてもコンプレックスを描くのは必要だろうなと感じた。

そして、通常使っている意味合いのほうの、劣等感を意味するコンプレックスという意味でも、また共感性が高くて、いいモチーフだなと思った。


人には劣等感がある。時にそれを秘密にする。
秘密を打ちあけられる人間と、打ち明けられない人間がいて、打ち明けられるということは、信頼関係がある、ということだ。

それでいえば、この主人公の理沙は、最初は親にも友達にも先生にも誰にも打ち明けられなかったが、自分の本音をぶつけることで、あるいは他人から他人の劣等感をカミングアウトされることで、徐々にこころを開いていき、成長していく。


転で、今までのものを爆発させて、他者や自分と向き合っていくところに、読者はすっきりするし、ここに読者も、主人公も、こころを解放する感じがする。だから、心地よく読める。


ワンテーマのシンプルな構成で、事件や事故を交えず、友だちのことも掘り下げすぎずに突き抜けたのは、すばらしいなと思った。

そして、文章がうまい。
ところどころ、中学生らしからぬ視点や、言葉遣いを感じたが、とにかく読ませる文章のうまさがある。

一気読み必至。


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