リベラルの矛盾がどんどん肥大しているようにも思われる。

環境問題に関しての政府に対する不満を書いている人はとても多いけれど、環境問題の対策に政府が本気で乗り出した時に、自分たちの生活の変化などについて主体的に考えている人はどれほどいるんだろうか。原発の問題を当事者として考えている人はどれほどいるんだろうか。
コロナ禍の制限に対しても、いろいろ複雑な痛みが伴っているが、環境問題においてもそういう問題は当然起こってくる。自動機械的に政府のせいばかりにして、実際ジレンマが生じる現実に直面したら、自分の矛盾した怒りを理解することなく、繰り返すだけではないだろうか。
コントロール社会を嫌がるが、同時に環境の悪化や感染症の広がりも嫌がる。
その両立は成立するのか。
都合よく現実の処理をしているだけでは全く解決しない問題が、目の前にある。これまで普通であったようにただ生きていくことすらも批判され、咎められるような状況になりつつもある。その中で、自由、利他、芸術、経済をどのように守っていけるか。なんとか楽しく生きていくことができる道筋を探していかないといけない。
そして、私たちは、クレタ島の住民であるという認識の中で、歩を進めていくしかないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?