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御都合主義で隠された文明 縄文文化と長江文明

世界四大文明という言葉はよく聞きます。その中にエジプト、メソポタミア、インダスそして黄河が出てくる。国際的な用語でなく日本や中国でのみ用いられれている。一説によれば、江上波夫氏に由来している。江上氏本人が「四大文明」は自分の造語だと主張したとされる。教育学者の村井淳志氏の調査によると四大文明という語句の初出は江上が携わった1952年発行の山川出版社の教科書『再訂世界史』だとされる。また一説によれば、清朝末期の知識人、梁啓超に由来するとされる。梁啓超が1900年に作った詩「二十世紀太平洋歌」の中にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。江上波夫氏は考古学者で騎馬民族征服王朝説を発表したことで有名である。宮脇淳子著『中国・韓国の正体 異民族がつくった歴史の真実』によると、天皇家が朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の子孫である、という江上波夫説は、戦後一世を風靡した。韓国歴史ドラマ並みの大ファンタジーで、学界では、史実でないとことは早くから明らかにされている。まだこれを信じている人がいるようだ。騎馬民族征服王朝説は「大陸から朝鮮半島を経由して、ある有力な騎馬民族が直接日本列島に侵入し、倭人を武力によって征服、支配した」「大和朝廷は、東北アジア騎馬民族の直接の子孫である」というのです。大陸の草原に「遊牧騎馬民」はいるが、遊牧をしない「騎馬民族」はいない。そして、遊牧民であるなら、羊やヤギをつれずに、馬だけをつれて日本に侵入に侵入した、などという事はあり得ない。空想である。江上氏は、日本列島の風土では、遊牧生活が不可能であることは知っていたので、「遊牧民族」と呼ばずに「騎馬民族」と呼んだのである。遊牧民は、オスを去勢しなければ家畜の群れを維持することはできない。日本は幕末になるまで、去勢技術は知られてなかった。外国人から日本の馬は猛獣だと言われた。では、日本の古墳から出土馬具は、というと、金銀で装飾された贅沢品で、鐙が片側だけなのは、馬に乗りなれない農耕地帯で発明された踏み台だからである。当時の日本列島に入ったのは、騎馬民族ではなく、今で言うなら外車のような、一部の人間が見せびらかすための、貿易品としての馬具だったのです。江上氏は、日本の古墳時代後期には、仁徳陵のような巨大古墳が誕生し、古墳から馬具が出土するから、古墳時代前期に、騎馬民族の日本列島侵入があった、などと主張するが、考古学的には全く実証されていない。「農耕民族は自己の伝統文化に固執する性向が強く」「他民族を蛮夷視し、外国人を内部に受け入れる精神的基盤に乏しいから」「帰化人を登用することは、農耕国家ではほとんどない」など、根拠不明の論ばかりである。江上氏は北朝鮮で歓待を受けた。戦後日本の、オポチュニスト(御都合主義者)の学者の代表である。わかったことは四大文明とは嘘なのです。江上氏は御都合主義者だからです。その御都合主義で隠されている歴史は多いと思います。例えば韓国の歴史ドラマです。テレビでよく見るのはカラフルな衣装を来ているのですが現実では白い服を着ていました。インターネットの発達でもう隠せないのです。縄文文化と長江文明も隠されている。例えば学校の教科書を見ると裸で猪を追いかけている縄文人の所に朝鮮半島から高度な文明を持った人が移住したなどという感じになっていますが、これも御都合主義だと思います。

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写真 wiki「三内丸山遺跡」から引用

三内丸山遺跡を見るととても高度なことがわかると思います。縄文文明といってもいいと思います。

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写真 wiki「三内丸山遺跡」から引用

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写真 wiki「三内丸山遺跡」から引用

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写真 wiki「三内丸山遺跡」から引用

小学六年生から歴史の授業が始まります。筆者は小学六年生ですので縄文時代はあまり文明が発達していないというような感じで思い出すと酷い印象操作かも。長江文明には巴蜀文字という文字まであったので高度な文明ですが隠されています。中国とヨーロッパやシリアを結ぶシルクロード(絹の道)という言葉があるように中国は絹が有名でしたその絹の起源も長江文明です。長江文明は歴史に与えた影響も大きいですが中国の辺境にある文明と書かれているのが多いです。長江文明を詳しく書いている本は少なく感じます。channel Ajerの『日本の文明は中国や韓国から伝播したというウソ、日本民族の独立心への侵食(前半)』や、まほろばジャパン02 mahorobajapanの【講演本編】宇山卓栄氏『民族、文明、宗教、で読み解く日本人』② カギは長江文明にあり(四大文明論のウソ)をぜひ見て欲しいです。司馬遷の史記には長江文明が出てこない。歴史には長江文明が出てこないのはなぜだろうか。黄河文明の子孫である漢民族が長江流域を支配するのを正当化するために長江流域の人々を野蛮な人たちとして(実際は野蛮でない)、その後、漢民族が高度な文化を持ってきたというような感じにした。学校ではあまり文明が発達していないところに朝鮮半島からの渡来人が高度な文化を持ってきたというのであるがこれも間違いである。朝鮮半島は長江流域から出発し日本が終点の新幹線に例えると朝鮮半島は通過駅や途中停車駅なのです。長江文明が由来の遺伝子は朝鮮半島で多数検出されますがそれは途中停車駅だからです。野蛮な縄文文化に高度な文化を持つ人々が朝鮮半島から来たと認識するのは間違っていると思います。その時代に朝鮮民族など存在しません。百済、高句麗、新羅の時代は地域によって様々な民族がいました。高句麗はツングース系で百済は王族がツングース系で民衆が韓人、新羅は韓人が暮らしていました。朝鮮半島南部には日本独特の前方後円墳が見つかっていて倭人が暮らしていたこともわかっています。前方後円墳が朝鮮半島が発祥などといっている人がいますがこれは嘘です。韓国にある前方後円墳はいつの時代にできたか調べると、日本にもっと古いのが多数あるからです。そして朝鮮半島から高度な文明が伝わったのは嘘です。これで都合がいいのは朝鮮の人だからです。しかしこのような嘘をかなりの人が信じていると思います。このように定説になっていることも本当は嘘で他国に都合の良かったり、御都合主義な歴史が多いのです。そして真実の歴史を調べるのはとてもわくわくします。どんなことでもいいから真実を知ってくれたらとても嬉しいです。



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