12星座の話-その8:乙女座

獅子座の次は、乙女座です。

乙女座、別名「処女宮」です。「Virgo」つまりvirgin(バージン)です。
Virgin、だけで「聖母マリア」を意味することもあります。
聖母、神聖受胎。
乙女座と聖母マリアのイメージが重ねられることも多いようです。

ここまでの流れをもう一度見直しますと、牡羊座で「飛び出した」純粋なエネルギーが、牡牛座という「器」に受け取られ、その「器」同士が出会って双子座で言葉とコミュニケーションが生じます。更にそのコミュニケーションの果てに、「皆で暮らす、人の心の境目のない、閉じた世界」が蟹座の段階で生じます。
すると、それに縛られたくない「個人」としての自己主張が、蟹座の世界をあとにして、外へ飛び出します。
ここで「おのれ」たる獅子座の世界が生まれます。

獅子座のテーマは、自分から生まれる愛、自分から出て行く望み、行動、表現です。
自分、己、自己表現、個性です。
こうしたものは、家族やコミュニティ、人間集団に「溶け込んでいる」時には、意識にのぼりません。集団を抜けだして自分個人を意識した時、そこに新しい喜びや手応えが生まれ、生きる新しい意味が湧いてきます。

ですがこの「おのれ」を追求していったとき、またあらたな「?」に遭遇します。
それは、「自分以外の存在」です。

ここで、乙女座の世界が生まれます。

人はみんな「社会」の中で生きています。
「社会」は、人間の集団でできています。

獅子座までの段階は、それらとやりとりをすることがあっても、「関わる」ところまではいきませんでした。
あくまで、自分が生きるために必要なことを「外の世界からどう取り入れるか」という程度の範囲で、問題意識がおさまっているのです。

これは「牡羊座から獅子座までの人たちは、自分のことしか考えていない」という意味ではありません。

誰もが成長を遂げて、外の世界と自分を「関わらせて」いくことになります。
ただ、その方法論や基本的な「しくみ」というようなことが、それぞれ違っているわけです。ここではその「しくみ」を、あくまである種象徴的にお話ししているとご理解下さい。

話を元に戻します。

獅子座の段階までは、自分という中心があって「それをとりまくものとのやりとり」が、一つの世界観になっていました。

ですが、乙女座の段階に来ると、はたと気づかされることがあります。

それは「自分以外の、でも、自分と同じような構造を持った存在がある」ということです。

生まれ落ちて、生きる権利を持っていて、感覚によって世の中を感じながら、それと言葉でやりとりし、思考し、住む世界を獲得し、のぞみと愛を持っている。

この「小宇宙」とでもいいたいような、絶対的な「個人」たちが「自分と同じその構造を持って、世の中を動いている!」ということが、獅子座と乙女座の境目で発見されるのです。

「他者がいる」
「自分が自分のことを大事にするのと同じように、他人もその人自身を大事にしている」
という、この発見は、一見、牡牛座から双子座への跳躍で起こったことに似ています。
双子座でも「他者」に出会い、そこで言葉を得て、コミュニケーションが成立します。獅子座から乙女座での「他者」の発見は、似ているのです。

でも、両者にはやはり、決定的な差があります。
というのも、双子座での「出会い」は、まさに「双子の片割れ」に出会うかのような出会いであり、兄弟姉妹の、もっとも自分の身近にあるものとの出会いなのです。
更に言えば「ある程度は解り合えると解っている相手との出会い」と言えるかもしれません。
でも、獅子座から乙女座への飛躍の時には、その「ある程度解り合える」という保証がありません。バックグラウンドの全く違う、社会的立場も違う、相手も自分のことを知るよしもない「他者」が、そこにたちあらわれるのです。

さらに、獅子座と乙女座の境目では、もう一つ大事な発見があります。
それは、「他者」が一人ではない、ということです。
自分が生まれる前から、無数の人々の創り上げた「世の中」というものが存在し、すでにそこに無数の人々が住んでいるのです。
獅子座で「自分は自分だ!」と名乗りを上げたとき、多くの人がいっせいにふり向きます。その瞬間、獅子座のエネルギーは
「自分は、この集団の中に入っていかなければならないのだ」
ということを悟ります。
この悟りが、すなわち、乙女座への飛躍なのです。

乙女座のテーマの中に「マナー」「儀式」「訓練」「制服」等があります。これらは、人に教えられ、人から学び、身につけるものです。では、なんのために「身につける」のでしょうか。
もちろん、他者の集団に入り、受け入れてもらうためです。

人は、たった一人で「他人」の世界に飛び込むことはできません。「一人前」になるまえに、他者の集団に入るための訓練を必要とします。
実は、少々フライングになりますが、天秤座以降が本物の「他者の世界」なのです。乙女座まではまだ、本格的な「他者」との出会いは起こりません。
蟹座の「家」から飛び出した獅子座は、まだ本物の外界には接しないのです。それは言わば「就学」のようなものです。家から出て学校に一人で行くのも、小学校から中学校、高校と進学するのも、「外部に出ていく」変化ですが、決して「世の中に出る」のとは違います。

ダブルボディーズ・サイン


乙女座は、「柔軟宮」という分類に属しています。「柔軟宮」は「ダブルボディーズ・サイン」とも呼ばれます。
「柔軟宮」にはあと3つ、双子座と射手座と魚座が属しています。
これらのモチーフは、よく考えるといかにも特殊です。

というのも、それぞれ「単体」ではないのです。
ゆえに「ダブルボディ」、身体が二つある、ということになります。

まず双子は、文字通り、2つの身体をもっています。
一人一人に分ければ、たんなる「子供」です。
2人が同時に母のおなかの中に入った、ということが「双子」です。
つまり、双子というのは「関係性」から出てくる言葉です。
存在を示す名前、というよりは、状態や状況を指すのに近い言葉です。
「蟹」とか「山羊」など、そのものズバリをさす言葉とは少し違っています。

「射手座」もそうです。
射手座は、文字通り、何かを射る人です。射ることをやめてしまえば、射手ではなくなります。さらに、射手座は「人馬宮」とも言います。上半身が人で、下半身がウマなのです。まさに「ダブルボディ」です。

魚座は、実は「双魚宮」で、星座も魚が2尾、銀色のリボンで結ばれている状態を指します。このリボンは一説には、川を象徴している、とも言われます。これも、まさにダブルボディ、2つの存在の関わりです。

では、乙女座はどうでしょうか。
「処女宮」です。
「処女」というのは、一人の人間のようで、実はちょっと違います。
若い女性が一人いる、ということなら、「処女」などと言う必要はありません。
「処女」とは、「未来にくる(かもしれない)他人である男性」の想定をあらかじめ含んだ言葉です。
「処女」とは、ひとつの「状態」です。その状態が壊れれば、彼女は「処女」ではなくなります。さらに「その状態が壊れる」「その状態におかれる」のも、どちらも、他者との関わりのあり方に依存します。
また、処女かどうかということが意味を持つのは、本人にとってではなく、そのまわりに広がる社会にとって、です。
処女である、ということは、肉体の状態である以上に、社会的関係性なのです。

他者がいてはじめて、「処女」が意味を持ちます。でも、まだ、接触は行われていません。接触する前の、しかし、接触を前提としたステータス。これが「処女」の状態です。

獅子座は「自己表現」の星座とされます。
表現をするということは、それを受け取る相手がいるということです。
そこで、乙女座の段階への飛躍が起こります。
自分を外側に打ち出したとき、全くの他者から、レスポンスが発されるのです。

乙女座は変容の星座です。
人と関わることでどんどん自分を変えていきますが、そこでは、決して自分を失うことはありません。
乙女座は、他者を詳しく分析する星座と言われます。
自分と他人が基本的には同じ構造だと知っているので、それをさらにくわしく知ろうとします。そして、自分も他人も変化していく存在であることを、ハッキリ解っています。
ですから、お互いの可能性までを見越して、物事を判断しようとします。

「発見」「可能性」「レスポンス」。
この3つの言葉が、乙女座の魂の根幹にあります。

乙女座は、さらに、具体的に創り出していく星座でもあります。
くわしく調べ、理解し、この世の中を本格的に知ろうとします。知った上で、価値あるものを生み出そうとします。
この世の中に潜むあらゆる可能性を発見し、その可能性を発現させようとします。種子を見つけて種を蒔き、実りを得ようとします。
乙女座の人々は、なんでも育てて大きくすることが上手です。植物から人まで、ささやかな手芸から一大プロジェクトまで、どこまでも可能性を探り出して、大きく育てます。

育てることは、何を育てるのでも大変なことです。
おのおのに個性があり、それぞれに可能性があります。
乙女座は分析をしますが、それは、物事の優劣をはかったり、点数を付けたりするような「相対評価」ではありません。
乙女座の分析と評価は、あくまで獅子座での体験に基づいた、主観による絶対評価なのです。

自分と、他人。
これが出会ったところに生まれるものを、乙女座は一つ一つ、その繊細な指で取り出して、くわしく見抜き、どうすればいいかを決めて、変化の可能性までをあたためながら育てていきます。
この柔軟で手間暇を必要とする作業を続けていくとき、乙女座は、一つの壁に突き当たります。

関わることは尊く楽しい作業です。
相手に何らかのインパクトを及ぼし、そのレスポンスを受け取り、またインパクトを返していくことは、やりがいのある営為です。
ですが、これをくわしく続けていくとき、いつか乙女座は疲れ切ってしまうのです。
なぜなら、「他者」は、おそろしいほどたくさんいるからです。
さらに、これほどまでに力を尽くしても「どうしても入れない壁」「絶対に解り合えない心」が、この世には存在するからです。

触ろうとするのに、どうしても触れないものが、この世にはあります。
正しい方法で、丁寧に正解への道を歩いているはずなのに、どうしてもたどり着けない場所があります。

この壁につきあたったとき、乙女座から天秤座への飛躍が起こります。


(「筋トレ」メールマガジン(2006/9/30号)より、加筆改稿)