水星 - 双子座と乙女座の星

水星は、双子座と乙女座を「支配する」星です。
ですから、双子座生まれの人、そして乙女座生まれの人にとっては、水星は「自分の星」です。あるいは「お守りのような星」と呼べるかもしれません。

水星が語られるときによく出てくるキーワードを、古来からのものも含めて、ここに羅列してみましょう。

言葉、伝達、好奇心、教育、執筆、文才、議論、兄弟姉妹、翻訳や通訳、ビジネス、取引、コミュニケーション、メッセンジャー、通信、泥棒(!)、商人、商業、収穫者、機知、アイデア、ユーモア、旅人、試験、測定、サービス、利益、多芸多才、論理的思考、若者、市場、設計、医師、教師、法律家、演説者、音楽家、予言者、占いをする人、戦略家、etc,.

才知に溢れ、フットワークよく活動する、若々しい人、というようなイメージがわいてきます。

星や星座の「意味」は、辞書のように一対一で「定義」されるものではありません。その星がまず中心に置かれ、磁石に砂鉄が引き寄せられるように、星の本質に響き合うものをもったものたちが「集まってくる」ようなイメージに近いと思います。外側に確たる境界線があるわけではなく、従って、一つのものが別の星の象意として共有されることもあります。ただ、それらはたがいに少し違った切り口からその対象を見ている、とは言えます。

たとえば、木星と水星には「知的活動」というテーマがよく表れます。でも、木星のそれは思想や哲学、宗教的なもの、社会的な権威を背負った知性など、どこか成熟・老成した知を示すのに対し、水星は機知や機転、知識の正確さ、新しいものの発見など、もっと動きのはやい、若々しくフレッシュな知性のありかたを意味するわけです。

双子座の人も、乙女座の人も、上記のキーワードに示されるような水星のイメージを、色濃く生きているところがあるはずです。

メッセンジャーの星

夜空に水星を見たことがある、という人は、たぶんそう多くはないと思います。私自身、双眼鏡で数回目にしたことがあるくらいです。水星は太陽系において、地球よりも内側、つまり、太陽に近い所を回っています。ですから、地球から見ると、いつも太陽の近くにしか見えないのです。
太陽は大変明るいですから、水星の光は大抵、かき消されます。地球から見て、太陽と水星の距離が一番離れるころに、夕方や明け方、薄明の空にちらっと見えるだけです。そして、見えたと思えばすぐに隠れてしまいます。小さな軌道を忙しく、ぐるぐる回っているからです。

この水星のせわしない動き、カンタンには見えない姿、太陽のそばから離れない様子が、「神々のメッセンジャー」としての水星のイメージに繋がっていると言われます。

日本語では「水星」ですが、西洋占星術の世界では「マーキュリー」、もっと古い時代には「ヘルメス」と呼ばれました。ギリシャ神話のヘルメス神です。水星の象意には、このヘルメス神の伝説に由来するものもいろいろ、含まれています。

ヘルメスという神様は、神でありながら同時に人間として実在し、人間に世界の神秘や言葉をもたらした存在、として扱われることもありました。星占いというもの自体、源流を辿ると「ヘルメスから直接教わった」という形の文献が見いだされます。ヘルメスは、天に属する神様でありながら、人間に直接語りかけた存在、というイメージをもつ存在だということです。

天地のあいだを自由に行き来し、人に語りかけるヘルメス。このイメージは、双子座の人と乙女座の人にとって、おそらく、とても親しみ深いものなのではないかと思います。

双子座の世界では特に「いくつもある世界のあいだを、縦横に旅する」ことが軸となります。世の中には「世界」が無数に存在します。異なる文化を担う地域や国々がそうです。また「異業種交流」のようなものもあります。世代間のギャップを超えるとか、横断的に物事を動かすなどのことも、双子座のテーマです。

一方、乙女座の人々は、それぞれの世界のあいだを「飛び回る」ことではなく、新しい世界のルールを理解してすうっと溶け込むことを得意とします。ある世界から別の世界に移動したとき、旅人としてではなく、その世界の中の一部に「入り込む」ことができるのです。更に言えば、そこから離脱し、さらに別の世界に「入り込む」ことも、ラクに行えます。

「言葉」を司る星

水星を語る時、最も頻出するキーワードは「コミュニケーション、言葉」です。双子座も乙女座も「言葉の達人」と言われることがありますが、特に双子座の世界を語る際に「言葉」が強調されます。

双子座の「言葉」は、物語を綴る言葉であり、ある世界のことがらを別の世界へと伝える言葉であり、翻訳であり、解説であり、メッセージでもあります。文章を読むことも書くことも好きで、活字中毒の人も少なくありません。非常に論理的である一方で、ナンセンスも愛します。言葉の中にある様々な可能性を探り、それを取り出すことができます。

乙女座の人々も「言葉好き」ですが、双子座の「言葉」とは、少し違っています。
双子座の言葉が「伝達と解釈、ストーリーテリング」であるなら、乙女座の人々は「気づかせる、分析する、教える」言葉、と言えそうです。
たとえば、誰もが感じていながら言語化できていないことを言葉にすることが上手です。五感で感じたことを表現し、生活の中にある神秘を取り上げ、人の心にすうっと入り込みます。乙女座の人の言葉は、それを受け取る相手を「当事者」に変えます。演説をする人と教育者の言葉が違っているように、乙女座の人々の言葉は、人の個別性を重んじ、相手の現状や生身に直接働きかけるのです。

たとえば「書類(ドキュメント)」や「テキスト」も水星の管轄ですが、このテーマを双子座と乙女座で分けるとすれば、双子座は「ペン、パソコン、紙、執筆の道具、辞書、アイデア、インタビュー、取材」、乙女座は「分析、検討、資料整理、抽出、ジャンル、ファイル、分類棚、文書整理、インク、フォント、校正、デザイン」などのイメージになります。

双子座はどちらかと言えば観念や「動き」を、乙女座は物質と「違い」を扱う世界です。双子座が線的な思考やストーリーの世界とするなら、乙女座は面的な感覚やリアリティの世界、と言えると思います。
同じ「水星の知の世界」であっても、その角度や方向性、寄って立つところが違っているのです。

中立性、両性具有、世界と世界の「間」

双子座と乙女座に共通しているのは、「善悪を(ある意味)公平に扱う」ところです。ヘルメスが「神」でありながら「泥棒」や「狡知」を司るところにも、それが現れます。正義や悪は、それほど絶対的な指標ではありません。一方から見れば善でしかないことが、もう一方から見れば悪になります。戦争では必ず、戦っている双方が「自分こそが正義の戦いをしている」と主張します。双子座や乙女座の世界では、この「両者の正義」が、善か悪かではなく、ある種の関係性や、事情、現象としてフラットに扱われるところがあります。

「知」というものは、本来そういう機能を持っています。善か悪かというのはひとつの価値判断ですが、何らかの対象に知的に関わろうと思えば、そうした価値判断からは自由でいる必要があります。いいものでも、わるいものでも、それが「研究対象」となったときには、ごく公平に扱われなければなりません。心理学者はその業務上で出会った犯罪者を「悪人」として見ることはないでしょうし、昆虫学者の目にはゴキブリもカブトムシも同じ「昆虫」でなければならないだろうと思います(もちろん、個人としての心情はいろいろあるかもしれませんが)。

水星は、善と悪、上と下、生と死、性別や年齢の差、その他諸々の現世的な価値判断から自由であろうとする星です。実際、水星は「両性具有・中性」のイメージで描かれることもあります。
双子座の「双子」は、一方が神の子で不死、もう一方が人の子で有限の命を持つ存在です。また、乙女座=処女宮は、男性性と女性性の中間にある状態、と読むこともできます。水星はあらゆる世界の境界線上に位置していて、どちらにでも行くことができるのです。

天と地の「かけはし」としての機能をもった水星にとっては、天の価値観も地の価値観も、相対的なものとしてあらわれます。双子座と乙女座の人の心にもおそらく、そういう仕組みがあるだろうと思います。悪いとされるものもただ悪いわけではなく、良いとされるものも、ただひたすらに良いというわけではないのです。それを、両者はよく知っているのです。

さらに、水星的=双子座・乙女座的なテーマとして、「ユーモア」があります。
ユーモアというものは、善と悪のはざまを行き来するような機能です。幸福と不幸の間にも、ユーモアがある、と言えるかもしれません。ユーモアは、ある世界に起こる出来事を、他の世界に持っていったときに生まれるおかしさでできています。あるいは、誰もが当たり前のように受け止めている出来事に、全く別の方向から光を当てるときにも、おかしみが生まれます。水星=ヘルメスの「天地のあいだを自由に行き来する」力があってこそ、ユーモアが生まれる余地があります。
双子座と乙女座の人々は、だれもが笑えるユーモアから、きわどいブラックユーモアまで、あらゆるユーモアを操る才能に恵まれています。

変化と適応

水星の、見た目の「動きのはやさ」は、状況や意見、感情等の「変化のはやさ」に重ねられます。人も状況も刻々と変化していきますが、双子座も乙女座も、変化の対応力がすこぶる高いとされています。フットワークの良さ、身軽さ、視野の広さは、まさに「水星の星座」と言いたい両星座です。

双子座も乙女座も、ある種の強いこだわりや確固たる意見を持つところがあります。でも、そのこだわりは決して「非合理な固執」には結びつきません。自分のこだわりに関して、一瞬だけガンコな顔を見せたとしても、一晩冷静になって考えて、「自分の今までの意見は、ちょっとおかしかったかな」と思えば、ぱっと切り替えて新しい意見を採用することができます。双子座と乙女座が「柔軟宮」であるゆえんです。

12星座は「ゾディアック(獣帯)」です。動物園を「zoo」と呼びますが、両者は語源を同じくしています。12星座は動物園のようなものというわけです。たしかに、牡牛や山羊、獅子など、基本的には動物が並びます。
ですが、双子座と乙女座だけは、人間として描かれます。
射手座も上半身は人の姿をしていますが、完全に人の姿で描かれるのは、双子座と乙女座だけです。
ゆえに、古い考え方では「人の姿をしているから、礼儀正しくマナーがよく、冷静で、理性的である」と評されます。水星という「言葉と知性の星」を割り当てられている両星座のイメージにも、これは重なるところがあります。人間とは、知恵と言葉の生き物だ、というわけです。

既知、未知、不可知

知性や学問、論理性や合理性といった、ある意味現代的な尺度を扱う一方で、水星は神秘や占いなど、非科学的な世界にも関係の深い星です。古代では化学と錬金術が、天文学と占星術が、同じものとして扱われていました。今のように、オカルトと科学とが分離していなかったのです。

とはいえ、こんなに科学が発達した現代においても、まだまだ「世界のこと」はよくわかっていません。
宇宙の謎、科学的に解明されていないこと、私たちが日常的に「不思議だな」と感じること。
私たちはそれらをなんとなく「これは科学の謎」「これは神秘的な謎」というふうに、心の中でわけているようなところがあります。
あるいは、「すべてはいつかは科学で説明できる」と考えている人がいて、さらに「決して科学では説明できないものがある」と考えている人もいます。こうした「区別」は、私たちの生きる時代が含む空気のようなもので、私たちはそれをほぼ無意識に呼吸しながら生きている、ということなのかもしれません。

水星は、そうした区分けまでをも「扱う」星なのではないかと思います。科学的に解明されようとしている謎も、オカルティックな謎も、水星的な「知的活動・好奇心」の一種なのではないでしょうか。
未知の世界への好奇心、何かを「知ってやろう」という思い、それを私たちの胸に響く言葉によって表現し、伝達し、共有したいという欲求。
その全体が、星占いの世界では、水星の管轄化にあるのです。

双子座と乙女座の星・水星は、こんなイメージの星です。

(次回「金星 - 牡牛座と天秤座の星」は、6月に更新予定です。)