こたえのない世界。
こないだ「ヨルガオ殺人事件」を読んでから、作中作が暗示することと作中のリアルの出来事の「突き合わせ作業」を、延々やっていた。
この作品では、ひとつのミステリーの中に、もう一つ別のミステリー小説が入っている。その「もう一つ別のミステリー小説」は、最初のミステリーを解く最大の手掛かりなのだ。一方が他方を暗示している。その暗示を解くのである。でも、暗示の物語には盛大にフェイクがかかっていて、容易に対応関係を作れない。
最終的には当然、種明かしがされるのだが、そこで回収されているものの他にも、もっといろいろ「暗示」があるんじゃないかと思ったのだ。
しかし、私はそういう作業が得意なわけではない。むしろ、苦手である。あーでもないこーでもないと考えているうち、イライラしてきた。
そのうち「なんかこのイライラ作業には、既視感があるな」と気づいた。だが、既視感の正体はわからなかった。わからぬまま、思い出しては突き合わせ、という断続的な作業をこのところ、続けていた。
そしてさっき、やっと思い出した。