表参道日記-5: インタビュー、その2

矢内原さん、宇佐見さんのこと。

ギャラリーをはじめるきっかけとなったジャコメッティの作品をもっと知りたいと思い、村越さんはいろいろな集まりに足を運び、勉強した。
あるとき、銀座で画家・田淵安一の出版記念の会があって、そこに出席した。

「一人で行って、座っていたら、
隣に座った人が『貴方は何をなさっている人ですか』と聞いてきたので、
『画廊をしてます』と答えたら、『それは良い仕事です』と言われて
『私は宇佐見といいます』と、名刺をくれて、
『ここにお電話してください』と言われたの」

翌日、村越さんが名刺を片手に「ウサミヒデハルさんはいらっしゃいますか」電話をしたら、「ウサミエイジです」と、本人が出た。
宇佐見英治は、数日後にギャラリーを訪れ、その一週間後に、矢内原伊作を連れてきた。

「宇佐見さんにはとってもかわいがっていただいた、宇佐見さんは、恩人です」

と村越さんは言った。

宇佐見英治は文学者で、美術評論家でもある。
矢内原伊作とは親友で、パリを訪れた際、矢内原の縁でジャコメッティの知遇を得た。ジャコメッティの死後、手記やノート、対話などがフランスでまとめられて出版されたが、これの日本での翻訳も、彼ら二人の共同の仕事だった。
矢内原伊作とジャコメッティの関係が独特なものだったように、矢内原伊作と宇佐見英治の「友情」もまた、「友情」という言葉では捉えられない強烈さを帯びている。
矢内原の死後、宇佐見はこんなふうに書いている。

どうして最後まで私は彼とあんなによく会いつづけたのだろうか。前にもあるところに書いたように私は十日も会わないと彼に会いたくなるのだった。
私が彼に対して持った感情は、(中略)いやそんな理屈をこえた何か運命的な、心の深部における愛というべきものであった。

また、矢内原夫人から、宇佐見はこんな話も聞いたそうだ。

例のお友達や知人や見舞客を、それなら当分ことわりましょうということになって、それなら宇佐見さんはどうするのと伊作さんにきいたら、「宇佐見君には毎日会いたい」というのです

毎日会いたい。
私は、こんな心の引き合う光景を、小説にも読んだことはない。

ギャラリーで開かれたある展覧会の折、二人のトークイベントが行われた。その内容があまりに面白かったので、村越さんは「ここだけのものにしてしまうのは勿体ない、なんとか本にしたい」と考えた。
もう一度、二人が話す席を設け、村越さんが自ら司会となって、対談を企画したのだ。
これは書き起こされ、「対談 ジャコメッティについて」として用美社から出版され、さらにみすず書房からの共著「見る人」に収録された。

彼女は更に、矢内原が撮影したジャコメッティにまつわる写真に注目した。
アトリエの様子や、来客と彼の二ショットなど、ジャコメッティの生活を間近に写したモノクロの写真を、矢内原はたくさん所蔵していた。

「矢内原さんの撮った写真を『すごくいい!』と褒めたら、矢内原さんは、とても嬉しいとおっしゃって、それで、プロのカメラマンにお願いして、矢内原さんの写した写真を大きく引き伸ばして、写真集を作ったの。
矢内原さんの山中湖のお宅まで、写真集のゲラを車でドライブして持っていったりして、とても情熱をかけてやったのね。
そしたら、矢内原さんは『僕も返礼をしよう』と言って、本に文章をちゃんと書いてくださった。キャプションとか、思い出を綴った文章を、丁寧にしっかり書いてくださったの。」

私の読んだ「ジャコメッティ」にも、写真が何葉か収録されている。
スキンヘッドのジャン・ジュネと何か語らっている写真などは、強く印象に残っていた。
でも、そのすべてを矢内原自身が撮影していたとは知らなかった。
モノクロの、美しい写真の数々。
ページを繰って眺めていると、村越さんが「写真集にしたい」と願い、情熱をかけた気持ちが、わかるような気がする。

村越さんは自分が見たもののことを語るとき、何度か「すばらしかった」という言葉を使った。特に、彼女が美術作品を見たときの印象を「すばらしかった」と表現するとき、私は衝動的にそれを「見たい」と感じた。
村越さんは、文字通り心の底から「すばらしい」と言うのだ。
そこには、真贋を見きわめる眼差しの鋭さがこもっている。
村越さんが何かを見た印象を「すばらしかった」と夢見るように表現するとき、私はその作品を目の前にしているかのように緊張し、その感動にわずかに、感染する。

人が集まる場所。

宇佐見英治との出会いのあと、人が人を呼ぶ形で、串田孫一や中村真一郎など、文人や芸術家がだんだん集まるようになり、画廊というより、サロンのようになっていった。
先の、みすず書房の加藤さんもまた、そういうふうにしてここに集まってきたのだった。
彼らが「村越さん、なにか企画してよ」というので、文人が自分で絵を描いてそれに詩を添える「冬の詩人」という企画展を、何シーズンかつづけてやった。

「ギャラリーをオープンして半年くらいで桃紅の個展をやって、そこから、(経営は)すーっといった。若くて情熱があったのかな、若かったんだわ。
ミロ、シャガール、シャガールはあんまり好きじゃなかったかな、でも、マティス、ジャコメッティ…企画することがとても好きなのね、わきめもふらずにやって、2足す2を6にしちゃうような感じ。2足す2を3にしかしないような人ばっかりでしょ、最近の政治家とか(笑)
2足す2をせめて5にしたい。4じゃ、普通でしょ。それだけは避けたい。
でも、ときどきは2足す2が3になっちゃうこともあるけど。」

「普通」以上にする、ということを目指すと、普通以上になるか、あるいは、失敗して、「普通」以下になる。
「普通」以上を目指して、「普通」になることはない。確かに。
それは2+2が3にしかならないリスクを負うということだ。
リスクを負って、6を目指すということだ。

「画廊をしてとってもよかったことばっかりだったわ、生で良い絵をいっぱい見ることができたし、それより、良い方に知り合えたことよね。
とおりいっぺんじゃなく、何十年もこうやって、絵を通してというよりも、人に会って、それで、人間として良くなる感じがするのね。
でもあとで、あんなこと言わなきゃ良かったとか、バカなことしちゃったなーとか、思うの、しょっちゅうよ(笑)」

村越さんのような人でも、そんなことおもうのか!と、おどろいた。
でも同時に、日々の小さな後悔や苦い思いを「こえていく」ことで、こういうふうに軽やかに強くなれるのかなあ、とも思った。
私はそういうことから逃げて、「人に会う」こと自体から、このところどんどん、とおざかっている気がする。

元みすず書房の加藤さんは、自分が会社を退職したときのことについて、こんな話をしていた。

「会社を辞めた次の日ね、どこにいこうかなーって思って、なんとなく村越さんのところへ、このギャラリーにきてね。そしたら、村越さんと渡部さんが二人で、ぼくの退職のお祝いをして下さったんだけど、そのお祝いっていうのがかわっててね。
何をしたと思う?
まわりにこう、名画が並んでるなかでね、部屋のまんなかに机をあつめて、玉とラケットを出してきて、それで、ピンポンしてお祝いしてくれたんだよ!(笑)
そんなお祝いってある?楽しかったけどね。
そのあとイタリアンレストランに行って、ディナーを食べたけど、あれは、忘れられないよ(笑)」

そして、加藤さんはこんなふうに続けた。

「絵があるのもそうだけど、この建物があって、村越さんがいるなー、って、そういうところなんだよ、ここは。
絵を見るだけじゃない、歌も歌ったよね。
何度も来てしまう。そういうのって、人生において、すばらしいんじゃない?
この、無形なもの。」

場所は、「無形」だ。
場所を囲いだし切り出すものは「建物」だけど、そのなかにあるものは、形がない。
この形のない物の中に私たちもいる。
私たちの関わりやあり方にもまた、かたちは、ない。


(6につづく)