徳川幕府と朝鮮半島の関係と浄土宗の西方浄土の教主ー阿弥陀如来」

  • 「徳川幕府と朝鮮半島の関係と浄土宗の西方浄土の教主ー阿弥陀如来」

平成29年9月8日午後5時22分~7時49分
飯沼孝行(47歳ー昭和45年7月28日生まれ)
302-0117 茨城県守谷市野木崎1206-3
固定電話ー0297-45-0807
最終学歴ー国立埼玉大学教育学部小学校教員養成課程社会専修卒業(平成6年9月30日)
夏休み中に卒論提出ー「中論頌」(八宗の祖師とされた龍樹菩薩ーナーガルジュナの哲学研究)
勤務先ーヤマト運輸茨城県守谷支店のアシスト(契約社員)

 徳川幕府の徳川家康公が、浄土宗に帰依し、家臣の本多佐渡守正信公と当初敵対し、一向宗門徒との合戦で浄土真宗との戦いを繰り広げていました。
 浄土宗の開祖の法然上人と、真宗の親鸞上人についての誤解は、親鸞上人が少年時代に同性愛の道に引き込んだ師匠は、決して法然上人ではなく、親鸞上人が少年時代の最初の師匠でした。
 同性愛の道の僧侶を救う為の妻帯を容認し、僧侶全体を救った功績はやはり親鸞上人にあると思われます。
 浄土宗と真宗の西方浄土で、西の世界の朝鮮半島とアジア大陸との関係は、浄土宗は西の方角に絶対に足を向けないと言う事で、寝る時もその枕の方角は決して東の方角ではないと言う事実と、西の世界に頭を向けて寝ると言う事は、自分の頭上を朝鮮半島、アジア大陸に占有されると言う事を意味する時に、自ずと朝鮮半島の方々との融和を図る政策が、徳川時代の朝鮮半島の有効関係の朝鮮通信使を受け入れ、江戸でその接待をしていた歴史的な事実と符合します。
 鎌倉時代の北条時宗公の時代の蒙古来襲で、蒙古との敵対関係となった時に、浄土宗と真宗で、西の世界に頭を向けて寝ている執権(その当時の政治的トップ)に、モンゴリアンの大王が襲ってきた時、その源 頼朝公からの源氏三代将軍を排斥し、北条宗家による執権制度で、鎌倉幕府があった時、チンギスハーン=義経公とする明治時代の東京大学の教授の説と、義経公を尊敬し申しあげていた昭和天皇陛下(その当時の迪宮様ー裕仁親王殿下)の頭上にその蒙古のモンゴリアンの大王からの意識(同調とは、誰かと誰かを勝手なこじつけ理論で繋げた時の精神疾患)を苦しめておられたとしたら・・・・・・・。
 鎌倉時代の北条時宗公の時代、日蓮上人が浄土宗を攻撃し、法華経を最高の経典とする日蓮宗ー天台宗も同じですが、その法華経の東方浄瑠璃世界の教主ー薬師如来を尊崇する事で、西に頭を向けていた時に、その自分の頭上への西からの攻撃を避け、その政治的トップの混乱が、日本を元寇での敗北に向かわせなかった功績は、もしかすると日蓮上人のものかもしれません。
 徳川家康公の在命当時に、浄土宗の僧侶と日蓮宗の僧侶の宗教論争の場を設け、その勝負をさせた所、やはり勝ったのは浄土宗の僧侶であり、その時に日蓮宗の僧侶が磔にされそうだった経緯がありましたが、徳川頼宣公(紀州公)と頼房公、お二方の御母堂であらせられたお万の方が、家康公に、その日蓮宗の僧侶の助命嘆願をされ、そのお万の方のおかげでその日蓮宗の僧侶が逃げ延び、その逃げた先でお寺を建立したと言う事実もあります。
 昭和時代の昭和18年、北海道の有珠山近くで、火山噴火があり、その時に出来た新しい火山を昭和新山と言いますが、その有珠山(うす=ウス=ウズマサのウズはウズ・メシアとしてのイエスを意味しますが)、義経公の辿り着いた終焉の土地が、その有珠山近辺とした時に、洞爺湖サミットがあったその洞爺湖の近くがその有珠山だった訳です。
 浄土宗と浄土真宗で、源氏一族の祖であるとされる清和天皇陛下の息子の陽成天皇は、悪逆の極みとされた最悪の天皇とされており、最初源氏は陽成源氏されていました。 
 源氏の名刀で、一子相伝で受け継がれてきた刀は、「友斬り」とされ、自分の友でさえ切り捨ててしまうと言う名前を持ちます。
 自分の家系図で悪い存在が先祖におられた時に、その先祖よりも前の世代の良い先祖をアルファとしようとする事が、最初の良い先祖にすがる為には、やはり自分の悪徳を先祖のせいにする行為=自分の一族の原罪を特定の先祖に特定する事での悲観より、その先祖よりも前の家系図と自分を繋げる事で自分の一族nお
悪徳の原因を祓おうとする宗教行為こそ、浄土宗と浄土真宗の本願かもしれません。
 悪徳を持った先祖が生まれ変わる時、その前世での問題が再燃する場合が、歴史的な戦争を現代に繰り返させる(輪廻)ならば、因縁を絶つ為には、その悪徳の原因に子供を作らせない事で、その悪徳を絶つ事に繋がります。
 浄土宗の家康公が合戦で掲げた旗の文言は、厭離穢土欣求浄土。穢土(えど)と江戸との発音。「えど」から離れた浄土の世界を静岡の駿府に求めたとしたら、やはり駿府で人質生活を送っていた当時の松平元康公と後世の徳川家康公が同一人物であり、決して途中で影武者が入れ替わった説を否定出来る論理的な理由に出来る可能性もあります。
 元康公はその駿府時代に、城の欄干に立って、そこから小便を放ったとの逸話もあります。
 松平元信公=元康公と、鳥居元忠公。無二の親友であり、盟友であり幼馴染みであり、苦楽を共にしてきた二人でした。
 鳥と烏。
 源氏の三兄弟の八幡太郎義家公と賀茂次郎義綱公、新羅三郎義光公。八幡宮は、神功皇后による三韓征伐の折りの軍事的拠点とされた場所であり、その朝鮮半島の新羅に滅ぼされたのが百済であります。
 天皇家と百済の友好関係と、新羅絡みの日本海から沖ノ島(西の正倉院とまで言われる国宝級の遺物がそこら中に転がっている島)を通じた、新羅との海上交通の拠点と、宗像大社と胸形善徳の娘の尼娘(あまのいらつめ)を妻の一人としていた天武天皇(大海人皇子)と天智天皇と中臣鎌足公(藤原一族のトップで、鹿島神宮の神官の出であるともされます)。
 鎌足公=百済の王子の豊璋とされるミステリーもあり、天智天皇陛下と天武天皇陛下との相克は、天武陛下ー漢皇子(あやのおうじ)とされる説で、身分の低い出であった母親故に、例え年上でも跡継ぎに指名されなかったと言う兄弟同士の相克と、北条時宗公とその母親違いの庶兄と正嗣(後継者)との政治的な戦いは、やはり伊達家でもそうであり、側室の猫御前の子供であった伊達秀宗公と、正室の愛姫(大河ドラマでは桜田淳子さんが演じていました。少女時代は後藤久美子さん)さんの子供が忠宗公であり、秀宗公は伊予宇和島藩主であり、後世四賢公の一人の伊達宗城公へと繋がります。
 伊予の愛媛の松山。兄媛(えひめ)と弟橘媛(乙媛)ならば・・・・・・。
 兄嫁と弟の嫁との戦い。レアとラケル。ヤコブの妻で、姉のレアと妹のラケルで、レアは目が悪く、そしてラケルは容姿端麗とされましたが、ヤコブ=ニニギの尊の妻の石長姫と妹の木花咲夜姫で、美しい木花咲夜姫のせいで、天皇家の命は木の葉のように儚いものとなるだろうと神話で記述されていました。
 紅葉。紅葉と秋分の日。イエス・キリストとされるナザレのイエスの本当の誕生日が秋口とされる説と、9月29日が聖ミカエルの祝日とされ、嘗ての月が基準の太陰暦の場合、現行の太陽暦(グレゴリオ暦ーグレゴリオ13世。因みにカノッサの屈辱での法王は、グレゴリオ7世)
と昔の太陰暦の季節と月日には誤差があるので、9月29日が秋分の日だった時代がある事は、現在のエホバの証人の方々が、春分の日に当たる月日に過ぎ越しの祭りを祝う毎年の月日が、毎年差が出ていて、毎年祝う月日が違うと言う事実を鑑みれば、納得する事も出来る筈です。
 秋分の日に生まれ、春分の日で命を失う存在ならば、タンムズ神話とアドニス神話とマルドウク神話で、絶世の美男子であったアドニスを愛した二人の女神で、アフロデイーテとペルセフォネ(ハデスの妻であり、冥界に連れ去られた女神がペルセフォネーデメテルの娘)の二人に愛されたアドニスは一年の半分をアフロデイーテと過ごし、もう半年をペルセフォネと過ごすとされます。
 一年を二分する月日を、春分の日と秋分の日とするか(ヘブライ)と、夏至と冬至(ギリシャの双子座の5月、6月)。夏至の6月22日から24日当たりで、6月24日を誕生日として持つのが、あの洗礼のヨハネであり、そのヨハネに対する冬至の太陽の復活での、想定された誕生日がグノーシス的なギリシャの太陽の復活論であり、その4つの点でのグランドクロスが一年の4区分は、関数グラフとしての座標で、その原点のOこそ、地球と天動説を繋げる理論へとなっていたかもしれません。天とは暦で、暦を分割する一年の分岐月日。
 ナーガルジュナの中論での真理(テトラレンマ)とは、「一切は空であり、また一切は空ではなく、また一切は空であり、かつ空でもなく、また一切は空ではなく、空でないでもない(二重否定)」としての座標を、「1・1」、「0・0」、「1・0」、「0・1」の四つの並列計算を行う量子コンピューターの理論へと繋がります。
 ガイアの意識の四つの区分を、四つの感情を圧し殺した状態での無言を、イスラム教の岩のドーム(石長姫ーいわなが姫)での、神の無言が黙認であるなら、イスラムのラームとアブラームのラームの意味がシュメール語では火星=マルスーアレスー戦争の神であり、アブラハムのラハムが同じシュメール語で金星を意味し、戦争の神の父=アブラムから、愛と美の女神としての金星
ラハムの父親=アブラハムへの名前の改名で、ヘブライを戦争から友愛の道へ方向転換させたシュメール神話。
 地中海の火山島のサントリーニ島の近くのエウボイア島に入植したイオニア人とドーリア人がアルファベットを考案しましたが、そのエウボイアの別名がエビアンで、フランス語のエビとは水、アンとは天。天の水=エビアンで、そのシュメール神話の天の水の物語のエヌマ・エリシュとは、旧約聖書の原典でもあります。
 ヘブライの戒律派にエビアン派がそもそも存在し、神のテトラグラマトンのYHWHが、エホヴァではなく、エウボイアである可能性と、そのエウボイア島の付近のパトモス島のヨハネが見た幻のビジョンが、アトランテイス大陸の崩壊ーサントリーニ島の火山噴火(ギリシャとアトランテイスが戦ったと言う神話の記述)が、アトラスがヘラクレスと交わした約束で、ヘラクレスが探していた黄金の実を黄金の園で蛇が守っているその場所へ行く代わりに、アトラスが背負っていた地球をヘラクレスが一時期背負うという交換条件の元で、その後大洪水が起きてしまったという神話の後、ヘラクレスの子孫が移り住んだのが、そのエウボイア島なのです(アルファベットをそこでイオニア人とドーリア人が考案し、その四文字聖句に神の真の名前の発音を隠した可能性もあります)。
 1999年の7の月と8の月のグランドクロスで、7月とされるのは太陰暦での特定で、太陽暦では8月。
 7月y=ジュライーユリウスージュリアスで、8月=オクタビアヌスーオウギュストーアウグストウスであり、ローマ皇帝のユリウス・カエサルとアウグストウスとの権力闘争。
 太陽暦のユリウス暦と、そのローマへ太陽暦を持ち込んだ太陽の女神が、あのクレオパトラ7世でした。
 その太陰暦と太陽暦を繋げる為の日蝕(太陽と月の重なり)を基準としたのが、あの紀元33年とされるイエス・キリストの磔があったとされるエルサレムであるなら、やはりADの基準の「アンノ・ドミノ=主の後の年」から続く現在の歴史の流れで、やはりそこで主を信じたか、信じないかで、その西洋暦の基準が、善と悪でその国家の存在が区別されてしまっているのでしょう。
 主の後が悪か善か。主の過去の出来事の無実を信じたならば、BCのビフォア・クライストとしての過去の行いが良いものであったと神が是認した事を信じる事が、真実が明かされる前にその人間の無実を信じた証人こそ、真の無罪を勝ち取る為に行動を共にし、その人間の人柄を信じた方達なのでしょう。
 1999年のグランドクロスで、蠍座のアンタレス(アンチ・アレス)で、アレスとアフロデイーテの不倫を抑える為の蠍=オリオンの足に毒針を刺したのが蠍です)。
 スコーピオ。嘗てのハリウッド映画。
 戦争と美女。蠍座の女性。摩蠍宮と山羊座で、カプリコーン=山羊座の季節にある12月25日。クリスマス。Xmasと、X=10はローマ数字で、Xmasがトマスを意味するなら、デドモ・ユダ・トマスとは、アラム語での双子がデドモで、トマスはギリシャ語で双子。アラムでの双子が一年を二分する時期としての春分の日と秋分の日で、トマスが夏至と冬至での二分とした時に、太陰暦での双子と太陽暦での双子の4つの区分で一年の暦を固定すれば、その季節と年月日のズレが起きなくなり、本当の季節での月日の固定で祭りを滞りなく行う事が出来れば、神の怒りを買う事もないのでしょう。天変地異であったり、その祭りを行う事が出来ない事でのカタストロフィー。
 一ヶ所への集中。皆が集まる。その大木の回線。個々の家々の柱が一ヶ所に集中する事での上空への回線で、生命の樹の家系図が繋がる。天と地を繋ぐ鳥。平和の鳩か黒い烏かは、太陽神アポロンの妻のコロニスの不倫の疑いを、虚偽報告した事で呪われた烏の羽が白から黒に変えられてしまった神話と、その悲劇の死を遂げたコロニスの子宮から取り上げられた子供のアスクレピオスは、医療の神として死者を復活させる術を考案してしまった事で、叔母(伯母)のアルテミスの願いで、義母との不義密通を疑われ、義母の誘惑を退けた結果、強姦の嫌疑をでっちあげられて、父親に殺された男性を復活させた事で、祖父のゼウスに雷で殺されてしまったアスクレピオスの神話。
 イエスの記述との符号がそこに看取出来ると思うのは、決して私だけではない筈です。
 西行法師(本名ー佐藤義清ーのりきよ)が、死者を蘇生する術を学んでいたという説話で、西に頭を向けるとは、頭蓋骨と骨を西向きに配置し、その地球の自転の東回り(未来への時間軸)に対して、自転と反対に向く環状電流が、過去へ遡源する回線となるなら、死者の生前の情報を得る事が、死者の意識を蘇生させ、何故そこで無縁仏となったかの因縁を知り、それを祓う=死者の声=無念の声を聞くー誰かに自分の縁を知って貰う事で、カタルシスを得るのは、声に出し、誰かに話す事でスッとした事で成仏するという事なのかもしれません。
 西行。西の世界の浄土。西方浄土と阿弥陀如来。
 アミナダブと言う名前は、ナザレのイエスの先祖の名前ですが、自分の先祖を西に求める事が、日本人の祖先の起源を大陸へ求め、更に西の世界のエルサレムへ求める事が、昔の日ユ同祖論だったかもしれません。
 モーセとアクエンアテン信仰で、アメンホテプ4世とラムセス2世。血縁のない二人の兄弟が、ヘブライ人の子でありながら、ファラオの娘に育てられた奴隷の子が、自分の真の血筋を知り、王家との敵対関係になった事実が六芒星としての正三角形のピラミッドの頂点と、堕ちた太陽としてのアポルオーンは、アバドンの王として蝗の王ともされます。蝗と野蜜を食していた洗礼のヨハネと、そのヨハネの摂取したタンパク源のお腹のベルト(胎蔵界曼荼羅の太陽ー大日如来)を回す事が、蝗のお面の仮面ライダーならば、そのお腹の蝗と顔を繋げない為に、その胴体と顔を切り離したと、サロメの所業が定義付けられれば、大地に落とされた太陽神が、蝗へと転生するのを避けられたかもしれません。
 サロメとは、架空の名前とはされますが、ダビデ王の息子のアブサロムは、反逆者とはされますが、聖書の中の記述では、ダビデ王の長男のアムノンに、アブサロムの実の妹が強姦された事に兄のアブサロムが怒り狂い、そのダビデ王がアムノンを許した事に対する反逆だった訳です。
 アブサロムを反逆者として、神の一族に対するサタンと定義つける事がいかに愚かな事かは、聖書を読むとわかります。
 アレスとアフロデイーテ。ソロモン王。
 老齢のダビデ王の世話をしていたのがアビシャグで、そのユダ王国一の美女で処女であった彼女をめぐっての王権争いで、ソロモンが勝った訳ですが、ルカ書とマタイ書でのイエスの先祖の記述で、マタイ書でソロモン王とされている家系図が、ルカ書ではナタンとされています。ダビデーソロモンの箇所が、ダビデーナタンとされているルカ書。
 ナタンとは、ダビデ王とバテ・シバの不倫を叱り、父親のダビデ王の為に、息子のナタンが預言者として神に許しを嘆願したと言う方であり、アメリカ航空宇宙局のコードネームであるナタンは、太陽のプラズマ大気の下に隠された巨大大陸の名前とされています。
 ナタンはネイサン(英語の発音)。
 その系図の違いが、逆に、聖書を改竄した存在がいない事の証明でもあり、また整合性が取れていない事と、嘗て改竄される恐れがあった事の事実を記録している箇所でもあります。
 アブサロムとは、サロメの父の意味であり、サロメはシャローム=平和を意味します。
 ヘロデ王が、エドムとユダの両方の血族であり、イサクの双子の息子のエサウとヤコブの両方を繋ぐ存在だとしたら、ヘロデ王とモーセ=アクエンアテン=アメンホテプ4世の宗教改革での、アマルナへの首都移転と、ルナ=月で、天の月の太陰暦と、ファラオが夜に乗る太陽の舟で東に帰る事と、ヘロデ王の紋のひまわり紋が、ひまわりがその花を東から登る太陽の動きに合わせ、西へ顔を向け、夜間にその花を東へ戻すその向日葵の油が、もしかすると万能細胞と細胞の初期化に関係し、植物細胞の葉緑素のクロロフィルaが、赤い光を吸収し、光合成を行い全てのアミノ酸を生合成するのであり、西へ向いた赤い光の波長と、癌細胞を誘発する紫外線で、短い波長の光と長い波長の光を合成すると、白い光(太陽光)となるのは、全ての7色の光を合成すると白い光となる事で、癌を誘発する紫外線に対して、赤い波長の光を皮膚に浴びる事(西の世界の夕焼けー西の海の赤い夕焼けがワインの海(ワインデイングシー=メロヴィングとは、メロとはフランス語の「mer」「mere」で、前の言葉が海で、後ろのスペルは母親を意味します。ワインの海=メロヴィング。
 南フランスへのマグダラのマリアとその子供のサラの移住を、魚座のモデルのアフロデイーテとその子供のエロスが、魚に姿を変えて、暴風の神のテユポーンの暴力政治から逃げる為に、二匹の魚と5つのパンで、再生した一族の歴史が、フランスへ流れている可能性もあります。
 西に広がる赤い夕焼け色のメロヴィング。
 西へ自分の頭を向けた時に降りてくる頭上の回線を遡る(遡源する一族ー源氏。源。自分の源の水。

 

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