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スケープゴート -06-

―動揺―

 
 先日のお花見から夕海は、出勤時、昼休憩、退勤時に喫煙所になんとなく通うようになった。そこに行けば大抵綿谷も居るし、他の喫煙者達も集まってくる。アルバイトを始めた当初は、面倒くさい人付き合いを避けていた夕海だが、喫煙者故に喫煙所でのコミュニケーションはやはり楽しいものであった。社員や派遣、アルバイトの人達が喫煙所を訪れては会釈や挨拶、少しの会話をする。また、喫煙者あるあるなのか、ライターを忘れてしまった人に貸してあげたりと喫煙者同士、仲良くやれていた。中には気に喰わない人も居たが、それはそれで無視していれば良いだけのお話であるので大した問題でもない。

 

 ある日の喫煙所。いつも通り昼休憩になって、夕海は喫煙所へ向かう。その途中で綿谷と合流し、一緒に喫煙所へと入る。

「今日は寝坊して遅刻するかと思ったよー!俺の出勤時間は早い時間帯だし、早くに出ても荒木さん居ないしさ…気合入らないんだよねー」

「貴方は此処へ何しに来てるんですか?仕事をしなければいけないのに喫煙所中心で動いていちゃダメじゃないですか」

「だってぇ…」

 しょぼくれる綿谷だが、一瞬にして笑顔になる。

「じゃあさ、職場だけじゃなくて、プライベートでも俺と絡んでよ!そしたら、仕事にも気合入るしさあ!」

 正に名案だと得意げな表情を見せる。綿谷は相変わらず、夕海にご執心のようで会う度に色々とちょっかいを掛けて来るので夕海は少しの戸惑いと楽しい感情がない交ぜになっている。果たして、綿谷の提案は夕海にとっても名案たるか?確かに夕海の出勤時間はシフトが特殊な為、割と朝はゆっくりと出勤が出来る。当然、出勤時と退勤時は綿谷と時間が合わないので必然的に昼休憩が主な遭遇の機会になる。たまに、出勤時や退勤時に綿谷に見つかると、その時もまた綿谷がドスドスとやってきたりして絡まれる。

「私は今ぐらいが丁度良い距離感で楽しいと思いますけどねえ」

 素っ気なく答える夕海に対して綿谷も負けじと食い下がる。

「えー、なんかゆみにゃん冷たいー。俺らってドライブ&花見デートした仲じゃん!それに自宅前までしっかりと送ったしさ!こりゃもう、懇ろでしょ!」

「懇ろって!何言ってるんですか!あの時は体調が悪くて仕方なく送って頂いただけですよ!それより、ゆみにゃんてなんですか?いきなり気持ち悪い!」

「え、だって、なんか荒木さんて猫っぽいじゃん?気分屋というか…ああ、違うな。なんかね、良い意味でマイペースなんだけど、素っ気ない時もあれば、デレる時もあるからさあ!だから猫っぽい!」

「貴方の中でそうだとしても、いきなりゆみにゃんだなんて変なあだ名付けないで下さい!なんかダサいし!センスないですね!」

「もうー、怒らないでよー。親愛の情を示してるだけじゃん!深く考えないで!ゆみにゃんの悪い所って考え方が固い所だよね!もっと肩の力を抜けば良いのに!」

「話をすり替えないで下さい!あと、そのゆみにゃんもやめて!」

「ほら、そういうとこ。俺ら大分話をして親しくなってきたのに、荒木さんてば何時まで経っても敬語でしょ?そういうの堅苦しくない?俺なんて社員てだけで、ただの年下の可愛い男の子だしさ!もっとフランクに話してよー」

 話がコロコロと移り変わり、夕海は綿谷という波に翻弄されていく。だが、不思議と嫌な気分にはならない。そんなに自分が謎ではあるが、綿谷と過ごす時間は夕海にとっては十分に肩の力が抜けている状態なのだが…、当の本人はそんな事には全く気づいていないようだ。

「もう良いです。貴方が変な人なのは良く解ってるつもりですしね。私が敬語なのは、此処は職場であって、一社会人としての常識としてそうしてるまでですけどね」

「だったら、職場の外で話をしようよー。もっと砕けた感じで素の荒木さんも知りたいよ俺」

「そんな事言われたって、私たちただの社員とアルバイトですしね。突然そんな事言われても私は貴方みたいに対応出来ないんですよ」

「物は試しに、連絡先交換しない?今スマホ持ってる?これ、俺のQRコードなんだけど…、アプリを起動して読み込むだけでいいからさあ!」

 綿谷の差し出すスマートフォンの画面のQRコードを見る。夕海は困った表情で何も言えないで居る。

「解った!じゃあ、こうしよう?連絡先交換はするけど、別に荒木さんから何かメッセージは送らなくても良いし!俺が話したい時に声掛けるから、もし良かったらその時の気分で返信するってので良いし。勿論スルーしても良いし、深く考えずに登録してよ!」

 相変わらずこの人は…。人と人の垣根を平気で飛び越えてくる。まるで走り幅跳びのように、一度で遥か遠くまで突っ走って飛び越えてくる。ここまで言われたら流石に夕海も断り辛くなる。それでも、不快ではなかった。ただただ、どうしたら良いか、本当に連絡先交換しても良いのかどうかが夕海には判断出来ないのである。

「あまり返事が出来なくても良いなら…」

 おずおずと夕海は自分のスマートフォンを取り出しアプリを起動する。綿谷の差し出すQRコードを読み込む。これでプライベートでも二人は繋がることになってしまった。

「おー!ありがとう!マジで嬉しいかも!」

 わーいと喜ぶ綿谷の傍らで夕海は、何故、どうして、よりによってこの鬱陶しいことこの上ない男性と繋がらなければならないのか…、そう思った。

「そんなに嬉しいものですか?連絡先交換なんて、プライベートで面倒が増えるだけですよ」

 夕海はせめてもの抵抗としてストレートに言い放った。

「荒木さんてば!そういうとこだぞ!面倒な事も楽しむのが人生のコツなんだって!これから俺、毎日荒木さんにメッセージ送るから!」

「はあ、そうですか…」

 もう呆れるしかない。ただ、綿谷の言う面倒な事を楽しむという言葉は新鮮に聞こえた。今まで夕海にとっての面倒事とは、生活が懸かっていて楽しむ余裕なんて全くなかった。そんな考え方が出来る綿谷をひっそりと尊敬してしまいそうになる。だが、この男は絶対に適当な事を言ってるに違いない。夕海はそう思いなおし、これから面倒な事が一つ増える事に対して落胆した。

「これで俺たちも、一歩前進だね…」

 照れながら綿谷は嬉しそうに一言。夕海はもうどうにでもなれという気分。対照的な二人が喫煙所の中に佇んでいる。夕海は気分を切り替える為にシガレットケースから煙草を一本取り出し、火をつける。綿谷もそれを見て、自分もと煙草に火をつけ吸い始める。喫煙所の窓には、ぽかぽかとした陽気が反射している。そういえば、閉鎖病棟の仲間たちは元気にしているだろうか?そんな事を考えながら外を眺めながら煙を吐き出す。綿谷も同様に煙を吐き出してまた吸っている。たまには田中ちゃんや渡辺さんとも連絡を取ってみようかな。晴れてひとり立ち出来た事を渡辺さんには報告していないし、お礼も言えていなかった。もう、あれからどれくらい経っただろうか…。などと思案を巡らせる。あまりに生活が変わってしまった上、綿谷という面倒を抱えることになった夕海なのだが、これが吉兆であるならどれほど良いかと願った。

「じゃあ、時間なんで仕事に戻りますね」

「うん、午後からも頑張って!」

 手をヒラヒラさせながら言う綿谷を置いて夕海は喫煙所を後にした。夕海は倉庫内に戻って、いつも通り仕事をこなす。今日は割と作業効率が良くスイスイとピッキングが出来る。退勤時間まで夕海は集中してピッキング作業に没頭した。綿谷との連絡先交換で面倒を背負った事も忘れ、無我夢中に作業した。そうしてあっという間に退勤時間になった。もう既にルーティン化しているのか喫煙所に向かった。煙草に火をつけ、煙を肺まで吸い込んでやっと一息つける。

 帰宅した夕海は鞄を投げ出し、部屋着に着替えて水分を摂る。今日はなんだか気分が良いので、BGMとして音楽を掛けた。読みかけの本を読もうとテーブルに手を伸ばすと、スマートフォンの通知音が鳴った。嫌な予感がした夕海だが、とりあえずスマートフォンを手に取り、確認する。通知の相手は綿谷からだ。どうしようかと夕海は悩むが、直ぐに既読を付けるのも憚られるので後から確認する事にした。テーブルにスマートフォンを置きなおし、本を手に取りベッドへ行き転がる。ダラダラと本の続きを読み進める。時は流れ、十八時過ぎ。うっかり読書に没頭してしまい、家事を何もしていない。夕飯の準備をしなければと、冷蔵庫を開け、食材を出し調理を始める。出来上がった料理を食べつつ、テレビを見ていたらテーブルに置いてあるスマートフォンの通知が再び鳴った。もう確認せずとも誰からのメッセージかは容易に想像出来る。ゆっくりと食事を摂り、入浴し就寝の準備をしてから夕海はスマートフォンを手に取る。通知を開いてみた。綿谷からのメッセージは、綿谷が変顔をしている自撮りの写真が連投されていた。くだらない…、そう思いながらも何も返事をしないのも何だか忍びないので返事を送った。

『変顔ばかり撮って送って来ても、反応に困ります』

 こう返事を送った。すると、直ぐに既読が付き綿谷からの返事が届いた。

『やっと気づいてくれた!忘れられてるのか、未読スルーかと思って不安だったんだよー!』

『すみません、通知には気づいていたのですが、色々と忙しいのもあって後回しにしてました」

 正直に返事を送る夕海。

『いや、良いんだよ。昼間にも言った通り、気が向いた時に返事してもしなくても良いし。でも、そう言っといてなんだけど、やっぱり返事を期待しちゃう俺がいるんだよねー』

 と続けておどけたスタンプも届く。

『だから言ったじゃないですか、面倒事が増えるだけですって』

『んーでも、なんとなく荒木さんとは繋がって居たいと思ったからさ。返事を待つ時間もソワソワしてたけど、それはそれで返事がいつ来るか楽しみで仕事に集中できなかったよ』

『私の返事を楽しみにしてくださるのはかなりプレッシャーになりますし、仕事はちゃんとして下さい』

 夕海がそう返事すると唐突に牛丼の画像が送られてきた。

『牛丼なう!今から食べるし!』

『どうぞごゆっくりお召し上がりください』

 そう締めくくり、メッセージのやり取りは終了した。夕海は、これから毎日(おそらく)送られてくるであろうメッセージの事を考えると暗澹たる思いになったが、思い直した。綿谷が言っていた『面倒な事を楽しむ』とやらを実践してみるのも良いかもしれない。それでなくても、仕事以外は刺激の少ない日々を送っているので、綿谷とのメッセージの遣り取りは正直面倒くさい事この上ないことだが、敢えて面倒を抱えてみる事にした。それでも、他人とのコミュニケーションを取りたくないと思っている夕海はこれからの事が不安だし、その事を考えるとストレスを感じてしまう。もう今日は寝よう…。眠前の薬を飲み、直ぐに布団に入る。部屋の電気も全て消して漆黒の闇が広がる。夕海は瞼を閉じ、十分程経ってから入眠した。

 

 翌日、起床した夕海はいつも通り朝の身支度をし、朝食を摂り出勤までの時間をゆったりと過ごしていた。そうしていると、スマートフォンの通知が鳴る。どうせ綿谷だろうと思い、メッセージを確認してみると、

『おはよう!今日はシフト入ってる?』

『今日も出勤日です。いつも通りの時間に行きますよ』

 面倒臭いが、質問されたので不承不承答える。

『そっか!おっけ!じゃあ、出勤時に会えるように仕事を上手く調整するよ!』

 別にそこまでしなくても良いのに…。と思う夕海だが、喫煙所という空間が好きなのもあり会う相手が綿谷だとしても、それはそれで良いのではないかと思った。いつもの通り少し早めに出勤し、喫煙所に行くと綿谷が先に来ていた。

「おはよう!あ、もう既に挨拶は朝一にしてたか!なんてね、どう?今日は元気?」

「おはようございます。早朝からのメッセージは気づきづらい時もありますし、休みの日は寝ている時があるのでなるべく遠慮して頂きたいところなんですけどねえ」

「ごめんごめん!今度から気を付けるからさ!許して!」

 両手を合わせて、たははと笑いながら謝って来る綿谷。

「それで、今日の調子はどうだい?」

「いつもと変わらず普通です。可もなく不可もなくです」

「そっか、いつも通りが一番良いよね!」

「そうですね。波があるのも考え物ですし…」

 と本音を言う。夕海は普段から身体的にも精神的にも大きな波がやってこないように心掛けている。アルバイトをしているとはいえ、二週間に一度の通院と普段の服薬があるからだ。現状、病状は重くはなく穏やかに過ごせてはいるが、つい昨日から綿谷との連絡先交換というストレス負荷が増えるという出来事があったので、これからは今まで以上に気を付けて過ごさなければならない。『面倒な事を楽しむ』此れが出来ればどれ程良いかと願っている夕海。

「そういやさ、今日の昼休憩に一緒に飯行かない?近くに上手い飯屋があってさ、店内で喫煙も出来るんだけど…」

「え、一緒にですか?私は昼食は摂らないんです。出勤時間もお昼前で十時からですし家を出る前にもう食べてきているんです」

「じゃあさ、荒木さんはコーヒーでも飲みつつ煙草吸ってて良いからさ、俺の飯に付き合ってよ。コーヒー代も俺が払うから!」

「そんな、悪いです」

「良いから!喫煙所では座れないでしょ?その点飯屋なら座って煙草が吸えるし、俺は荒木さんと話が出来るしwin-winでしょ!」

 この人は、win-winなら何しても良いと思っているのか、それとも深く考えていないのか解らない。ただ、不可思議な事に綿谷からの誘いは強引ではあるが、夕海にとってはそんなに嫌悪感は感じない。どうしようかと思案していると、綿谷が続けて言う。

「毎回って訳じゃないし、たまにはどう?荒木さんはもっと俺と話をするべきだと思うよ!だって、俺と話してると楽しいでしょ?」

 得意げな表情の綿谷。確かに綿谷と話すのは楽しく感じる事が多々あるが、一緒に食事に行くのは話がまた別だと思った。

「私がなんで綿谷さんの食事シーンも見ながらコーヒーを飲んで煙草吸わなきゃいけないんですか?」

「だって、俺、飯食う時一人だと淋しいんだもん」

 駄々を捏ねる綿谷。

「なんで私が貴方の我儘に付き合わなきゃならないんですよ!」

「いいじゃん、荒木さんだってコーヒー飲めるし、煙草も座って吸えるんだよ?」

 しょぼんとしつつ答える綿谷。夕海はそんな顔をされるとなんだか自分が彼をいじめているように感じて来てしまい、

「はあ、仕方ないですね。じゃあお昼に付き合えば良いんですね。昼休憩になったらどこに行けば良いんですか?」

「おっ!話が分かるねえ!昼になったら此処じゃなくて駐車場に来て!マイカーまでご案内します」

「え、近くじゃないんです?」

「車で三分の所。少しでも時間短縮した方がゆっくり食えるし、煙草も吸えるしね!」

「そういう事ですね、解りました」

「じゃあ、またお昼に!」

 そう言って綿谷は喫煙所を後にした。ドスドスとした足音が遠ざかって行く。夕海もあと一吸いで煙草を吸い終わるので急いで吸い喫煙所を出た。それにしても、昼食に誘うなら朝一のメッセージでついでに言ってくれれば良かったのに…。そう思った夕海だが、それでも綿谷は喫煙所で直接夕海を誘う、その方法を選んだという事実を実は好ましく感じた。なんとなくだが、重要な事は直接話をしたいタイプの人なんだなあとなんとなく。

 

 昼休憩に入り、綿谷に言われた通りに駐車場へ向かった。既に綿谷はおり、夕海に手を招いてマイカーへと案内した。綿谷の愛車は日産のラシーン。現在では既に生産が終了している車だ。

「免許を取った記念にさ、親父が買ってくれた車なんだ。結構気に入ってる。さ、乗って!」

 促され、助手席に座る夕海。シートベルトを締めると綿谷がエンジンを掛ける。綿谷の車は古い車種だからかMT車で珍しく思われた。

「今どきMTとは、運転がお好きなんですか?」

「いや、これは親父が敢えて選んだの。免許取る時はMTで教習するじゃん?だから、操作を忘れないようにって親父がMTを選んだのよ」

 特にこだわりを見せない綿谷は、ギアチェンジをしながら車を走らせる。綿谷の言う飯屋には直ぐに到着した。

 

佇まいはよくある大衆食堂。中に入ってみると、沢山のお皿の中に色々なおかずが載っている。綿谷は慣れた感じで、注文をしている。取り分けて貰って、席に持って来て貰う。夕海にはコーヒーを注文した。

「本当にコーヒーだけで良いの?ここ甘いものもあるから何か頼もうか?」

 気を遣う綿谷が提案してきた。

「流石にコーヒー以外の物まで奢って頂くのは悪いですよ。私もゆっくりしたいので、コーヒーをちびちびやりますよ」

「あ、そう?てか、煙草吸いたかったら吸っていいし!俺飯食ってる時に吸われても平気だから遠慮しないでね。折角の昼休憩なんだから!」

 そう言われ、お言葉に甘えて夕海は煙草に火をつけ吸い始める。コーヒーと交互に喫む。中々良い気分だ。綿谷はと言うと、里芋の煮っころがし、鶏肉のしぐれ煮、ほうれん草のお浸し、ご飯とお味噌汁を熱心に口に運んでいた。意外にも、綿谷は食べるのが遅くもぐもぐしながら時間を掛けて完食した。

「ふう、腹いっぱい!」

 そう言い、煙草に火をつけ一服とばかりに吸い始める。

「実を言うと、此処の飯マジで美味いから荒木さんにも何か食べて貰いたかったんだけど、また機会があれば誘っても良いかな?」

「そうですねえ、タイミングが合えば食べてはみたいです。貴方があんなに美味しそうに食べていたので私も食べてみたいと思ってました」

 煙草の煙を吐き出しながら答える夕海。

「やった!じゃあまた誘うよ!」

 そう言ってからは、いつもの喫煙所と同じように益体も無い話や軽口を叩き合ったりして過ごした。

「あ、そろそろ戻らないとね!」

 そう言うと、綿谷は会計票を持ってレジへ向かう。夕海も後を追う。流石にコーヒー一杯でも奢って貰うのは心苦しかったので、自分の分は払おうと財布をだす。すると、それを制して綿谷はスマートに会計を済ませて店外へ出て行くので夕海も付いていく。

「ごちそうさまでした。コーヒー美味しかったです」

「良いんだよ、俺が誘ったんだし。どう?ゆっくりできた?」

「はい、座って落ち着いててコーヒーを飲みながら煙草が吸えたのは良かったです」

「そっか、良かった」

 綿谷はニッコリ笑い、二人は車に乗り込んだ。スイスイと会社へ向かって車を走らせる綿谷。会社に戻ったら、挨拶もそこそこにお互いの持ち場へ向かった。

 日々、夕海と綿谷の距離は牛歩ながらも縮まっていく。喫煙所やメッセージの遣り取りを通して親しくなっていく。これは二人にとって良いことではあるのだが、夕海は悩んでいた。最近はほぼ綿谷としか関わっていない。特定の誰かと親しくなり過ぎるのも問題だ。何故ならば、夕海は今まで、入院中を除くと家族であろうと、職場の同僚であろうと親しく関わる事がなかったからだ。だから、人間関係を上手く構築する方法がわからない。幸い今は綿谷のお陰でつつがなく付き合いを続けられているけど、いつかボロが出てしまうのではないか。それに、深い話をする仲にまでなってしまうと、必然的に夕海は自分の病気の事、家族の事を話さなければならなくなる。アルバイトをしては居ても、夕海はまだ生活保護受給者でもある。生活保護の事も含めると、他人に話すのはかなり慎重にならなければならない。そして、いつかそんな日が来る予感もしていた。だからこそ、まずいなあ。夕海は困っていた。

 だからと言って、いきなり一方的に綿谷との関係をカットアウトする事もできない。それは夕海にとっても淋しくあったし、彼の事をそんな風に扱えない存在と認識してしまっている。ふと、夕海は気づく。いつからか、夕海の中で綿谷は大きな存在になってしまっている。一体どうしてだろう。何故だろう?と、夕海は戸惑ってしまった。今までみたいに、他人とは最低限しか関わらず波風を立てないように過ごして来ていたのに…。気づいてしまった気持ちを持て余す。1人ではどうしようも出来ないこの気持ち。どうしたらいいのだろう。皆目見当が付かない夕海は困り切った末に電話することにした。

「もしもし、夕海ちゃん?久しぶりね」

 声の主は渡辺さんであった。

「突然電話してしまってすみません。ちょっと悩んでる事があって、誰かに聞いて欲しかったんですけど…」

「あらそうなの?私で良かったら話はいくらでも聞くけれど、それより夕海ちゃん、あれからどうなったの?」

 渡辺さんが通報してくれてからどうなったか、事の経緯を話す夕海。

「良かったわあ。あれから何の連絡もないからどうなってしまったのか気になってて。でも、便りが無いのが良い便りだったわけね」

「その節は本当にご心配お掛けして申し訳なかったです」

「良いのよ、夕海ちゃんが安心して暮らせるようになったんだし…所で最初に言っていた悩んでる事って何?」

「あの、アルバイト先で知り合った社員の男性の事なんですけど、今まで私、入院中は除いて他人と親しくなる事がなかったから、どうしたら良いかわからなくて…」

「え、そうなの?私、夕海ちゃんてコミュニケーション能力が高いと思っていたんだけれど、検討違いだったのかしら?」

「いえ、まあ、普通に世間話をするとか、必要に応じて初対面の人と話せと言われたら出来ない事はないんですけど、その、同性・異性問わず友達が今まで出来た事がなくて…」

「友達、ねえ。夕海ちゃんは職場の綿谷さん、だっけ?その人の事を友達だと思っているのね?」

「ええ、多分、これが友達なんだなって…感じています」

「じゃあ、何も悩む事ないわよ。友達だからって何でも話さなければならない訳でもないし、夕海ちゃんが抱えてる事情も必ず話さなければいけないという訳でもないしね。今まで通りの付き合い方で良いんじゃないかな?」

「そうでしょうか?そうですね」

「ただ、男女間に友情が成り立つかと問われたら、私は否と答えるけどね」

 渡辺さんはそう付け加える。

「え、どういう事ですか?」

「もう、夕海ちゃんは鈍感ねえ!貴女は彼に恋愛対象として見られてるのよ!もう!」

「ええっ!確かに馴れ馴れしいし、可愛いから気になってたとは言われた事はありますけど、いつも冗談めいた感じで言ってたし、まさか本気だとは…」

「彼、かなりストレートに伝えて来てるわよ、なんなら、今現在、半分落とした気でいるかもね」

「えっ、私、そんなの全然気づかなかった…」

「とにかく、夕海ちゃんにその気がないなら、距離を置いた方が良いわ。まだ若い男の子ですもの。期待させてしまうのも可哀相だわ」

「そう、そうですね。渡辺さんの言う通りならそうした方が良いですよね」

「まあ、夕海ちゃんも彼の事を少しでも良いなって思うなら、試してみるのもアリよ?」

 コロコロと笑いながら渡辺さんは言う。

「え!そんなの考えた事ないから分からないです」

「結論を急ぐのは良くないわよ。ゆっくりじっくり考えて、どうするかは自分でお決めなさいな。私に言える事は夕海ちゃんの心のままにってとこかしら」

「心のままに…」

「でも、本当、夕海ちゃんが元気で生活出来ていて嬉しかったわ!私の通報が逆に状況を悪化させてしまったかと思ったし」

「本当、長い間連絡しなくてすみません。それに突然悩みまで聞いて頂いて…」

「いいのよお!またいつでも連絡してらっしゃいな」

「はい、ありがとうございます」

 電話を切って、渡辺さんに指摘された事について考える。綿谷が、夕海の事を恋愛対象として見ている。二歳も年下だし、弟みたいに思っては居たが、まさかそんなことが…。夕海は半ば信じられないで居た。もしそうなのだとしても、今の夕海には応えられない。でも、距離を置くのも淋しい。渡辺さんは心のままにと言ったけれど、どうすれば良いのかがまるで判らない。悩みを相談したのに、逆に迷路に迷い込んだ気分だ。これから夕海は彼とどんな顔をして会えば良いのか、何を話せば良いのか分からなくなっていた。

エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。