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スケープゴート -04-

―生殺し―

 

 

 退院して二週間が過ぎた。退院数週間前から、薬を飲む事を止めていた夕海は、割と調子はよかった。しかし、眠る前の薬だけはどうも飲まずにはいられなかった。

 夜眠れないのは辛い。朝までが長く長く感じられるし、闇夜の中で、とてつもなく寂しくなり、絶望感を抱くからだ。病院は退院したものの、すぐに働ける状況でもない。薬を飲まなくなってから大分良くなったとは言え、まだ呂律も回らないし、手足が震えて、食事中なんかは箸すらまともに握れない。イライラ・ソワソワによる副作用がぶり返して来ていた。何故だろう、薬を飲んでいないのに、こんなに苦しいのは…と夕海は思うが、答えは見つからない。

 

 ある日突然、義父から薬を一切飲むなと言われる。夕海にとっては好都合だが、睡眠薬が飲めないのは本当に苦しかった。ベンゾジアゼピン系睡眠薬。簡単に言えば、昔の睡眠薬より安全性が高いが、依存性も高いという代物だ。断薬することにより、反跳性不眠になる。反跳性不眠とは、睡眠薬の量を急に減らしたり中断すると、睡眠薬の服用前よりも強い不眠が出現することを指す。これは、とてつもなく苦しいことこの上なかった。

 加えて、病院へ通院する事も禁じられた。丁度、十月。荒木家は稲刈りで忙しい時期だったので、働き手として夕海もかりだされたが全く役に立たず、義父や母の不興を買ってしまった。

 年末から年始にかけて、離脱症状は半端なく夕海を襲う。今まで服用していた薬を医師の指示の下ではなく、素人の判断で強制的に断薬させるということが、どういうことか、義父・母共に理解できないのだ。退院後、三ヶ月も経つというのに一向に働く気配のない夕海に義父・母はイラついていた。

 退院してからしばらくやんでいた暴力が、再び始まった。殴られ、蹴られ、食事を与えられない日々。夕海はそれどころではなかった。殴られようが蹴られようが、離脱症状に耐えるのに一杯一杯だったからだ。そんな過酷な日々も夕海にとってはどうでも良いものだった。薬を飲んでいないのに、薬を飲んでいたとき以上の身体的症状があることがなによりも恐怖だった。

 

 年も明けて一月の下旬頃、思いがけない人から携帯に着信があった。渡辺さんだ。確か、退院前にお互いに連絡先の交換をしていた。他には田中ちゃん、斉藤ちゃんとも交換していたはずだ。入院中の仲間からの連絡は退院して初めてであった。

 しかし、体調も悪く、精神的に不安定な夕海はその電話に出る事ができないので、メールを書く事にした。

「おひさしぶりです。お元気ですか?今私は、薬を全く飲んでいないのに、副作用に悩んでます。電話も出る元気がありません。すみません」

とメッセージを送った。

 すると、すぐに電話が掛かってきた。夕海はそんな気分ではなかった、電話に出る事にした。

「もしもし、久しぶり、夕海ちゃん大丈夫?」

「おひさしぶりです。大丈夫じゃないです…」

「退院前あんなに調子よかったのにどうしたの?何かあったの?」

「薬、今飲んでないのに、手が震えたり、イライラ・ソワソワして、ジッとしてられなくて、でもベッドから起きれなくて…両親からも暴力があってもうどうして良いかわからないんです」

「病院には?外来は行ってないの?」

「はい、退院二週間後に行ったきりでもう行ってません。自立支援も手帳の申請もしたんですが、どうなってるか分からない状態です」

 現状を訴える夕海。渡辺は落ち着いていた。

「夕海ちゃん、それ問題だよ。私が市に電話してあげるから、夕海ちゃん少し待っててくれる?」

とだけ言われ、電話は終わった。

 市に、行政に電話したところで、何かが変わるとも思えない夕海は気にもとめなかった。その二日後、市の保健師を名乗る人間が夕海宅へ訪れた。丁度そのとき、家には夕海しかいなかった。義父は仕事、母は買物に出かけていた。不審に思いつつも、保健師は渡辺さんの名前を口にした。どうやら、渡辺さんが市に通報してくれたみたいだ。

 保健師は、こう言う。

「もう三ヶ月も前に手帳が交付されているのにまだ受け取りに来られてませんよね?なにか事情があるかと思い、こうやって参りました」

「手帳が交付されている事は知っていましたが、両親の干渉により、自由に外へ出たり出来ないので受け取りにいけなかったんです」

「そうですか、じゃあここに署名と捺印頂けますか?これが手帳ですので、受け取りの証が必要です」

と、促され、署名捺印する夕海。そうして手帳を手に取り、中を開いて見てみる。等級はなんと二級だ…。夕海はショックを隠しきれない。まさか自分が二級だなんて、到底受け入れられなかった。保健師は、パンフレットやら色々手帳にまつわる制度を説明してくる。夕海の耳には入らない。どうして、私が二級なの?とずっと頭の中でグルグル回っていた。本当は三級しか出ないと医師・藤崎にも言われ、三級なら就職時に障害者求人枠での就職も見込めると思い、もし不要なら返還すれば良いと聞かされていたので、夕海は凄く戸惑った。

 

 一通りの説明を終え、保健師は訪ねてきた。

 

「通報があった件に関してですが…」

「それについては、今のところノータッチでお願いできますか?これ以上両親を刺激したくないので…」

「そうですか、困ったらここまで電話ください」

と、名刺を差し出した。そこには健康推進課係長 清水 と書かれていた。

 どっちみち世話になる事はないだろうと夕海は深く考えずその名刺をパンフレットと一緒くたにして、纏めて部屋の隅っこに置いた。

 暴力も、何もかも全て、入院前と代わり映えしない毎日。前と唯一違うのが、確実に夕海には逃げ場が無くなっていたこと。しかし夕海にはそれ所じゃない離脱症状に悩まされ、殴られても蹴られても何も感じない。否、肉体的に痛みは感じるのだが、精神的にそのような事がどうでも良いように感じられていたのだ。

 

 ある日、ベッドに臥せっていた夕海はいきなり、熱湯を掛けられ、飛び起きた。

母である。あの時と同じように夕海に対して吹っかけてきた。夕海はそれに対して答える余裕などないので無視していた。

 

 すると母は何かを手で探り、壁に投げつけ、叫ぶ。

 

「お父さーん!!」

 

 夕海は何が起こっているのか全く訳が分からないが、放って置いた。ドタドタと義父が駆けつけてくる音が聞こえるが、ただ煩いだけだ。夕海は濡れてしまった布団の中で息を潜める。狸寝入りだ。

 

「どうした!?」

急いだ様子で、義父が部屋にやってくる。

「この子が、物を私にぶつけようとして投げてきたの!!どうにかして!!」

義父は嘆息する。又か…と、母に対して呆れたように言葉を向ける。

「もうこの子のことは放って置きなさい。何かあってからでは遅いんだから、ね?」

ホラホラと母を階下へと誘う手。義父は夕海に向き直り、

「本当に母さんに物を投げたのか?」

問いかける義父。しかし夕海は何も答えない。

「そうか、もういい…」

そう言い残し、義父は去っていった。

 

 おそらく母は、入院時と同じように夕海が問題行動を起こしたと責めたてて、再び入院させる為に仕掛けてきたのだろう。こんなこと夕海でも想像がつくのだから、義父だってそうだろう。そして、多分、義父は理解した上で、事を収めた。だからと言って、義父や母からの暴力が止む事はない。

 食事が与えられないので、水分だけはと、夕海はトイレの手洗い場で水を飲む。両親共に居ないときに何か食べようと、台所へ行くのだが、何かを食べた事がバレれば、また殴られるので夕海は何も食べる事が出来なかった。

 そんな日々が一ヶ月続いていた。そして、母と義父が毎日よく喧嘩していた。十中八九夕海のことであろう。聞き耳を立てていた。そんな中で、義父が母に夕海に対する言動は行き過ぎていると責め立てる声も聞こえた。母は、夕海を再び入院させたいみたいであるが、義父が反対していた。

 多分、義父にも負い目があるのだろう。母の思い通りに動いて、結果は狂人半歩前の義理の娘。入院するまでは、毎日バイトにも通っていた、ごく普通の女性だった。母の手前厳しくしていたが、本当は、ずっと後ろめたかったに違いない。そんな義父が今夕海を守るために母と喧嘩しているのだが、夕海にとっては今更でおかしな話に思える。

 そして、怒鳴り合ってばかりでラチがあかなくなったのか、義父は車に乗って、家を出る。母は半狂乱で家の中を叫びまわっている。義父の携帯に電話を掛けているのであろう、ギャーギャー喚いている。何度も何度も電話しては喚いている母。そんな母の喚き声を聞きながら、精神科受診が必要なのは母じゃないのかと、夕海は思った。しばらくして、誰かが家にやってきた。耳を凝らして話声聞いて状況を確認すると、どうやら来たのは警察のようだ。理由は、母が夕海から奪った睡眠薬を大量服薬して死んでやる!!と義父にメールした為だった。

 警察が来て、二時間位だろうか、階下で複数の男性との話し声が聞こえる。がしかし、義父の声は一切しなかった。多分、義父ももうお手上げ状態だったのであろう…。母が落ち着いたと判断したのか、警察は早々に引き上げて言った。そして、義父は家に戻ってこない。

 やり場のない怒りを母は、夕海にぶつける為に、夕海の部屋にやってきた。ハンガーを片手にバシバシと殴りつける母。夕海は布団で包まり、母の攻撃から身を守ってその場はしのいだ。義父も兄もいない母はとても無力だ。感情的にギャーギャー喚くだけしか出来ない弱い人間で滑稽に思えた。

 その翌日、母は家から居なくなっていた。義父は仕事が終わってから帰宅してきた。母の姿がないので、義父は夕海の部屋までやってきて、状況を聞いた。

「母さんはどこだ?お前、何かしたのか?」

「ハンガーで殴られて、寝ていたので何が起こったのかわからない」

そうか、と義父は言い、階下へ行く。

 母の家出だった。兄・修司が自立して、一人暮らしをしていたので、兄を呼び出し、出て行ったようだった。夕海にとってこれは良いことか、悪いことか、わからないけど、事態は動いた。

義父との二人ぐらしが始まる。

 

 

―義父との生活―

 

 

 母が居なくなってから、夕海の生活は一変した。義父は、母が居なくなりかなり落胆した様子で、身の回りのことや食事も自分では全くできない人であった。夕海は母が居なくなったことにより、義父の身の回りの世話をするようになった。時には、

「母さんが出て行ったのはお前の所為だ!!お前さえいなければこうならなった!!」

などと、辛らつな言葉は投げてくるが…。

 概ね夕海は上手くやれている。母がしていなかった、義父の弁当作り、家の掃除、洗濯物、家事は大概夕海でもこなせるものだった。義父の為に、夕食を作り、ついでに夕海も食べさせてもらう。そんな日々が続いた。夕海なりにしんどい身体に鞭打ち、頑張っていたのだ。

 しかしながら、義父にとってそれは、鬱陶しく感じられていたようで、最初は柔らかかった態度も次第にキツくなっていく。

「私の身の回りの事する時間があるなら、出て行く算段をつけなさい」

そんな事を言われても、夕海にはどうしようも出来ない状況だった。

 そんな中でも、通院再開を許可され、主治医・藤崎と合わないことから、転院をする事も出来た。新しい病院の医師は佐藤という。とても若い医師で、夕海の疑問に思う事全てぶつけたとしても、一つ一つ紐解くように、分かりやすく説明してくれる。そして、薬も最小限の処方、中々良い感じだった。

 そうこうしていると、今度は田中ちゃんから携帯にメールが届く。

「元気ー?あたしはめっちゃ調子悪い。ホームに入れられてから、何もする事なくて、本当つまらない毎日だよー。夕海はどう?」

メールにはそう書かれていた。

「いやー退院してから強制断薬させられーの、両親からの暴力があったりで、かなり過酷なんだよね。家から出て行けといわれても先立つものもないしさ。そういえば、私も障害者年金申請できるのかな?」

 返信をすると、すぐに田中ちゃんから返事が来る。

「あたしの依頼している社労士さんはとても信頼できる人だから紹介してあげようか?」

田中ちゃんから提案され、夕海は、このままだと八方ふさがりなので、紹介してもらう事にした。そして、早々に、紹介された社労士さんとのアポも取り付けた。

 とある日のファミレス。社会労務士の中島さんと、契約を済ませた。完全に成功報酬で、申請が通らなければ、金銭の授受は発生しないという事だった。そうして夕海は、転院後の病院には二週間に一度定期的に通院するようになった。義父との仲はまぁまぁであったが、義父は時折夕海に冷たくあたったりした。

「病院とか障害者年金とか言っているけど、何も進んでない。そんな暇があるなら、早く働いて社会復帰しろ!!」

などと、キツイ言葉を投げかけられる。

「病院には行かせてやる。だが、それ以外に無駄な投資をする気はない」

 夕海は悩んだ。このまま義父と一緒にいても、いつまた暴力が始まるかわからない。いつも義父の顔色を窺って生きていくのは嫌だ。そう思い始めていた。もういっそのこと、再入院すれば楽になれるのではないかと、短絡的に考える始末。多剤大量投薬によって、心身の自由を奪われたことは忘れては居ないが、現状まんじりともしない状態が一番苦しかった。

 

 

―脱獄―

 

 

 義父と二人暮しになってから、夕海の生活は一変していた。毎朝早く起きて、義父のお弁当を作り、朝食のおにぎりを握り、水筒にお茶を詰め、送り出す。義父が帰ってくるまでは、不安定な精神的な波をやり過ごす。外に出て運動してみたりした。散歩もしたりした。それでも矢張り離脱症状からは抜け出せない。

 

 ある夜、義父に母から電話が掛かってきたようだ。その時夕海は居間に居て、両親のやり取りを聞いていた。終始けんか腰の母に対し義父はしどろもどろ。母としては、唯一の味方だと思っていた義父に警察に売られた事がとてもショックだったのだろう。電話はゆうに三十分を超えていた。義父も疲弊しきったのか、何も言わずに電話を切る。夕海は出来立ての夕飯を義父に差し出しながら、食事を促す。

「お前の顔や姿、そこに居るだけで腹が立つ。何時手が出るから分からないから、極力私の目の前には居ないでくれ」

振り絞られた言葉に夕海は従った。

 

 病院に再通院出来るようになった夕海は、一人で車に乗って通院することを許されていた。通院先の病院の近くに渡辺が住んでいたので、少し足を伸ばして、渡辺家へ行ってみた。そして、これまでの経緯を事細かに説明した。

「生活保護になれないの?家でそれだけ暴力受けているんだから、行政に訴えたら、なんとかなるんじゃない?あ、そうだ、法テラスで相談してみれば?」

という言葉を受け、夕海は連絡しないであろうと思っていた保健師・清水に電話を掛けた。

「すみません、両親や義父からの口撃や暴力が絶えないので、生活保護か何かで逃げたいんですけど…。それとそれに関して法テラスに相談したいのですが…」

「わかりました。法テラスの出張相談が受けられるように動いてみます」

それから二週間後、保健師・清水から連絡があった。

「来週の土曜日に、法テラスの出張相談を受けられるように取り計らいました。訴えたい事を、ノートか何かに纏めて、準備してきてください」

 そうして法テラス相談の日がやってきた。夕海より少し年上であろうか、二十代の若い弁護士がやってきた。夕海は現状、義父とのギクシャクした生活、今までの生活を訴え、生活保護以外に何か手立てはないかと弁護士に縋りついた。弁護士の意見といえば、

「市・行政に現状を伝えれば生活保護になれるはずです。ですが、荒木さんの場合は、大きい都市に出たいという事ですので、保護を受けたい自治体の保護係へ行って相談すると良いでしょう。もし、何かあったら、お電話ください。お力になりますので」

と、言われ面談は終了した。

 

 夕海は義父にもその旨伝えた。義父としては、夕海が出て行けば、母が戻ってくると信じて疑わなかった為に、その件については、了承してもらえた。夕海は自分が住みたい自治体の保護係へ相談へ行った。すると、地元の市に居住実態があるので、保護の申請は、居住実態のある市へ相談しろと言われた。なので、夕海は地元の役所へ行き、保護を求めた。元々、保健師や女性課の担当者が夕海が家でどういう扱いを受けて来ていたか知っていた為に、夕海の訴えはすんなり通った。

 かの様に思われたが、保護は簡単には降りなかった。市からの助言で女性相談所に一時逗留するように勧められた。あらかじめ、必要な荷物を実家へ取りに行き、義父に女性相談所に入所すると報告しろと、行政の担当者に言われた。普通、DV被害者が、加害者に対して行き先を伝えるのは笑止千万。行政のおざなりさが垣間見えた。

 女性相談所には、二日間逗留した。そこには沢山のDV被害者の女性とその子供たちが居た。夕海は子供もなく、一人身でフットワークが軽かったので、子供たちの面倒を見させられていた。そして、何故逗留期間が二日間かというと、当初、女性相談所に入る前に市の担当者からは、女性相談所に入れば、二週間で生活保護が下りるので、入れ、ということだったのだが、どうも女性相談所の職員に拠ると、保護はどうやったって下りないと聞かされたためだ。夕海の決断は早かった。即、女性相談所を退所し、弁護士に電話を入れた。そして今までの経緯を話すと、弁護士が憤っていた。

「僕がなんとかしますんで、市の福祉事務所で十三時に落ち合いましょう」

 

 弁護士が絡むと、話が進むのは早かった。手持ちのお金もない、何も持たない着の身着のまま状態で、ネットカフェや適当なホテルに泊まらせる訳には行かないと、市と弁護士。弁護士はシェルターの空きがあるなら、そこへ無理やりでも入れさせろと直談判し、それは成功した。こうして、夕海は当面(二週間)は、寝る場所に困らなくて住む。生活保護受給前提で、貸付金五千円を貰い、なんとか生活をする。夕海が利用したシェルターというのは、貧困層向けのシェルターで、お金も持たず、住居も持たないものの為の一時避難所といったところだった。

 

 二週間後、晴れて夕海は生活保護世帯としてアパートを借り、一人暮らしをはじめた。病院も運よく夕海の住む市内に主治医の佐藤が勤務している病院に転院する事が出来、両親からの干渉からも逃れ、上手く行っていると思われた。しかしながら、夕海は自分で薬や、身の回りの事が十分に出来なくなっていた。その上障害者手帳及び、障害者年金の申請とやることはまだまだあるのだ。そんな中、夕海は持てる力を振り絞って奔走するしかなかった。

エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。