見出し画像

スケープゴート -11-

 

 

―聖なる夜―

 

 十二月二十四日。田中ちゃん夫妻のパーティー当日。夕海の体調はすっかりと良くなっていた。だからといって、田中ちゃん夫妻のパーティーには行けない。夕海としては体の良い断る理由にはなっていたが、なぜだか勝手に淋しくも思い始める。

 綿谷は綿谷で田中ちゃん夫妻のパーティーに行くか行かないかで面倒な事を言い始める始末だし、夕海としては、げんなりしていたのは事実である。折角のクリスマスイヴなので、夕海は気持ちを切り替える。

 おもむろに冷蔵庫からケーキを取り出す。お皿に盛って、紅茶を淹れる準備を始める。普段は紅茶よりコーヒー派の夕海ではあるが、今日は特別だとばかりにお気に入りのレディ・グレイの紅茶を茶葉から淹れるレディ・グレイのいい香りがしてきた。夕海は紅茶の淹れ方は特にこだわらないが、気分転換も兼ねて紅茶の香りを楽しむ。飲みなれたコーヒーより、紅茶の香りが夕海の鼻孔をくすぐる。うん、いい感じ。夕海はティーカップに紅茶を注ぐ。猫舌なのですぐには飲めない。少しぬるくなってからティーカップに口をつける夕海。少し時間を置きすぎたのか、紅茶は渋く感じられた。それすらも、夕海にとっては心地よかった。

 

 最近の夕海は、田中ちゃん夫妻や綿谷との事で、一人の時間を過ごせずにいた。その反動で家に引きこもり一人の時間を満喫する。ケーキを食べるのもそっちのけで読みかけの小説を手に取る。ああ、なんて穏やかなんだろう。最近の夕海には田中ちゃんや綿谷との交流がかなりのストレスになっていたようだ。勿論、田中ちゃんとお喋りするのは楽しいし、なんなら綿谷が居なければ頻繁に合わなくてもメッセージのやり取りや電話をしたい。やはり、同じように閉鎖病棟で過ごした田中ちゃんは、夕海にとっては戦友も同然なようである。包み隠さずお互いの事を話せる数少ない相手。パーティーで渡辺さんにも会いたかった夕海だがインフルエンザの所為で会えなくなってしまった。

 パーティが無理なら、夕海の方から電話をするのも吝かではないが、渡辺さんには家族もいるし、なんだか唐突に電話を掛ける事もはばかられている状況なのだ。夕海にとって、渡辺さんはお姉さん兼先生みたいな存在なので、粗相なんてしたくない。しかるべき時に、しかるべきタイミングで、正しい仕方で渡辺さんと交流を持ちたいと考えている。

 

 小説も、読み終わった夕海は少し手持無沙汰になっていた。すると、タイミング良く田中ちゃんからメッセージが届いた。渡辺さんとのツーショットである。二人とも満面の笑みを浮かべていて、渡辺さんはシックなドレスを着ていた。田中ちゃんはギャルメイクに露出の多いドレス。いいなあ、とぽつりと呟く夕海。すると今度は、綿谷からもメッセージが届く。綿谷はと言うと、龍也とのツーショット。正装した綿谷と龍也。意外にも夕海は綿谷の意外な姿に見惚れてしまう。時間で言うと三分くらいだろうか・・・。夕海はハッとする。綿谷に見惚れるだなんて、どうかしてる。そう思い直し、田中ちゃんと綿谷に同じメッセージを送る。

 

『お二人とも楽しそうでなによりです』

 

 パーティーの真っ最中なのだろう、二人とも既読はつかなかった。

 

 夕海はと云うと、いつも通りに食事を作り始める。マイペースに夜のルーティンをこなす。食事も済ませ、入浴して一息つく。あとは眠前の薬を飲めばいいだけだ。時計の針は二十三時を回っていた。いつもより夜更かしをしている夕海だが、クリスマスなので仕方ないと思う事にした。ケーキも食べたし、なんなら美味しい紅茶も頂いた。夕海はクリスマスイヴを過ごすにあたってとても満足かつ快適だった。ただ、綿谷に対する感情には目を背けた。まだ、ダメ。気づいたらダメだと・・・。自分に言い聞かせる。そうして夕海は眠前薬を服薬して眠りに就く。


 

 翌十二月二十五日。夕海はのそのそとベッドから這い出る。実は、夕海は寝起きが悪い。眠前薬が翌日の朝まで残るのだ。目を覚ます為に温かいコーヒーを淹れる。それを飲みつつ、煙草をくゆらせる。昨夜からの通知が溜まっていた。大分時間も経っている事ではあるし、ログを確認しながら煙草を吸いつつ読み進める。相手はほぼ田中ちゃん。意外にも、綿谷からは一通もメッセージは届いていなかった。届く事を期待している訳ではないが、なんだかんだ自分が居なくても良いではないか!などと、少し面白くない気分になる。イライラしてきたので、夕海は朝食づくりを始める。適当に、ベーコンエッグにお漬物、納豆に薬味でネギ、そしてお味噌汁と白飯をよそう。時間をかけて咀嚼して食べきる。満腹感を感じつつ、食後の煙草をふかす夕海。なんだか気分が良くなってきた。日曜日だし、少し散歩にでも出かけてみようと思い、身支度をして出かける。山吹町に住んでどの位経っただろう。見慣れた風景なのに、なんだか今日は明瞭に見える。やけに綺麗に思える。夕海は、歩いて十分のところにある公園のベンチに腰掛ける。近くのコンビニで買ったカフェラテを片手に、携帯灰皿片手に煙草もセットだ。とてもおだやかな昼下がり。夕海は普段は引きこもりなのだが、今日は出かけて良かったと思った。そうして小一時間日光浴をして帰路につく夕海。

 

 帰宅してから夕海は、夕方まで音楽を聴きながら読書をする。そろそろ読み終わりそうだ。そうだ、あと少しだから、半身浴でもしながら読めば一石二鳥ではないか?そう考えた。麦茶と灰皿、そしてハンドタオルをお風呂の蓋に設置する。

 準備万端。どうせ夕海だけが入るバスタブなので、身体も洗わずざぶんとバスタブに浸かる。そして、あともう少しで読み終わる本を黙々と読みふける。十五分位経ったであろうか、夕海の顔は頭から垂れてくる汗でびしょびしょになる。湯舟のかまちに腰掛けて少し涼む。麦茶を飲みつつ煙草を吸いこむ。その繰り返しを三度繰り返し、夕海はすっかり身体も温まり、本も読み終わる。バスタブから出て、顔を洗う。そして染髪から身体を洗身タオルで擦り、その泡を利用してムダ毛の処理をする。一種のルーティンだ。入浴時のルーティン。夕海は充実感を味わう。そして、身体中の泡をシャワーで洗い流し、最後にもう一度バスタブに浸かり入浴終了。

 

 入浴後の夕海は、なんだか心地よいだるさの中で髪の毛も乾かさず音楽を聴きながらボケーッとしていた。何故ヒトは入浴後に小腹が空くのだろう?等と考えながら夕食の準備をする夕海。いつも通りのメニュー。作り置きの副菜とスープはあるので、メインを作って食べる。食後は血糖値があがり眠たくなる。ウトウトしていると、夕海はスマホがチカチカ光っている事に気づく。夕海はスマートフォンをマナーモードにしていたので今まで気づけなかった。田中ちゃんからのメッセージかと思い開く夕海。しかしながら、相手はあの男だ。

 

『どうしても荒木さんに会いたいから、君の家の近くの公園で待ってる』

 

 送信時間は十七時十四分。ハッとして夕海は部屋に置いている目覚まし時計をみやる。時計の針は二十時半過ぎをさしている。

 

『あれ?これ、通知気づいてないのかな?てか、俺今かなり寒いんだよねw』

 

『大丈夫!俺、身体だけは丈夫だから!いつまでも待つよ!』

 

 等々、メッセージが沢山届いていた。綿谷は暖を取る為なのかワンカップに燗をつけただの、今ここに居ると、夕海に見覚えのある公園の風景の写真を送って来ている。これは反応をしたら負けだと夕海は直感で感じた。しかしながら、本当にこの寒い中で綿谷が待っていると思うとなんだか落ち着かない。返事を逡巡する。どうしてもプライドが頭をもたげてくる。そして綿谷の身勝手さへの憤りを感じ、煩悶とする。

 なんであの人はいつも私の心を揺り動かそうとするのだと。私はただ平穏に静かに暮らしたい。感情の起伏なんて、そんな面倒なものを抱えたくない。そんなものを直視したら、夕海は今までの自分を否定する事になるのではないか?

 綿谷などという、デリカシーのない、身勝手な男の事なんてどうでもいい。否、どうでも良いと捨て置けないから夕海は煩悶とするのである。どうしたら良いかわからない。そうしていると、今度は綿谷からボイスメッセージが届いた。なぜだか夕海は、反射的に既読をつけてボイスメッセージを聴いてしまった。

「今、俺かなり寒いんだよね?人助けだと思って会ってくれないかな?」

 

 綿谷の声は寒さで震えているのか、やや呂律が回っていなかった。流石に夕海もその声を聴いてしまうと同情していまいそうになる。

否、然し、ここで毅然とした態度を取らなければ、更に勘違いさせてしまうのではないか?と思い直す。心を鬼にして、それから夕海は綿谷からのメッセージの通知が届くが、無視し続けた。

 

 

 

 午後二十二時五十六分。夕海の家のチャイムが鳴る。夕海は直感的に綿谷がやってきたと思った。意地でも応対したくはなかったが、時間が時間だ。彼には大声を出した前科がある。不承不承夕海は玄関先に向かう。ドアスコープから外を窺う。やっぱり綿谷だ。チェーンロックは外さない状態で扉を開け、小声で夕海は綿谷に声を掛ける。

 

「こういうの、本当迷惑なんでやめてもらますか?」

 

 普段温厚な夕海も流石に語気が強くなってしまう。綿谷はというと、何も答えない。よくよく綿谷を頭から足先までみやる夕海。アウターには雪が積もり、顔色も悪く、唇も真っ青。この男は馬鹿なのか・・・?夕海は思った。すると綿谷が言う。

 

「突然押しかけて申し訳ない。あまりにも寒くて凍えてしまって・・・。雪も降ってくるもんだから・・・少しだけ暖を取らせてください」

 

 流石に夕海も、弱っている人間に対して非情に徹する事は出来なかった。

 

「ちょっとだけですよ。暖まったら、帰って下さいね」

 

 絞り出すように夕海は言い、一度ドアを閉めてチェーンロックを外す。綿谷もしおらしく待っている。開かれた扉。夕海が面倒くさそうに手で入れと合図する。それを確認した綿谷は夕海の家に上がり込む。夕海としては、綿谷に対して内心苦虫をかみつぶしているような気持ちではあったが、仕方なく温かいのみものを用意する。無言でホットコーヒーを綿谷の目の前に置いて、綿谷に早く飲んで帰ってくれとでも言わんばかりに促す。

 

「あの、俺、ミルクと砂糖がないとコーヒー飲めないんだよね」

 

 この男は・・・。夕海はイラッとくるが、黙って砂糖を差し出す。

 

「私は基本ブラックなのでミルクはありません。砂糖だけで我慢してください。」

 

「あい」


 

 そう答える綿谷。

 

 夕海は、本当にこの男はなんなのだ?勝手に公園で待って、勝手に家までやって来て、やれミルクだの砂糖だのと、我儘を言う始末。折角、田中ちゃん夫婦と飲みに行った時に見直したのに・・・。と夕海は思う。そんな事を考えながら夕海は綿谷がコーヒーカップに口をつけるのを眺めていた。ズゾゾゾッと遠慮なく飲む綿谷。なんでこの人はこんなにお行儀が悪いのか?しかし、以前の定食屋ではいただきますに始まり、黙食。食べ終わるとちゃんとご馳走様でしたと言っていた。多分、育ちは良いのだろう。ごくごく一般のご家庭に生まれて、無条件に愛され、甘やかされて育ったのだろうと推察する。なんだかんだ、夕海は綿谷に対して興味津々に観察をしている。今までだってそうだ。酔っ払いとの騒動も軽くいなす綿谷。カフェでパニーニを食べながら喋る綿谷。TPOは一応、わきまえてはいるのだろう。

 

 

 そうこうしていると、唐突に綿谷がドタンと横に倒れる。何事かと思った夕海は慌てて綿谷に駆け寄る。綿谷の呼吸は荒かった。咄嗟に夕海は綿谷のおでこを触る。熱い。発熱しているんだ。急いで、倒れている綿谷に毛布を掛けてやる。そして、アイスノンを用意しタオルで巻いて首の下に置いてやる。なんなら大サービスで、おでこには濡れタオルを畳んで載せてやる。

 

 

 思い起こせば、まあ当然だ。公園で数時間も雪に降られアルコールを摂取して暖を取っていたとはいえ、十二月の下旬の夜。寒空の下、夕海を待ち続けていた。そんな綿谷の事を思うと、なんだか無視してしまったのが可哀相に思えてくる。パッと顔だけ見せて、会ってやればよかったのかもしれないなどと、夕海には珍しく綿谷に慈愛に似た気持ちを抱く。だって、なんだかんだ普段からおどけて弟みたいで可愛いと思って居るのは否定はしない。じゃなきゃ、喫煙所に通うなんて、しない。そこは、確かに夕海の中に存在する感情。そこだけは、素直に認める事が出来る。

 

 

 なんだかんだ、簀巻きのように毛布などで綿谷を包んでやり夕海は寝ずの看病を続ける。多分、今夜は綿谷はもう目を覚まさないだろう。致し方ない。病人なのだから・・・。そう自分に言い聞かせて、夕海は看病をしていたのだが、眠る前の薬が効いてきたのかうつらうつらと舟をこぎ始める。いけない!そう思い、夕海はベッドへのそのそと這って入り込む。とりあえず、綿谷は病人だし、眠っているし、貞操の危機にはなり得ないと何故だかそう思い眠りに就く。

エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。