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母の呪い

「あんたは、普通に話すと面白いし、頭もいいから好かれるけど、こと恋愛になるとあんたの個性が強烈すぎて、みんな逃げ出してしまう。だから今まであんなことばっかりだった。あんたは愛されない、一生追い続けて、叶わないまま独りで死んでいく。」

 12年前に丁度パートナーと交際を始めた際に母に言われた。

 そう言われた時はその通りだと納得した。しかしながら現在になって気づいた事がある。母のこの言葉は、母自身が私に自分を重ねていたのかもしれない。

 なぜならば、再々婚の母は現在の父に対してバツ2コブ付き状態で交際を始めた。
当時、私の父と離婚していなかったので不貞行為をしていた事になる。そもそもそんな事をしていた母は、現在の父と同棲し外堀を埋めてから私の実父と離婚した。

 私は2歳の時に実父と引き離されたので、実父の人となりを知らない。
それを良い事に、物心ついてからは実父の悪口を母と義父から事ある毎に聞かされていた。私の実父はタクシーの運転手。中卒で経済力もなく、私が生まれてからはまともに働かなかった上、友人の借金の連帯保証人になっていて友人が飛んだので苦労ばかり掛けられた。私の雛人形を売り払ってそのお金を着服した。などと…

 その上、私の顔は実父にそっくりなので母は私が母に似ていると言われる度に、
 「こんなブスに似ていると言われるのが我慢ならない」
 そう言われて来た。とにかく母は、私が優等生である事は都合が良かったのであるが、母より学校のお勉強やスポーツ、友人も沢山いた事に対して少なからず良くない感情を持っていたと思う。

 「子供なんて欲しくなかった。実家から出たいがために妊娠して逃げた」
 「子供なんて好きじゃないけど、産んでしまった以上は責任をとって育てている」

 こんな事を小学生低学年から聞かされていた。
また、母は兄や私の前で下衆な話も良くしていた。

「兄の父親は陰部が大きかったので、兄もきっとそうである」
「チアキの父親は働かないロクデナシであったが、私の育て方が良かったので優等生になれた」
「義父は陰部が小さく、満足できない。不能だ」

ここには書き切れないほどの下衆な話を聞かされた。

 母は幼い頃、実母に捨てられて祖母に育てられた。
元々の性質なのか内向的で、協調性もなく友人と呼べる人間は皆無だったらしい。
誰かとの繋がりを持つために、女を最大限に利用した。

 伯母から聞いた話で真偽は定かではないが、母は付き合っていた男性に振られて自殺未遂をしたことがあるという。母とその男性に何があったのかは推し測れないが、男性に依存・寄生する質なのであるのは義父との関係をみていたら容易に理解できた。

 母は連れ子である子供の私たちをも男性からの愛情をはかる道具として使っていた。
歪んだ母の愛情への渇望は、子供たちにも向けられた。義父と喧嘩が絶えなかった母は毎回子供たちを味方につける。義父とは血が繋がっていないから、何かあったら私が世話をしてやるんだ。そう言われていた。母の側につかないと、折檻されるしね。

 わざとなのかな?と思う位に母は孕んでは結婚し破綻を繰り返した。
兄の実祖父母には離婚する際に、長男だから兄は置いていって欲しいと言われたが、母は実母に捨てられたから自分は反面教師にして子供を捨てる事はしなかった。

 私の場合も同様だ。義父と母の夫婦喧嘩は警察沙汰になる事が多く、小学4年生の私は辟易していた。私は堪らず母に懇願した。児相に入れてくれ。あんた達の痴話喧嘩で振り回されたくない。これも却下。

 義父は母のバックグラウンドを知った上で、バツ2のコブ付き地雷物件の母と初婚でありながら周囲の反対を押し切って結婚した。結婚後は義父の実家で肩身の狭い思いをしたものだ。

 幼い頃から兄は、精神的に不安定だったのか万引きや自分より弱い同級生の女子への暴力や動物虐待をしたりして田舎だったのもあり誰もが周知していた。おまけに自閉気味であると診断されていて、学習障害もあったから学校の勉強も苦手であった。

 そんな兄は、母から激しい折檻を受けていた。正座5時間、竹刀で百叩き、小屋の2階に椅子でくくりつけ猿轡をはめて監禁し唯一の脱出手段の梯子を撤去したり…

 それを目の当たりにしていた私。何を思ってかは覚えていないが、私は幼稚園の時に出来心でおつかいの時、消しゴムを万引きした。
そうしたら母は泣きながら、
「兄ちゃんはあんなだから、あんたはそういう事をするな。良い子にしていれば、よおくしてあげるから」

 この言葉が呪いの始まりだったのかもしれない

 思春期の頃、第二次性徴が始まり初潮も迎えた。
そんな私に母は、
「私の若い頃の方があんたより可愛かったしモテた」
「あんたはブスだからモテないよ」
 娘にマウントとって楽しいのかな?今ならそう思う。娘を女として、敵だと思っていたのは後になって理解するのだが…

 私は母は昔からこんな感じだったので、気にもとめていなかった。これが普通なんだと思っていた。それに、優等生でいれば折檻されずに済むし、望んだものは大抵与えられた。

 長々と書いてきたけど、転機は17歳の時の高校留学。アメリカで色々な人をみて、話して感じて価値観がガラリと変わった。悪い意味でもアメリカナイズドされてはいたけど、私は自己主張を覚えた。言葉も拙い私の話を聞いてくれた当時のアメリカでお世話になった人々との交流で私は答えを見出した。

 帰国後、母に初めて自分の意見を主張してみた。すると母に言われた一言。
「あんたが父さんを奪った!!!!」
 私は母のその言葉がとてもとても気持ちが悪くてしょうがなくて、
「気持ち悪い」
 そう言った。
 母は、激昂して私に殴り掛かってきた。幸い、当時母に居た唯一の友人が母を静止し、母を激しく非難した。非難された母は、その友人とは即絶縁。周りにイエスマン、又は優越感を覚える相手しか置きたくないのだとわかった。かくいう私も、母の都合の良いお人形でなくなってしまった為、母により義父・兄を巻き込んだ暴力受け始めた。家庭内の事で手一杯だった私は致し方なく高校を辞める選択をした。

 高校を辞めてからは、車の免許を取りバイトをしていた。しかし、母は給料を家に全額入れろと強要していた。私は一般的な額なら応じると言ったら、それが気に入らないらしく暴力が激しくなった。義父と母の関係もギクシャクしていたため、義父も精神的におかしくなって私に対して包丁で切り付けようとしてきた。結果、髪の毛を包丁でめちゃめちゃに切られた。

 当然、バイトにも行けない。コンビニバイトで急に穴を空けることになる。欠勤の連絡をする時に理由が言えなかった。同僚は不信に思うのは当然だ。バイト先のオーナーから直接私に連絡があった。仕方なく義父に包丁で追いかけ回され、髪の毛をズタズタに切られた事を伝える。そこからは急展開。警察に連れて行って貰って、警察では18歳は未成年だから保護するにしても児相なのか?どうすれば良いのか警察も戸惑っていた。私は家族の元に戻されたくなくて賭けに出た。

「家に追い返したら家族を皆殺しにしますけど良いんですか?」

 そこから警察は迅速とは言えないが、苦心して女性相談所に私を保護するように手配した。まあ、それでも警察は保護した人間が何処にいるのか加虐者に教えてはいけないのに教えてしまい女性相談所まで両親が押しかけてきましたけどw

 籠の鳥、お人形さん、いろんな表現が出来ると思うが私は私。母は母。
別個の人間である事を母に主張するが受け入れてもらえない。セクシャリティを自認し、当時の交際相手にアウティングされてからも私を否定ばかりする母。

 そして現在のパートナーと出会って思い悩んでいた時に言われた言葉が冒頭の言葉
私は納得させられてしまったけど、じゃあ今現在私がパートナーと穏やかに暮らせているのはなんなのだろう?

 パートナーと同棲し始めてから、母には何度もパートナーとの関係を否定され続けた。
「どうせ男にモテないから女に走ったんだろ」
こんな事も言われた。まあ、私は女性より男性との経験のが早かったんですがw
「母さんを見ていると、男に寄生して子供を利用して試し行為している方が醜悪だと思う。母さんを見ているとレズに走ってしまうよねw」

 売り言葉に買い言葉ですね。
私は単純に、そういう風に生まれついていただけなのにw

 母は人間が嫌い。協調性もなくコミュ力もない。
唯一、男性から向けられる愛情を糧に存在理由にしていた節がある。

 母との関係が拗れれば拗れるほど、義父が疲弊して行った。そして私達を呼び出して義父は言った。

「母さんは昔兄にした折檻の事を本当に忘れている。当時はわからなかったけど、あれは行き過ぎている。ワシはもう仕方ないけど、お前らは母を良いように利用してうまく立ち回ってくれ」

 そんな義父に私は意見した。

「母が異常なのを理解しているのに、なんで母のケアをしてあげないの?私なら、自分の愛している人が間違っていたら自分が傷だらけになっても、最悪命を落とすとしても正そうとしたい。愛する人の心を癒したいのに、なんであなたはそうしないの?」

義父は言った。

「身の回りの世話と食事を用意してくれるだけでいい。不必要にトラブルを起こしたくないし、お前らの喧嘩に巻き込まれたくない」

 母の歪んだ呪詛は義父までも侵していた。

 私は、義父にも失望したし、母を哀れに思った。
可哀想な人。誰よりも愛情を渇望していたのに、義父にとっては最早飯炊女でしかない。

 私とパートナーは今でもこの時の事を思い出す。やりきれない気持ちになるが、母も現在63歳。義父は70歳。10年もしない内に義父は他界するであろう。義父を失った後の母については、観察対象として大変興味深いものではあるが関わり合いたくない。絶縁してから8年。私は母をなんとかしてあげたくて足掻いていたけれども徒労に終わった。他人を変えるより自分を変える事の方がより易い。私は、母と訣別する事によって呪いから解放された。

エッセイ中心でノンフィクションの創作を中心に書いていきたいと思います。 昭和58年生まれなので、時代的に古いかもしれませんがご興味あれば! 機能不全家庭・暴力被害・LGBT・恋愛・インターネット・いじめなどなどetc もしよろしければ、拙文ご一読頂ければ嬉しいです。