今回の炎上したイベントの冒頭挨拶

本日はお集まりいただいてありがとうございました。
東京外国語大学、国際社会学部の3年生で構成される伊勢崎ゼミでは、毎年1回、1年間の共同研究の成果を世に問うということを、ここ11年間やっております。
毎回、その年年のテーマに応じて、第一線の実務家をゲストにお呼びしており、今回は、堀潤さんにお願いしました。堀さん、本日はお越しいただき、ありがとうございます。

毎年、伊勢崎ゼミでは、日本で懸案になっている、もしくは、なりつつる、一つの問題に焦点をあて、同じ問題に、世界はどう対応しているか、先行事例としての試行錯誤を、できるだけ広く国際比較し、日本の状況をより客観的に分析し、間近にある将来を考えることをやってきました。この国際比較が、英語だけではない多言語を操れる外大生の強みです。
実は、堀さんをお呼びするのは2回目、4年ぶりで、前回のテーマは、「排除する? 受け入れる?」と題して、難民問題への諸外国の取組から、日本社会の課題を議論しました。

さて今回のテーマです。

ジェノサイドはプロセス。
ホロコーストはガス室から始まったわけではない。
ヘイト・スピーチから始まったのだ。

これは、僕がかつて籍をおいた国連の、ジェノサイド予防委員会の特別顧問である、アダム・ディエンの最近の言葉です。

今年のゼミ研究の問題意識は、これ。世界で蔓延する、重層的なヘイトの問題です。

アダム・ディエンは、あのルワンダで起きた、人類史に残る集団虐殺の、国際戦犯法廷で働きました。
100日間で100万人が殺される、それもヘイトで煽られた集団が、特定のアイデンティティをもつ同国人に対して行われた虐殺です。

日本は無関係か?

関東大震災朝鮮人虐殺事件

関東大震災朝鮮人虐殺事件 は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の混乱の中で、官憲や民間の自警団などにより多数の朝鮮系日本人および朝鮮人と誤認された人々が殺害された事件です。
正確な犠牲者数は不明でありますが、数百名~数千名が犠牲になった言われています。

特筆すべきは、この集団虐殺に関わった実行犯は若干名処罰されましたが、責任者は誰も処罰されなかったことです。

現代において、これが起きたら?

ルワンダの国際戦犯法廷の例を出すまでもなく、責任者が優先的に裁かれます。実行犯よりも、です。
そういう集団を煽り、命令を下した者。例えば、ヘイトを繰り返し放送し、殺せと煽ったメディアの社長とか、政治家たちです。

こういう、いわゆる「人道に対する罪」を明確に「国際法上の犯罪」と定義し、その処罰が合意されたのは、2003年に設立された国際刑事裁判所のローマ規定です。

同規定は、各国家に、自らの領域内でおきる、こうした集団虐殺に対して、第一次的な裁判権の行使を義務付けます。つまり、自らの集団虐殺を裁くのは、まず各国家の責任であり、そのための国内法の法整備が義務付けられているのです。
国家がそれをできない(例えば、集団虐殺が起きた内戦中のルワンダ)、もしくは、やるつもりがない時には、国際刑事裁判所をはじめとする国際司法が介入します。そして、その時のそういう国家は、国際法上の犯罪を自分で裁けない「破綻国家」ということになります。

これが、現代の国際司法の考え方です。

我が国、日本はどうなっているか?
これを一字一句読んでください。

日本には、集団虐殺において、責任者もしくは命令権者を断罪する法体系が不在である

これは紛れもない事実で、日本は2007年にローマ規定に加入したのはいいのですが、肝心の、ヘイトが(個人ではなくそれ以上の)集団としておかす犯罪を想定し、その責任者を裁く法整備を、なぜか、戦後から今まで、全くやってこなかったのです。
この法体系が不在の国家は、僕が知る限り、世界で唯一、日本だけです。
そんなバカな、と思われるかも知れませんが、ヘイト禁止条例はできても、ココが全く「空白」なのです。つまり、ヘイトを煽る政治家を、実行犯より重く、裁けないのです!

現在、僕は、衆議院の法制局とチームをつくり、この問題に取り組んでいます。詳細は、堀さんとのトークでも明らかにしてゆきたいと思います。

ヘイトが、集団虐殺を生んだ時、その責任者を裁く法がない、という特有の問題を抱えた日本。
それに加え、「単一民族」というような言説が権力によってまかりとおる現在の政治状況。
そして、日本人が今まで経験をしたことのないスピードで進む社会の多様化。
お互いに異なるアイデンティティをもつマイノリティー・コミュニティが増えてゆく。

ヘイトクライムが多発する諸外国に共通する、一つの現象があります。

ヘイト、憎悪は、自らを強く結束させます。
だからその結束を利用したい権力は、非力なマイノリティへの憎悪をつくる。
そして、それへの攻撃が始まると、その尖兵となるのは、また別のマイノリティ、もしくは社会的弱者なのです。

日本を待ち構える未来は何か?

僕たちは、激しい危機感を抱いています。
特に、日本人には、20代の時に関わらせていただき僕のその後のキャリアを決定づけた部落解放運動が直面し立ち向かわなければならなかった、「寝た子を起こすな」という気質が強くあります。
新しいマイノリティーの形成は、この日本特有の気質によって埋没し、そして前述の日本の国内法の悲劇的な欠損によって、狂気の爆発の犠牲になりはしないか。
潜在化する分断が存在するなら、それらをあえて顕在化させ、対策を考えるのが、僕らの使命ではないのか。

それが僕たちを支配し、そして今でも支配する「焦り」です。

一方で、その「焦り」が、先走り、今回のゼミ企画の広報文、そしてアンケートで、一部の表現が、不必要に過激なものになり、この問題の本当の当事者のみなさんに、たいへん悲しい思いをさせてしまいました。
これを、深く反省しております。
今回のゼミ企画の責任者として、心よりお詫び申し上げます。

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