新型コロナウィルスと「セキュリタイゼーション」

何らかの脅威の芽生えがあって、まだ人々はそれを完全に認知していない。でも、あなたは、それをそのままにしておくと困ると考えている。対処するには、より多くの人々があなたの考えに同調して、一緒に行動しなければならない。そのためには、脅威の存在だけを説明しても説得力がないので、いろんな仮説を立てます。脅威をそのままにしておくと、誰がどう困るか、何が犠牲になるか。こうやって説得を試みるはずです。説得が成功すれば、みんなでその脅威に立ち向かおうということになる。このような一連のプロセスをセキュリタイゼーションと呼びます。


まあ、こうやって、人間は脅威に立ち向かってきたのですが、一方で、このプロセスは、いわゆる権力者に政治的な手段(特に戦争を始める時)として使われる傾向があるともいわれています。そういうときには、脅威を放っておくとどうなるかという推定犠牲が誇張されることによって、政治家に、もう通常の方法では対処が不可能だと主張させ、従来の原則やルールを破る権力者の行為を、民衆が許す土壌をつくってゆくのです。


新型コロナウィルスの脅威に翻弄される今は、まさにこの状況です。なにせ、権力に対峙するはずの野党まで、同調しているのですから。

ちょっと古い、”戦争がらみ”の記事ですが〜日本では今、「セキュリタイゼーション」が進行中である〜伊勢崎賢治さんに聞いた(西村リユ) https://maga9.jp/180131-4/

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