現代の民話

Yahoo! Japanのトップページの上部中央にはメジャーなニュースが掲載されている。そこから下にスクロールしていくと、雑多な記事がならぶのが目に入る。プレジデントオンラインなど読みごたえのある記事も多いが、なかには、読みごたえの少ない、「超薄口」の記事もある。たとえばこんなかんじ。

https://trilltrill.jp/articles/3491162

読み物の基本は起承転結だが、これらの記事は「起」や「承」程度で終わっているものが多い。「結」まで行っていると考えられなくもない記事もあるが、一貫していえるのは「転」が存在しないということだ。

起承転結の「転」は、想像もしなかった展開でハッとさせられたり、笑ったり、びっくりしたり、学びがあったりという価値を提供する核心である。一定の時間を消費してネット記事を読むからには、なんらかの便益を享受したい。それは「転」の部分に存在すると僕は考えている。

ところが、この種の超薄口記事は、事実かどうかすらあやしいのになんのひねりもない。なぜこれが、超メジャーなウェブサービスであるYahoo! Japanに掲載されているのか疑問である。疑問すぎて似たようなのを何度もクリックしていると、それらがどんどん表示されるように仕組まれている。こうしてメンタルと時間を少しずつ削られていくのである。

「超薄口」で思いついたのが、日本の民話である。桃太郎とか竹取物語とか猿蟹合戦とか、あるいはテレビ「日本むかしばなし」の題材になるような民話はストーリーがしっかりしていて、冒険譚・悲しみ・怒り・可笑しみ・学びなどが満載の良質な物語であるが、日の目を浴びぬ大多数の民話は超薄口である(超薄口の海のなかで目立つくらいおもしろいストーリーだけが選ばれてメジャーになるのであろう)。

民俗学の代表的古典である「遠野物語」には、そのような超薄口ストーリーが満載である。たとえばその四四話は、こんなストーリーである。

炭焼き小屋のなかで寝っ転がって笛を吹いてたら猿の妖怪が入ってきた。びっくりして起きあがったら妖怪は走って出ていった。完。

遠野物語(柳田国男)を筆者が現代語に意訳

たいへんに薄い。独立した物語にならぬほどの薄さである。現代であれば、飲み会で話しても、「で?」という雑なリアクションを獲得するのが関の山であろう。

しかし、このような物語を民俗学的視点で考えると、なぜこの場所でこの物語が生まれたんだろう、サルと人間の確執が多い地域なのだろうか、炭焼き従事者は山奥で孤独になって時間を持て余したりすることもあるのかな、なんて背景を考えはじめることになる。こうして、断片的な物語が急に生気を帯びて、地域の社会や自然についての学びをもたらすのである。

同様に、Yahoo! Japanに掲載されている超薄口記事も、メタ的な視点から現代社会の民俗を理解するために役立ったりするんだろうか。そう考えると、不毛な記事をあえて読むのも修行としての意味があるのかもしれない。

民話のなかには、「川にしゃもじが流れてきたので、上流に人が住んでることに気づいた」みたいなものが全国に複数ある。平家の落人伝説や、始皇帝に命じられて日本にやってきた徐福伝説など、コピーされた似たような話が全国に散らばっている。インターネットの無い時代でも、インターネットミームのようにコピー・模倣された情報が全国に伝わり、世代を経て伝わっているのは興味深い。

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