研究者の私がインプットで気をつけている「修行」

森・里・海のつながりを総合的に研究する「RE:CONNECT(リコネクト)」。日本財団と京都大学が共同で行うプロジェクトです。本プロジェクトのクリエイティブ部門を担当するコンサルティングファーム、Nue incからお題をいただき、研究者が記事を執筆する企画がはじまりました。第3弾では、RE:CONNECTの研究者がインプットで気をつけるポイントについて語ります。研究や勉強の参考になれば幸いです。

理系の科学は、世界にひとつしか存在しない普遍的な法則を解明することを目的としている。僕は生物学者だから、生物というものの本質を解明しようと研究しているはず・・・。

しかし、科学の使命は、真理の解明だけとはかぎらない。僕は生物学の知見を道具として使って、世界をよりよい場所にしたいと願っている。真理を解明するだけじゃなく、解明された真理をどのように使うか考えるのも科学の役割のひとつなのである。ちなみに、真理を究明するための科学を基礎科学、科学の知見で世界のなんらかの問題を解決するほうを応用科学と呼ぶ。環境問題を情報科学技術で解決しようとがんばってる僕らRE:CONNECTは、バリバリ応用科学をテーマとしている。

ちなみに、基礎科学と応用科学、どっちがエラい?みたいな議論をする人もいるけれど、ここでふれるのはやめとこうと思う。世界全体でみるとどちらも大事であり、どちらか一辺倒ではダメなのである。一個人としての科学者はどちらか好きなほうを選べばよいわけで、他方をばかにする必要はないのだ。

さて、応用科学は科学の力で世界を良くしようと考えるわけだから、世界が動かないと意味がない。民主主義国家における主権者は国民だから、科学者は国民を動かさなければならない。では、どのように国民を動かすか。とても大事なところだけど、(特に日本では)科学者はその方法を、学校で教えらえていないというのが実情だ。

人のこころを動かす方法に、単一の正解はない。あたりまえといえばあたりまえなんだけど、僕ら科学者は単一の正解を出すための訓練ばかり積んできてしまったため、「答えが定まらない問い」を考えるのが苦手な気がしている。そのため、科学者からのコミュニケーションは、知識を一方的に教えるという先生と生徒の関係から脱却できてないことが多い。

僕はいちおう専門家として、環境問題に関してはそれなりの知識を持っている。しかし、だからこそ、世間一般の考え方とずれていることがよくある。そんなとき、「僕は専門家、市民は素人。僕のいうことを聞け」みたいな姿勢では市民を動かすことはできず、かえって炎上しておわるだけである。

というわけで僕は「修行」として、社会問題についての賛否両論を、市民目線から採り入れるように気をつけている。たとえば、時事ニュースについてのヤフコメをひたすら読む。ここから、現代の市民は何を考えているか、匿名だからこその生の声を知ることができる。おもしろいことに、みんな匿名で自由に書けるはずのヤフコメなのに、おどろくほど意見が似通っていることに気づく。ごくたまに主流とちがう意見があると大量のマイナス評価を浴びてしまう。ここは、名前や肩書に左右されず、みなが匿名で自由に言論を行い、参加者全体の意思のようなものが醸成されていく場であるともいえる(ちなみにヤフコメを書いている人が日本のマジョリティであると思っているわけではないです)。

市民が書いてる意見には、なかなか賛同しがたいものも多々ある。それでも市民の考えを理解するために読み続ける。これが僕の「修行」なのです。自分が社会に何かを訴えかけるときに、市民の共感を得るためには彼らの立場に立って考えることが重要なのだ。その修業は僕に苦痛をもたらすこともあるけど、独りよがりにならないために必要なインプットだと思っている。


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