振り飛車は若干不利でも絶滅しない

進化生物学をやっていると、マイノリティ戦略ならではの利点というものが存在することに気づくことがある。サケの雄が遺伝子を残す戦略は複数あり、力強さで勝負するマジョリティとすばしこさで勝負するマイノリティにはバランスが成り立っており、マイノリティの戦略や遺伝子が絶滅することは無い。ドーキンスの古典的なモデルで語られている、「忠実なオス」と「浮気性のオス」の比率にも平衡があり、どちらかが絶滅することはない。

人間界でも、マイノリティならではの利点というものが存在する。たとえばスポーツにおける左利き。実社会では体感で9割方の大人は右利きだといってもそれほど大きな間違いではないであろう。いっぽうプロ野球選手に目をやると、3割かそれ以上の割合で左利きが存在するような印象を持つ。そのような状況が生じる理由はこうだ。マジョリティである右利きの選手は、通常は右利きの選手と相対することになる。つまり、右対右がよくある対戦形態なのである。というわけで、右利きの選手がたまに左利きの選手と相対することになると、慣れてないのでやりづらくなり、不利になるのである。いっぽうで相手方の左利きの選手は、いつも右利きの選手と対戦するのが日常だから慣れている。となると、マイノリティである左利きのほうが有利になるのである。しかし、「左利きが有利だから、みんな左利きにしよう」と考えてプロ野球選手のあらかたが左利きになってしまったら、今度はマイノリティである右利きが有利になるであろう。このようなバランスが存在しているのである。

※ なお、野球の場合、左打者のほうが一塁が近いとか、右対左のどちらが投手か打者かによって有利不利が変わるとか、微妙に条件が変わる。ここでは右左の割合のデータを調べやすい野球を例に出したが、厳密に考えるならば、柔道とか剣道とかの格闘技を例にしたほうがフェアかもしれない。

将棋の戦略には居飛車と振り飛車がある。現代将棋において振り飛車は若干不利とされている。特に、コンピュータ将棋は振り飛車が不利であることを定量的に示してくる。そんなわけで、トッププロの9割方は居飛車を採用している。となると、トッププロ同士の対戦は相居飛車戦が多くなる。それを念頭に、彼らの研究は相居飛車が中心となる。彼らがたまに振り飛車派の棋士と対戦することになると、あまり慣れてないし、対振り飛車の対抗系の研究が少ない。対して振り飛車党の棋士は、日ごろから対抗形の将棋を指していてその研究時間も多いから、おのずと有利になる。そんなわけで、コンピュータが振り飛車を若干不利だと認定したとしても、対戦経験と研究時間が有限な人間にとっては、その不利さをカバーするほどの「マイノリティのメリット」が生まれるのである。

今後将棋の研究が進めば、振り飛車はこれまで以上に不利ということなるかもしれない。すると、今よりも振り飛車党は減ることになるだろう。しかしその状況で、頑固に振り飛車党でいつづける棋士はたいへん「めずらしい」存在になるので、マイノリティのメリットはさらに強まる。このような理由で、振り飛車が絶滅することは無いだろうというのが私の見立てである。

マイノリティのメリットの最たるものは、一時藤井竜王名人をがけっぷちまで追い詰めた村田六段の「村田システム」かもしれない。この戦法を使うのは村田六段ひとりだから、初見の相手は戸惑うことにある。対して村田六段は、毎日これを研究し、毎回これを指しているのだから慣れている。

藤井竜王名人を追い詰めたほどの優秀なシステムだからやってみようと多くの棋士が真似しだしたらどうなるか。マイノリティのメリットはどんどん小さくなり、対抗策が練られ、やがて遺棄される戦法になるかもしれない。マイノリティの戦法はあまり真似されないからこそ価値を持っているのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?