関羽と張飛、その他三国志について(正史ベース)

日本の三国志ファンにとっては、三国志演義、さらにはそれをベースとした小説やマンガ、はてはゲームが、主な情報源となっていることだろう。しかし三国志には、中国の公式な歴史書でもあり、それは正史とよばれる。ちなみに、三国志演義の冒険活劇は「史実七割」といわれることから、わりと事実にもとづく良質なフィクションである。

関羽は、部下にはやさしいが権力者には反抗するタイプだったらしい。張飛は、権力者には服従するが部下に厳しく当たるタイプだったらしい。このような彼らのパーソナリティは演義にも反映されていて、寝首をかかれた張飛の最後はいかにも彼らしいのである。上司にはぺこぺこするけど、部下や飲食店の店員には威張り散らすようなタイプの人のことは、ひそかに「張飛だね」なんて思って溜飲を下げるのも一興であろう。ちなみに、張飛は特に短慮で無学であったという情報は、正史にはない。

正史には、関羽が直々に顔良を討ち取った話が掲載されている。当時の戦争では(いまでもそうだが)、司令官はうしろのほうで軍隊を指揮するのが仕事。ところが司令官が直々に前線に出て行ってたたかったというのは注目に値する。このような武将は、中国の正史を見渡してもあまり登場しないのではないだろうか。

劉備・関羽・張飛が義兄弟的、任侠的な強固な関係性で結ばれていたことは注目に値する。それはときに、血縁関係よりも強固なものであった。劉備は漢の皇帝の血縁者というふれこみで乱世に名乗り出たものの、劉という姓はありふれたもの。そして当時、劉備の兄弟やおじやいとこなどの血縁者の援助は史実に現れてこない。このことから、劉備は血縁を土台とした地方豪族とはいえない出自を持っていたことだろう。これは曹操や孫権とは対照的で興味深い。

ちなみに、草莽から出て天下を取ったものとして日本人になじみの深いのは豊臣秀吉であるが、庶民出身の彼ですら、有能な弟の助けを得たり、おいを役職に就けたり、果ては姉を徳川家康と政略結婚させたり、乏しい血縁関係をフル活用していた。この点で、劉備は非常に特異な成り上がり方をしたといえる。そもそも血縁者を仲間にするのは、裏切られる可能性が低いことがメリットである。しかし、関羽・張飛・諸葛亮といった、有能かつ完ぺきなまでに忠実な部下を持てたのは、ひとえに劉備の魅力と、彼のとなえた大義の魅力が大きかったからなのかもしれない。

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