【2021執筆】研究者と社会

僕は環境科学の研究者である。研究者にもいろいろあって、人間の影響がおよばない宇宙の研究、太古の生物の研究、ピュアな数学の研究などに没頭する人も多い。しかし、僕が専門として選んでしまった環境科学は自然と人の関係性を考える学問であり、そもそも人間の存在を考慮しないことには成り立たないのである。

僕は自然保護至上主義者ではない。自然には価値があるが、その価値は相対的なものであると思っている。これは、人間同士の関係性にも似ている。僕ら人間個人には人権があり、それはとても大事なものである。しかし、人権を持っているのは世界で僕ひとりではない。世界中の人間がみな、人権を持っているのである。だから僕ひとりが幸せになるようなわがままはダメだ。みんなが幸せになるように、ときにはがまんしなければならないこともある。これは幼稚園で習うようなごくごく基本的な考え方である。

これと同様に、自然も人間もなんらかの権利を持っていて、それらは絶対的なものではない。だから、状況におうじて、自然や人間がお互いを尊重し、ときには譲り合いながら共存していくべきなのである。まさに、人権の考え方を自然物にまで広げるというやり方である。

さて、環境保全をするとなると、そのために人間はなんらかのアクションを行う必要が生じる。それはしばしば、自然を守るために人間が犠牲を払うというかたちを取る。自然を守るために税金を上げるとか、レジ袋を有料化するとか、ある場所を立ち入り禁止にするとか。これは、生態学でいうところの、「プラス-マイナス」の関係である。自然にとってプラスであり、人間にとってマイナスなのだ。となると人間は、できることなら不利益をこうむりたくないと考えるようになり、自然保護に対する反感も生まれてきたりする。

これをなんとかして「プラス-プラス」の関係にできないだろうか。僕はこのために腐心している。イソギンチャクとクマノミのようにおたがいにメリットがあるなら、人間はこころから自然を愛し、自然を守るようになるだろう。

そのための手法はいくつか存在する。ひとつは「生態系サービス」という考え方であり、この本の別のところで紹介しよう。ここで紹介するのは、「ビジネス化」である。

ビジネスとはすなわち「お金儲け」。自然保護を「ネタ」に人間がお金を稼げるなら、自然と人間はお互いにメリットのある共存関係にいたれるのである。これまでは、自然保護はビジネスの敵、自然保護のために経済を規制するのは反対、みたいな論調が大きかったが、だんだんと、自然保護することでお金を儲けていいんだよ、実際に儲かるんだよ、みたいな仕組みができ始めているのである。

そもそも、お金儲けは罪ではない。現代に生きる僕らは、大人になるとみんな何かのかたちでお金を稼いで生活するようになる。お金儲けを否定するということは、人間が生きるのを否定するとさえ言えるだろう。環境保全側の人間もこれをしっかり認めたうえで、自然保護に役立つお金の儲け方を提案するというのが前向きなやり方なのである。

さて、僕は研究者であり、森に関する知見を発見することを仕事とし、それで給料を稼いでいる。自然保護は確かに、僕個人にとってはお金儲けにつながっているのだ。

しかし僕の給料はというと、国立大学から出ている。つまり国の予算であり、その原資は国民から集めた税金である。僕が自然保護について研究して給料をもらっているということは、そのために国民が税金を払っているということである。極論をいえば、自然保護の研究をしている人をみんな国立大学から追い出してしまえば、国民の税金は少しは安くなるのかもしれぬ。あくまでも極論だけど・・・。

このような関係を、「プラス-プラス」にするにはどうしたらよいか。それは国民が、「国立大学で自然保護の研究をしてくれてよかった」と思うようにするしかない。自然保護に役立つ研究は、国民のお金儲けにも役立ちますよというアイデアを出せばよいのである。

というわけで僕は、産学連携というのをがんばっている。「産」とは産業界、つまり民間企業である。民間企業は慈善事業をしているのではない。なんらかのかたちでお金を儲けるのが使命である。だから産学連携は、「学」である大学が発見した知見を使って、「産」がお金を儲けることである。民間企業はシビアである。お金がもうからないと判断したら、学者の発見したことには見向きもしない。逆にいうと、民間企業と組める学者は、世の中の役に立つと認められたということになる。

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