リンケージ退任あいさつ:木村大地

関係各位

私儀 2019年12月末日をもって、株式会社リンケージの取締役を退任することとなりました。  
 創業からの取組みの経緯や、事業に対する思いをあらためて振り返ると共に、今後の決意を下記にまとめました。
 長文になりますが最後までお読みいただければ嬉しいです。

<原体験>
 私は、15才の頃に大好きな剣道の師匠をがんでなくしました。
 その恩師は新潟市の小さな町工場の社長で、健診なんて受けてなくお酒もタバコも大好きな方でした。
 喉頭がん発症から2年間の闘病生活を経て、最期は全身に転移し1%の生きる希望にかけ手術を受けたものの、間もなく49年の短い人生の幕を閉じました。
 2年間病床に通い剣の道の教えを請いながら、私は人生において大切なことを二つ学びました。
 それは、「人はどのようにして死を迎えるのか」ということと、「人はどのように後悔をして最期を迎えるのか」ということです。
 今振り返っても壮絶な最期で、幼馴染と共に恩師の最期に寄り添い、人生の使命を与えられたのだと思うことで、恩師との別れと己のこれからの人生を受け止めていたのかもしれません。
 それ以降、「人が亡くなる時には、本人も家族も後悔しないよう健康な最期を迎えてほしい」と考えて過ごしてきました。

<創業前>
 大学卒業後、(一社)新潟県労働衛生医学協会に入職し、健康診断受診の普及に努めてきました。
 そこでは、顧客の後ろにいる一人一人の健康を背負うという使命感を持った素晴らしい上司に出逢い、健康支援に携わるものとしての心構えと基礎を叩き込まれました。
 ご縁があって2008年のメタボ健診が始まる健康診断文化の大きな制度移行時に、厚労省が全国に提供する特定健診保健指導のフリーソフト開発受託企業のマネジメントに携わり、日本医師会や健保連、国保中央会等の多くの業界関係者の方々とつながることができ多くのご指導をいただきました。
 当時考えていたことは、健康診断受診や健診運用システム改善は「手段」でしかなく、本当に平均寿命と健康寿命の差である不健康な期間を縮めるためには、一人一人が正しい健康知識を得て、わざわざ不健康な生活習慣を選択していることを改善しなければならないと考えていました。

 2011年3月、テレビ越しに東日本大震災を観ながら、原体験を基にした揺るぎない情熱があるなら「いつか」ではなく「今」挑戦すべきだと考え、震災の3ヶ月後の2011年6月1日に株式会社リンケージを設立しました。

 社名に込めた想いは、人の健康は個人の知識や行動のみならず労働環境などの社会的要因に大きく左右されると考え、まずは働く人たちから健康格差を改善できるよう、企業や健保や官公庁、教育機関と「連動」しながら新たな仕組み作りに挑戦しようと考え、連動(Linkage)と命名しました。

<創業後>
 創業当時、健康経営や、データヘルスなどの流行は無く、多くの諸先輩方は「健康支援領域は儲からないからやめたほうが良い」と誰もがおっしゃっていました。
 しかしながら数年後のビジョンを伝え続けるうちに、同じ課題を持ったお客様を紹介頂けるようになり、一つ一つ実績を重ねながら、大手鉄鋼企業様や化学企業様、政令指定都市の健康支援事業のコンサルティングを委託頂けるようになり、会社は走り出しました。
 当然すぐに食べれるようになるわけでもなく、一日一食100円うどんで食いしのぐ日々は続きましたが、創業3年目の2013年にコンサル先の大手鉄鋼企業の海外駐在員の健康管理が放置せざるを得ない現実を知り、米国のテレメディスンからインスピレーションを受け「あきらめない健康支援」というテーマで事業を企画し、経済産業省の公募事業の採択を受け「オンライン面談を活用した海外駐在員向け健康支援事業」を開発しました。

 2015年には全国健康保健協会(協会けんぽ)沖縄支部の課題を伺い、海外駐在員向け健康支援事業を、国内の離島住民向けにモデルチェンジさせ「あきらめない特定保健指導モデル」を企画しました。
 当時、離島の9割以上の特定保健指導対象者は実施にいたらず、オンライン面談システムを利用したオンライン特定保健指導を全国に先駆けてスタートさせました。国内で初めて成功させたことにより日経本紙や地元新聞メディア等にも各種取り上げて頂けました。

 翌年の2016年4月にはコンサルティング先のIT大手総合健保の方々と共に日本で初めてオンライン禁煙プログラムを構築しました。
 2015年度の厚労省コラボヘルス公募事業の採択を受け、加入事業所の健康管理課題解決の一環で構築した事業でした。

 当時の遠隔診療の制度は、初回対面が原則でした。
 禁煙外来は、実施している医療機関も少なく実施していても曜日や時間が限定していたことから、「初回面談」がネックとなっていました。
 オンライン禁煙プログラムをより多くの加入者に公平に提供できるよう、当時から応援していただいていた健保様の賛同を頂き、3省(内閣府、厚労省、経産省)の方々に相談し社会課題解決モデルを提言しました。
 2017年3月に内閣府規制改革推進会議にて、オンライン診療の制度に準拠した禁煙外来を初回から対面診療ではなくオンライン実施することの医師法の規制緩和による社会的メリットを提言しました。
 同年6月に内閣府閣議決定を経て厚労省医政局より規制緩和通知を発出いただきました。
内閣府ホームページより
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/toushi/20170313/agenda.html
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/toushi/20170313/170313toushi05.pdf

 
 また、創業時から勉強会やセミナーも数多く企画し講演もしてきました。
 従業員や加入者の健康教育も大切だが、運営する医療保険者や企業、自治体、サービス事業者、官公庁の担当者それぞれが、「知識のボトムアップ」と、「同業界の各々の制度認識ギャップを知ること」が重要と考えていたからです。
 私自身も含め、「知らないのではなく知ろうとしない」ことが多かったのでアウトプットは最大の学びであるという考えから、同じ思いの方々と下記のような機会も作っていました。

データヘルス計画セミナー2014
第一回
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/interview/003/top.php
第二回
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/interview/003/0903_00.php
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/interview/

健康経営NEXT実行委員会2017
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/opinion/013/003/no1.php
http://tokuteikenshin-hokensidou.jp/opinion/013/003/

健診オタク会
https://ameblo.jp/kenshinotaku/theme-10094579201.html

 創業間もない頃から、何一つ資格や肩書き、実績、知識もなく、ただ一つの想いだけで突き進んできた若輩者に、事業主や健康保険組合、自治体、官公庁、パートナー企業、大学等の教育機関の様々な立場の多くの方々が、ずっと変わらず親身に支援してくださいました。
 時代や法制度や組織のせいにすることなく、過去の当たり前に固執することなく、従業員や加入者の方々の健康行動変容を想像しながら愚直に多くの挑戦を繰り返す日々は、本当にワクワクするもので、数えきれない失敗と、数少ない成功を経験できたことは幸せなことでした。

 リンケージは、今やオンライン特定保健指導やオンライン禁煙事業を含め契約数は100を超え、年間売上も1億円を超えるほどに成長いたしました。
 今後は後任社長と経営陣が目指すリンケージの方向性に対して、遠くから応援することとし、私は退任することとなりました。

 大先輩から「創業社長以上に会社を愛している人はいないが、とらわれる事なく幾つになっても使命実現に向け青臭く挑戦し続けた方が木村らしい」と言われました。今回の決断は、今までジブンゴトのように応援してくださったお客様や関係者、共に汗を流して這いつくばってくれた社員のみんなのことを考えると本当に本当に苦渋の決断でした。
 今まで受けたご恩に対して、これからの世代の健康支援の土台を作るという形で、明るく前向きに一つ一つ恩返ししていこうと思います。

 リンケージを今後とも変わらぬご愛顧をいただければ幸甚です。

<今後>
 今後は2月末で地元の新潟県に拠点を移し、より自分の使命にフォーカスし、新潟大学医学部大学院に入学し大学院生として「医学」と「社会疫学」を一から学び博士号の取得を目指しつつ、新たな挑戦に向けて準備をしていこうと思います。

 今後の取り組みが決まったら改めてご連絡させて頂ければと思いますが、メイン事業は、データヘルス計画が始まってから医療健康データの「集計」を始めた医療保険者は多いものの、医学的知見を基にした「分析」によるEBPM(Evidence-based policy making:根拠に基づく政策立案)ができないという声を多く聞いていたので、その課題解決に挑戦しようと思います。

 健康支援事業の創出が楽しくて楽しくて、健保や企業、官公庁や自治体の方々と共に、一人一人の先祖から与えられた大切な人生に対し新たな健康生活のきっかけを提供できることは、本当に幸せに感じていました。
 応援してくれる方が沢山いたから、その方々の期待を裏切らぬよう、恩返しができればと死に物狂いで走り続けてきました。

 今後も変わらず前向きに自分を信じて一歩一歩進み続けようと思います。

 末筆ながら一段のご健勝をお祈りいたします。

2020年1月15日
木村 大地 拝

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