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意識が変わるとき

おはようございます。

5月も折り返し。
1年で一番好きな時期なんだけども、このどうしようもなく丁度いい頃合いの気温感と、4月からGWまでの喧騒も収まって、梅雨が来るまでのほんの少しだけの幕間。

一年のごく一部からしか取れない、贅沢でレアなひととき。

こういう日は、溜め込んだ宿題を終わらせるのにいい。
気分が勝手に乗ってくれるから。
良い角度の地球親分ありがとう。

自分って生き物はまだまだだなぁ…とつくづく感じる今日このごろ。

勉強と言っていいのか未だ悩ましいんだけども、自分の無知を如何にして普通レベルくらいにしようと、生活の中心を学びに費やしてそろそろ4年。
苦手分野の経済は未だおざなりだけど、とりあえず続いてる。

独学ってのは楽しいんだけども、何から学べばいいのか?という、わからないがわからない問題に直面しやすい。
なので、とりま好きなところから手を付けていった。
まずは歴史。
歴史をやってると、骨子が見えてきた途端に、そこにある様々な説が立ちふさがる。
一体どれを信じりゃええんや…
結局諸説あって、学説的にってやつを信じるのが常。
もちろん多角的にいろんな考証を比較検討すべきなんだけども、いやいやそれ素人に無理だから。
なので、一旦、自分の好きな先生を見つけて、それを筋とする。
なんかあったら補強修正すればいいねん。
テストあるわけじゃないし。

歴史を学んでいくと、さまざまな捻じ曲げられた世界を垣間見ることがある。
初めの頃は、騙された!っていう気持ちが強かった。
東京裁判史観とかね。
でももうそういうのは、感情的になっても仕方ないと思っている。
その上に立って、前に進むことが、歴史を学ぶということらしい。
歴史は過去のことだけど、過去に縛られる必要はないからね。

歴史を学んで意識が変わったことがあった。
昔の人すげーわ。
ネット無いんやもん。
どうやってそんな偉業が成し遂げられるんだ。
単純に凄いと思う。(語彙力ェ…

そう、本気なのよ。
ガチ度がまるで違う。
向き合い方が、ウルトラ真剣なのよね。

この「向き合い方」ってのが重要だと気づいた。
日本がどういう人生を歩んできたかを知りたくて、興味本位で始めた歴史の勉強だったけど、そこには長く深いドラマがあって、人間味のある国だってことを知る。
それまでどこか他人のように思っていた国という存在が、今やハマった小説の主人公に対する感情移入すらするほどの没頭感がある。
やっぱこの国すきだわ。
今、そう思っている自分がいる。

そうやって、我が国を自分のことのように思えるようになった。

そういう意識になってから、ちょっと政治が絡んでくるけど、歴代総理大臣や政党のことが気になって来た。
これがまたおもしろいんだわ。
相撲も強い神童だった子供が喧嘩に負けて、それからというもの、友達もいなくなって、ガキ大将の言いなりになるんだけども、頭を使ってガキ大将を上手く利用して、ナンバー2の地位まで上り詰める。
中学に上がってから急にヤンキーデビュー。
なまじ金を持ってたがゆえに、周りにチヤホヤされながら、あるだけ金をばら撒いたり、無駄遣いをしまくった結果、実はガキ大将グループに騙されてて、一気に貯金がなくなり、金の切れ目は縁の切れ目モード。
中学の時は貧乏なやつだと思ってた近所の同級生が、番長をそそのかして一気にナンバー2の地位に。元々そいつの体格が良かっただけあって、力じゃ敵わなかっただけなのが、今や自分よりも金を持ってる。取り巻きも多い。
最近ちょいちょい嫌がらせしてくるけど、辞めろよ…くらいしか言えない。

まぁ、だいぶ誇張してるしファンタジー入ってるけど、こういう行動を取ってたのが、時の政権次第なのよね。
高度経済成長期に押し上げた池田政権が教科書で紹介されないわけだ。
自虐的だねぇ。

こういう流れから、政治のこともおもしろく見れるようになった。

政治の世界もまたこれ伏魔殿で、視点次第で見え方が全然変わってくる。

まぁでも、結果どうなったか、ってのが一目瞭然なので、少なくとも戦前からの流れを追っておけば、今どうしてこうなってんのか?ってのがおおよそ見えてくる。

宏池会の岸田さんがなぜか保守に叩かれてる理由も、そのへんにあるんじゃないかな?
宏池会と言えば池田勇人やで。
そして宮沢熹一。
経済に重点を置くのは伝統なのよね。
岸田政権は、結果どうなるかねぇ。

日本の政治を見ていると、他の国の政治がなんだか羨ましく思うことがある。
大統領の一言で流れがゴロっと変わるんだもの。
手っ取り早くていいなぁと思うことがある。
特に軍事ね。

まぁ伝統的に日本はドイツと一緒で、軍事にお金を掛けることに否定的。
その理由は仕方ないよね。
でも、国際社会はそんなお気持ちなんて気にしてくれる国、どこにもないで。
どこも自分らの国益ありき。あたりまえ。日本が忖度しすぎ問題。
ほかが出てくれば、自分らは下がるのが国際社会。
出る杭は打ってくるのも当たり前。
遠慮してる方がバカをみるだけ。
でもそこで上手く立ち回ったのが、安倍政権。
長期政権だったから出来た。
それまではだいたい短命だったしね。
他国の首相に顔覚えられてないのよ。
新入りを簡単に信用できんやろ。
他国も自分の国の命運掛かってるからね。

政治を学んでると、世の中の動きをマクロとミクロで見えてくるようになる。
それが見えてくることで、自分が次に取る選択肢を増やすことが出来る。
それがわからないと、先行き不安でいつもビクビクしてないといけなくなる。
不安にビビるくらいなら、いっそ知らない方がいいまである。
中途半端に情報だけ知って、あーだこーだとチャチャ入れる事が、結果自分に悪い結果として返ってくることすらある。
だって、喉から血が出るほど叫んだのに、結果自分の思い通りにならなかったらストレス溜まるやろ?
先が見えないままやっちゃうと、無駄にストレス溜まるだけになっちゃうからね。
SDGs不要論とかまさにそれ。
ちゃうねん…やらざるを得ないのよ。
世界のルールは欧州が決めてんねん…
日本が口答えしたらどうなるか、歴史を見れば明らかやし。
その上でどう立ち回れば国益になるか。
そこをみんなで考える方が生産的なのよね。
それが嫌なら鎖国しかなくなっちゃう。

歴史、政治を学んでると、どうしても国際社会の一員としての我が国を知りたくなる。
そうなると、どうしても日本語の文献だけでは情報量が足りない。
ゆえに、英語を読めるようになりたくなる。
そこから英語を勉強するようになった。

まだ翻訳に頼らないとだけど、強い言葉で言ってるとか、含みがある言葉とか、そういうのが少しずつ見えてくると、これまで見えていた次元が開いて、面から立方体に見えるようになってきた。
世界はだいぶ性格悪いで。
そういう感じ。

どうして世界を性格が悪いと思ったのか。

それを辿っていくと、それぞれの地域に根づいた思想の違いにぶち当たる。
一神教が生まれた地域と、多神教が生まれた地域。
この違いはなんだろう。
それは素地だ。

その地域に合った思想ってのが生まれ、歴史を積み重ねながら、その地域の常識となる。

日本はかなり特殊な国だ。

我が国は、いわゆる地政学的に、外敵が来づらい海という城壁に守られていた。
ゆえに、ほぼゼロに等しい他国との戦争もなく、他国と比べて別格の安寧を長く享受してきた国となった。

そんなゆるふわな国の思想と、つい77年前まで戦争にトリコじかけのあけくれで、殺し合うことが前提の暗い世界が続いていた国の思想は、全くもって別物になるのもあたりまえで。

その思想ってやつの根底にある哲学に興味を持った。

西洋哲学と東洋哲学の違い。

宗教戦争に明け暮れていた時代に神を殺した、ニーチェ。

仏教を日本独自の解釈に昇華した、弘法大師。

哲学にパンク精神を持ち込んだ、池田晶子先生。

人間の悪いクセをいい感じにしたい哲学って学問は、体系化されているとは言え、未だ沼の世界。

それでも、この部分を抑えずして、歴史や政治の背景は見えてこない気がしてる。

「なんでそんなことしたんだろ?」

心理学も別のアプローチとしておもしろそうなんだけど、人間という生き物の本能的な部分だけではなく、社会的な生き物として、どのように進歩してきたかを学ぶことも出来る。
今、もっぱら哲学の世界がおもしろい。
ポスト構造主義とか、よく思いついたねそんなことw
って思う事多くて興味深い。

つか、人間っておもろいですよね。

興味が尽きない。

この先、どんな感じで進んでいくかの未来予測は出来たとしても、そこに息づく人たちの小さな声を残すことは出来ない。

でも、そんな今をわたしたちは実際に生きてる。

まさに今、ここにいる。

せっかく生まれてきたし、せっかく日本に生まれたし、こんなちょうどいい環境で生きてるってのは、だいぶレアやと思うのよね。

独学しようと思えば、やる気があればすぐ出来る。

もっとおもしろい世界で生きたいなら、人間の面白さを知った方がお得。

今のわたしとしては、歴史と政治と共通語と哲学。あと経済もなんだけど。
これらを勉強するともっと楽しめると思う。

意識が変わるとき。

それは、きっと好奇心が掻き立てられた時。


それでは、また。


ありがとうございます! 支援はすべて本に変わりまする。