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なにが目的なんだろう①

こんばんは

久々に外に出る事が多く、いつもとは違う事を考える時間があった。
いつもとおる道ではあるんだけど、時と場合によって彩りが変わる。
今日は夜に動いたのもあって、いつもとはちと違う景色だった。

いわゆる地域の酒屋兼立ち飲み屋みたいな店があるんだけども、そこからカラオケを歌うおばさまの声が聞こえてきた。
昭和歌謡的な曲だった。
外から見る限り人はそこそこいた。
マスクを付けてる人はいなかった。

子供の頃、その地域に行ってはいけないと親にいわれていた。
子供ながら事情は知っていた。
その頃はそれなりにキレイにはなっていたけども、少し前はバラック屋根とトタンで出来た家が無造作に立ち並んでいたそうだ。
写真でも見たことがあるが、いわゆるスラム的な地域だそうだ。

でも今はふつうに夜に歩いていても不安な感じは全くしない。
確かに街灯が少ないなぁ…的な雰囲気はあるんだけども、いきなり襲われそうなあの怖い感じはなく、むしろ道も綺麗で歩きやすかったり。

これは果たして良くなったのだろうか。

たぶん良くなってるんだと思う。
世の中は少しずつでも良くなっていると思う。

昭和時代と令和時代。

比べるとどうだろう。
よくなってるんだろうか。
何がどう変わったんだろう。

思ったのは、いろいろと「キレイ」になったなぁと。

秋葉原駅前の写真を見たことがある。
わたしはダイビルのイメージがアキバなんだけども、バスケットコートがあった時代と比べてどうだろう。
キレイになった。と思う。

まぁ言いたいのは、古さや郷愁を大切にみたいなことじゃなくて、果たしてキレイにすることが本当にいいことなんだろうかってことだったりします。

なんでもかんでもキレイにし続けた結果、ちょっとした汚れすらも見逃せない潔癖になってんじゃないかなぁと感じることがよくあります。
なんか「雑さ」を許せない世の中になってる気がする。

ちょっとしたことでピリピリしちゃうヒステリックな感じがどうしても拭えない。

さらに言えば、見た目さえキレイだったらそこが「正解」として受け入れられてしまって、本質を見逃してしまうんじゃないかという危惧。

極端だと思う。

キレイならOK。

物事を単純に捉えたい人からすればこれは楽だろう。

だけど、わたしみたいな人間からするとこれが違和感。

自然じゃない。

不自然なんだ。

この不自然な感じがどうしても目についてしまう。

今回はこの辺で終わるんだけども、この件に関しては言いたいことが山ほどあるので小出しで書いていこうと思います。

どうです?
なんか思いません?
変な感じだなぁって。

小綺麗なだけで中身が伴ってない気がする。
成長してない様に思う。

だけどキレイだからOK。

これ怖くない?

初めての続き物だけど、またよかったら読んでやってください。

それでは、また。


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