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たまったら吐き出しゃいいねん。ネットってそういうとこや論
おはようございます。
むき出しの悪意ってのは、ネットに触れ始めてから数多見てきた。
リアル社会では、そういう「ホンネ」といいますか、「ぶっちゃけ」といいますか、「ここだけのはなし」といいますか、いろんな形でオブラートにくるまれながら、逃げ道を用意した上で、慎重に語られることはあっても、直球で相手に向かって、「死ね!」と言ってるシチュエーションってのに出会うことはまま稀であったりします。
これは、「その後」ってのが関わってくるわけで、言ったはいいけども、その場はスッキリしようとも、その言動によって、後に様々な弊害が生まれる可能性を秘めています。
「あいつやばいやつだわ」と思われたりするわけです。
なので、基本的にみんな、「比較検討した上での発言」ってのを心がけます。
「勢い余って言ってしまった」ってこともありますが、そのシチュエーション次第では、「あれは仕方ないよ」とか、「気持わかるよ」という、上場酌量の余地を見いだせる場合もあって、結局は、その発言事態が問題というわけではなく、その場面に居合わせた人たちの気持ちってのが大いに関わってきます。
リアル社会では、関わってきた人達と培ってきた関係性が、自分の発言に影響を与えるわけですね。
わざわざ改めて言うことではなかったんだけども、一応定義づけ的に。
一方、ネットっていうサイバーなスペースを、別社会と考えているとか、勘違いしているとか、リアルと地続きであるということを理解していない人は一定数います。
異世界感覚ですね。
本来「比較検討した上での発言」を行うべきであるにも関わらず、「匿名という別人格(アバター)」として、何かあっても「アカウントを消せば済むだろう」的な、無責任であることに躊躇がない人が実在します。
ゆえに、リアル社会では見られない「言いたい放題の無責任な罵詈雑言が飛び交うエンタメ」が、巨大なコンテンツになっていたりします。
5chやヤフコメが、その代表格になるでしょうか。
今現在どういう意識が一般的なのかはわかりませんが、SNSが普及する前というか、スマホでネットが手軽になる前の時代は、5chみたいな巨大掲示板は、やばいやつの巣窟というイメージがあったと思います。
誹謗中傷しかないのではないか?くらいに思っていた人も多かったんじゃないかな?
SNSが一般的に普及して、「昼食なう」とか言ってた時代は過ぎ去り、すでにインスタに移行しちゃったけど、身元特定待ったなしみたいな写真を上げても、なんの問題もなかったあの頃の平和は無くなってきました。
人が増えればそりゃ仕方ないことなんですけども、民間防衛の観点から、匿名やぼかした形での投稿の方が、一般的になっていきます。
世の中にはガチでヤバい人ってのが一定数いますからね。
5chは、その場所にいかなければ基本的に目に入らない世界で、まぁまとめサイトとかで目にすることはあっても、普通に生活していたら、そこに並ぶ無責任な罵詈雑言と接することはありません。
ですが、今は生活にSNSが欠かせない時代になりつつあり、そういう無責任な罵詈雑言を目にしたくなくても、RTというプッシュ方法で目に飛び込んでくる可能性が飛躍的に上がりました。
どういう人をフォローしているかによって大きく変わりますが、基本的にそういう悪口を言う人は、同じく悪口をいう人をフォローし合う傾向ってありますよね。
「自分だけじゃないんだ」と思えますからね。
どこかで「自分は悪くないんだ」という気持ちに落ち着きたいからそうなるんだろうけども、同じ様な意識の人たちと集まって、井戸端会議の様にそこでコソコソと陰口を叩いているのって、それはもはや陰口になっていなくて、ホンネは、対象に意識して欲しいんじゃないか?構って欲しいんじゃないか?
ざっくり言えば、小学生が好きな相手にいじわるする的なあれかなと。
そこで、悪口の対象が自分たちと同じ様なタイプだと、激しく論争が始まったりします。
つか、つばの掛け合いですね。
本来ストレス解消のつもりでコソコソと陰口を叩いていたのに、それでは更にストレスが溜まりかねない。
そういうのってどんどんエスカレートしていく傾向があるから、いつしか、内紛が起こったり、目立ってる人に嫉妬した人が謀反を起こしたり、DMを晒したり、下手すると訴訟問題にまで発展する。
まぁ、特殊な事例だとは思いますが、悪口で集まったグループってのは、いつしか自分の身をも削りかねない諸刃の剣になりかねません。
とはいえ、個人的には、そういう悪口を言い合える相手がいるというのも、このギスギスした社会では、いいガス抜きになっていると思います。
ただ、わたしが懸念するのは、自分の思ったことを好き勝手に言い放題だったことに意味を見出していたはずなのに、いつしかグループの中で、同調することが前提になってしまって、自ら発言を縛る事になったら本末転倒になってしまう、ということです。
これは空想です。
あるグループAとあるグループBが口論しているとします。
口論が白熱して、そこでAの一人が、「さすがにそれはいいすぎだわ…」っていう事をツイートしました。
Aのメンバーが「それはないわ。訂正して謝罪した方がいい」と助言します。
それに対して「あなたの言う通り。そうするね」と、訂正謝罪ツイートをしました。
さらにそれに対して、Bのメンバーが晒し上げして、過去のツイートをも蒸し返して、グループB全体で総叩き。
そこにはもはや人権などありません。
なぜならば「あいつは罪を犯したから」です。
しかし、そこでは誰もそのエスカレーションしていく人権無視を止めようとしません。
むしろ激しくなるばかり。
耐えかねたグループAが、「やりすぎだろ」と止めに入ります。
それがまた火種となって、さらに争いは激化していきました。
そういう争いが何ヶ月も続き、さすがにグループBの中にも、やりすぎだと思う人がちらほらと出てきます。
しかし、もし仲間に「口答え」をしようものなら、「敵認定」されて、グループAと同じ扱いになってしまうかもしれない。
いつしか出来上がった「空気」に「合わせること」しか出来なくなり、本来の「言いたいことを言う」という目的が、果たせなくなってしまいました。
そうやって、ひとり、またひとりと、グループBから人がいなくなっていきましたとさ。
こういう事例は、SNS時代以降の話じゃないですよね。
ご近所さんの付き合いとかでもあるんじゃないかな?
今どきはしらんけど。
この事例からわかることは、ある一定の人が集まる場所では、いかにネットであろうとも「比較検討した上での発言」ってのが求められる様になるということです。
そこから逸脱した場合、爪弾きにされかねません。
しかしながら、「ギリギリを攻められる人」ってのが目立って見えてしまうのも常で、まぁ、高校デビューならぬネットデビューを果たした人には、キラキラと輝いて見えてしまっても仕方ありません。
ゆえにわたしは思うのです。
とりあえず「たまったら吐き出しゃいいねん」
と。
それが等身大の自分です。
さっきのグループBの人たちに無かったのは、自分を貫き通す意思です。
本来の目的であったと「思っていた」、「自分の言いたいことを言う」というのは、実は建前で、本当は「寂しさを埋めるために群れたかった」だけじゃないかと。
だから好きな子にいじわるをするみたいなグループに入ったんじゃないかと。
一方グループAは、言いたいことを言い合える場が作られていた。
ゆえに、たまったことを吐き出せるから、みんなにとっていい環境として存続した。
そんな感じじゃないかな。
まぁ、これを言ったら元も子もないんだけども、ネットに慣れてないと、さじ加減ってのがわかんなくて、結構失敗しちゃうものです。
でも、そこでそれをあげつらうのは、同じくネット初心者がほとんどだったりします。
なので、そんなに気にしなくてもいいと思います。
よほどの世間知らずでない限り、悪口だけ言い続けても満たされないってことに気づきますからね。
今そう思うなら、ズバッと思ったことをいったらええねん。
そうやって人は成長する。んだと思います。
しらんけど。
それでは、また。
ありがとうございます! 支援はすべて本に変わりまする。