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【朝の会】世が求めるものを考えてみた - 00030

おはようございます。

今日も徹夜明けの朝となりました。
日曜なのにまた昼くらいに眠くなるんだろうなぁ、と思いつつ、とりあえず今日は何をしようかと考え中です。

さて、今日は何書こうかなぁ。

今なにが求められてるかってのを考えてみよう。

自分が欲しい物ってすぐに思いつくんだけど、世がいったいなにを求めてるのかって、あまり考えたことなかったなぁ。
わたしが欲しいのは時間。
一日365時間欲しいとかそういうのもあるんだけど、それじゃ別に寿命が長くなるわけじゃないし、細胞は時間とともに衰えていくわけだから、やっぱり時間を効率よく、さらに高濃度で使う方法が知りたいです。

ここまで書いて、あー、これ話広げるの無理があるなー、と思ったのですが、こういうのをどういう風に広げていけるか試してみようと思います。

求められるってことは、足りない、だったり、欠けてる、だったり、交換したい、だったり。

今ある現状を変えたいというところから来るのかな?

つまり変化?

でもなー、無いものを欲しがる人ってのもいますよね。
たとえば万能の神とか、不老不死の薬とか、注いでも減らない響12年モノとか。

どれだけがんばっても無理ってわかってても欲しがるのってどういうモチベーションなんでしょうね。
もちろん絶対叶えたい夢とか、今の自分の立ち位置からは到底無理と思えるところを目指すってのは別ですよ。

話変わってきちゃったな。

モヤモヤするな。

そもそも求めるってどういうことなんやろ。

なんで自分で変えようとしないのかな。

待ちのスタンス?

たとえば、救世主が待たれる、みたいなマンガありますよね。
なんで自分がそれになろうとしないのか。
それだけ望むのであれば、自分がなるのが一番手っ取り早いんんじゃないのかな。

いや、違うか。

年齢で出来ないこともあるし、これこそ環境次第とか。
いや、そもそも、その叶わないものを求めるという行為に意味があるのかも?

わからん。

ちょっと考えたけど、その意味を見つけるのはすぐには無理そうです。

ふーむ。

どうしても自分で動いたほうが早いと思ってしまう。

なんの話だったか思い出せないけど、切り株にぶつかって倒れてたうさぎを見つけた猟師が、2匹目のうさぎをずっと待ち続けてる。

こんな感じに見えちゃう。

まーちょっとね、思うところあってこういう発想にすぐ結びついちゃうってのもあるんですよね。

せっかくだからその話しよ。

世の中に4つの助があるって話です。

その4つとは、自助・互助・共助・公助。

それぞれの意味は漢字のとおりですね。

でね、共助ってのがおもしろくて、ぐぐったらわかりますけど、解釈がさまざまなんです。

公的機関がいう共助って、社会保障システムを指すのが多い。

でも、個人が発する共助って、災害のときとかに地域の人と助け合うって書いてたりする。

でもそれって、互助とどう違うんだろう?

互助は2人ってこと?

そんな定義ないですよね。互いに助けあうなら人数を限定する必要なんてないですし。


つまりは、共助ってのは、定義が決まってないんです。

なので、わたしなりの共助の定義ってのを考えてみました。

あくまでも今の段階でです。

もっといいのがあったらどんどんアプデしていきます。

共助、共に助け合う。

共って字にあまりいいイメージを持ってない人もいらっしゃるでしょうね。

ちょっと穢された感じありますけど、ここでは置いといて。

共って、ひとまとまりの状態も指すんですよね。

互助の互って、ばらばらでもその場にいる人達を指しますよね。

共になると、ある集まりとして考えられるわけです。

「わたしどもは」みたいな。

共和国とかもそういう意味ですよね。

つまり、共助ってのは、「コミュニティー内での助け合い」っていう定義にしています。

いうなれば、身内、仲間内なんかで、常に助け合おうとする意識って感じですかね。

いまわたしが自分意外の人に求めてるのは、この共助しあえる仲間です。

おお、人に求めてるもの出てきた。

でも実際そうなんですよね。

ここ最近この手の話ばっかしてる気がするし。

ここらで「思うところあってこういう発想にすぐ結びついちゃう」の話に戻って、たまには不満を撒き散らそう。

このね、4つの助ってのを考えたのはね、公助の頼りなさを痛感したからなんですよね。

いや、政府を批判したいってのはちょっと違うんですよ。
もちろんそういう側面もあるんですけど、これまで、公助に頼りすぎてたのが、ここに来てコロナショックによって浮き彫りになったのかなと。

公助がなければなにも出来ないっていうのは、実際問題とても危険な状態だと思いませんか?
ある日突然頼れなくなった時、足元からガラガラと崩れ去ってしまう。
仮に自分ひとりはなんとかなったとしても、国民が大きくダメージを受けたら、そのまま国益にひびくわけで、いずれ自分にもそのダメージはやってくる。

その時、共助出来る場所が、あるか、ないか。

むしろ、無いとヤバいとすら感じています。

戦後恐れられ、有罪判決の後、葬られた、「言葉」がありますよね。

「八紘一宇」

なぜこの言葉が葬られたか。

この動画をみているみなさんなら、その理由は言うまでもないですよね。

ヤツラは、和の力を恐れたわけです。

つまり、和の力は、それだけ強力っていう裏付けでもあると思います。

その力を使わないのはもったいないと思うんですよね。

それに、日本人であることのポテンシャルって、教えられなくとも、古く長く途切れることなく続く日本文化のおかげで、和の感覚が体に染み付いていることだと信じています。

これを活かさない手はない。

たぶんこの和を上手に操れる人たちの集まりが、ひとつの大きな力となって、今後の日本の中心に躍り出てくる日も遠くないと思います。
その時に、わたしもその和のひとつになっておきたいなぁと。

今はまだだけど、きっと近いうちに、世にそういう場が求められるようになるのかなぁと思います。

まとまった?


今日もちょっと暑い感じですけど、それなら逆に汗をかく日に設定して、毛穴をリフレッシュしてやろうと思います。


みなさんのたのしいがクラスアップするように、万能の神にお祈りします。

ほのかでした。


それでは、また。

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動画版


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