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経団連人口問題委員会「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか」を読んで

こんにちは。

今回は、この記事を読んでから思ったことを。

ツイッターでも話題になっていて、わたしもそれで知ったんだけども、一般世間との価値観のズレというのがすごいんだなぁと感じた。

まぁ、これが結論なんだけども、せっかくなので紐解いてみる。

2020年の出生数は84万人まで減少しており、今後出生数が右肩上がりで増えることはない。

http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html

実際少子化問題というのは喫緊の課題で、高齢者が増え続ける一方、それを支える世代の実数は減り続けている。

今後、社会という土台を支えていく若者たちが、支えるということだけでも大変な未来がほぼ確定していて、自らの事は二の次にさせられてしまう可能性があるわけだ。

今の仕組みで言えば、社会保障費のためという名目の税を更に上乗せされて義務として徴収されるってことになりそうですよね。

実際すでになっていると言えなくもないけど。

日本の国民負担率は、50年余り前の昭和45年度には24.3%でしたが、高齢化に伴う社会保障の負担増加などにより、上昇傾向が続いています。

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/77828.html

まぁ、昔と比べて上がっているのはあたりまえで、数字だけ見れば何だこれ?と思うところはあるんですが、世界的に見るとまぁ、標準なんですよね。

問題は、その税の使い道。

果たして、がんばって社会を支えている世代に、これから頑張ってもらうべき若者に、還元されているのでしょうか?


子供を産むのは「ぜいたく」という風潮ってないですかね?

なんだか「ペットを買うのはぜいたく」みたいな空気を感じるのは、わたしだけでしょうか。

もはや富裕層の特権になりつつある気もしなくもない。

そもそもから、恋愛して、パートナーとと共に歩むという行為そのものすら、「選ばれし民」化している可能性すらある。

まぁ、その点に関しては、男性と女性というフラットな関係性が、なんだかへんな歪みを生み出してるナニカってのが大いに関係していると思うけども、やっぱり根本原因は、「そんな余裕ないし」ってことになるんじゃないかな?

マッチングアプリとかが流行ってるのも、「余裕のあるオス探し」みたいに、人生というMMORPGの中で、優位に立てる為のお供モンスター探しに近い感覚で、ステータスが高くて、見た目もカワイイ、自分にとって連れ歩くのにふさわしいキャラを探したい。的なところがあるんじゃないかな。

話はずれるけど、マッチングアプリについて面白いコラムがあるこの本は、全体的にオススメなので、是非読んで欲しい。
御田寺圭さんの「ただしさに殺されないために~声なき者への社会論」

話を戻して。

こんな過酷な世界の中で、子育てをするというのは、ある種の冒険である。

少子化が進む理由のひとつは、「無謀な賭けに出る」事を嫌っているということじゃないかな?

こんな記事を今日見たところ。

簡単に言えば、「息子がダメで人に自慢できない…そんなことで自分は大丈夫でしょうか?」という話。

むちゃくちゃな話なんだけども、これがこの人だけの特有の感覚なのか?と思えるところがある。

こういうのが仮に「あたりまえの感覚」として社会に蔓延っているとしたら、子供を育てるの怖いよね。無いと思うけど。信じたいけど。

ツイッタランドは動物園だけども、珍獣を見て楽しむつもりなら、こういう記事の人みたいな人を探すのに苦労しない。

たまたま目に触れるところにあるだけで、実際は同じ様な「悩み」を抱えている人は多いと思う。

奥さん目線で言えば、「旦那」に対して、この記事と同じ感覚を持っている人、どれくらいいるでしょうかね?

これって、コミュニケーションという社会で必要なスキルが、ある意味で複雑になりすぎて、自分で考えるだけじゃどうしようもなくなってしまったという現実が、叫びとなって表れていると言えるんじゃないかな?

社会と自分っての間に、折り合いがつかないまま、なんとなく合わせて生きてきたら、自分という人間の「自尊心」を失ってしまった。

これまでは、自分がリアルで生きていて観測できる周囲と、テレビの中の遠い存在くらいしか、自分と「比較」する対象が無かったけども、SNSの普及によって、リテラシーを鍛えないまま、一気に社会との距離感が縮まった。

それによって、比較する「身近な人」がとんでもなく増えてしまい、自分という人間の「自尊心」を保つ事が出来なくなってしまった。

常に誰かと比較して「幸せ」を感じる。
常に誰かと比較して「裕福」を感じる。
常に誰かと比較して…

この記事で、

「私たちの実験の中では、他人に比べてどれだけ裕福かの方が、絶対的な豊かさよりも重要視されました。人々は、明らかに自分たちが利益を得る場合でさえ、相対的な優位性の損失を絶対的な損失とみなすのです」

https://gigazine.net/news/20220510-reducing-inequality/

とあるんだけども、自尊心を養えていないがゆえに、自分でなにが「いい」のかてってのを判断できなくて、実際はとても幸福な状態にあるはずなのに、他人と比べてしまってわざわざ「不幸だ…」となってしまう。

まぁ、この手の話は、諸説あるから何が正解とかわからん。

でも、生きていることだけでも精一杯な人たちからしたら、不安だらけで幸せを感じる余裕なんてないのかもしれない。

まぁ、道端に咲く花を見て、「生きていてよかったなぁ…」と感じられる事が、難しい社会なのかもしれない。

話を戻して。

本題の記事にこうある。

日本は、高齢化率が上昇する一方で、国際競争力はバブル経済のころをピークに低下してきた。また、非正規雇用が増加し、若者は将来に期待を持てなくなっている。

http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html

果たして、「正規雇用」=「将来に期待が持てる」なのか。

わたしには、もはやそうは思えない。

むしろ、いろんなキャリアを積める様に、転職しやすい環境を整えるべきと考えるし、プログラマーが、明日農家さんになりたいと思ったら、それを応援する社会的な後押しが必要な時代にフェイズは変わっているとすら考えている。

わたしからしたら、もうこの時点でズレていると思う。

続けて、

加えて、「男は仕事、女は家事」といった日本特有の制度・慣行・意識が大きく変わらなかった。娘の結婚相手の収入を気にする親も多く、「収入が相対的に少ない男性が結婚相手として選ばれない」という事実がある。少子化対策として保育所を増やしても、収入が不安定な男性の結婚は増えない。

http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html

日本特有の風習に対して、むりやり「ディスインフォメーション」を行った結果が、社会に不均衡を起こさせているのではないか。
一大キャンペーンを起こして、ウーマンリブを掲げた結果、アメリカではどうなったかは、歴史を見れば明らかだ。

まぁでも、社会に出て働きたいという女性にとってプラスに働いたのは事実。家にずっといてもストレスが溜まるだけの人もいるわけだしね。


収入が不安定なのは、労働者を雇う側が不安定なのだから当たり前だ。

流行り病一発でこれだけ社会がガタガタになるという、現在のシステムの脆弱性を乗り越えない限り、この不安定な状態は続く。

あの一件で、正規雇用のどれだけが、身分を守られた?

そしてこれね。

欧米の少子化対策は、(1)一人暮らしが多く、結婚・同棲に経済的メリットがある(2)女性は差別されず、仕事で自己実現を求める(3)恋愛が盛んである(4)子育ては成人まで――の4点を前提としている。そのため、子どもを育てながら働き続ける条件を整えればよく、収入が不安定な男性でも結婚できる。
一方、日本では親と同居の独身者が多く、特に地方で女性差別的な慣習が残る。また、恋愛感情は重視されず、将来にわたり親に子育ての責任がかかる。このため、欧米のような両立支援だけでは効果的な少子化対策にならない。

http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html

これって統計で計っているのだろうか。

「特に地方で女性差別的な慣習が残る」ってホントなの?
どちらかというと女性を大事にしてるってイメージしか無いんだけども。
未だ女性はお茶くみみたいな話してるってことかな?
詳しく書かれてないから一概にいえないけど、ここってなんだか、庶民を上から目線でバカにしているようにも思えるのよね。
わたしの偏見ならいいんだけども。

最後にすごいのはこれね。

今後の少子化対策は、「収入が不安定な男性をどのように結婚までもっていくか、そのような男性と結婚しても大丈夫という女性をどう増やすか」にかかっている。

http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2022/0519_07.html

多分この結論に至ったのは、欧米はそれで上手くやれてるから、という根拠でしょう。

日本にそのままの「仕組み」を持ってきて、ただインストールすればうまくいくって考え方、なんだか福沢諭吉先生が事あるごとにキレていた、欧米至上主義者の思考停止にも似たモヤモヤ感が残る。

少なくとも日本の経済の先頭を走って引っ張っている人たちの言葉とは思いたくない。

そもそもこれ、だいぶ女性に対して失礼なんだよね。

ルサンチマンなめたらあかん。


まぁ、いうてこの方の言ってることもわからなくもないんですよ。
実際少子化に対して真剣に向き合ってくださっているわけだし、ちゃんと対策しておかないと、わたしたちが今後高齢化した時に痛い目をみるわけで。

本来は応援しなきゃいけないと思う。

ただ、どうしても「世間一般との価値観がズレてる」と思ってしまう。

この記事を見て、世間一般はこう感じただろう。


それでは、また。

あ、経済立て直して、みんなの財布に余裕できたら少子化対策出来ますよ。


※追記

読んだ方から、「女性が働くより、男性が稼いでくるほうが健全だ。」
という事を言われて、それは家族で決めたらいいって話をしたんだけども、たしかにこの文章だと、女性が働いた方がいいという意味で捉えられかねないと思ったので、追記しておきます。

ここで言いたかったのは、「結婚=子供を産む」につながるには、経済的余裕が必要という事でしかなく、女性が働く事についての言及はウーマンリブの部分だけのつもりでした。

せっかくなので、その点を一言。
個人的には、女性の中に「多くの才能が埋もれている」にも関わらず、それを掬い上げきれていない事が「日本の生産性の相対的低下」につながっていると思っています。
東大ですら、未だ20%の女性率。
先進国のSランは、ほぼ50%。

これは、高学歴で卒業したところで、採用される場がまだ無いことにあるからです。
ジェンダー問題を「性的なもの」と未だに思っている人が多いのも、日本のジェンダー意識の啓蒙が足りていない部分であるでしょう。

そして、労働力としての人材という意味では、「定年システム」も問題です。
まだまだ活かせるはずの技術や才能、そして経験を抱えたまま、年齢という数字だけで切り捨ててしまうというそのシステムは、高齢化社会であることを真っ向から否定する悪習とも言えます。

建前上「新陳代謝」とか「人件費の問題」とかあるんでしょうが、結局それで「生産性」が上がらないだけでなく、高齢者の生きがいをも奪っています。
これからの若者と、経験豊富な高齢者とのコミュニケーションのきっかけを奪っていることも勿体ない。

これら、「女性と高齢者」そして、これからの子どもたちへの「投資」が積極的になされないままの今、日本の生産性は下がり続け、結局、社会に還元されないまま、既得権益者のところばかりに金が周り、相対的に「経済的貧困」の状態に落ちる一方であると思います。

もちろんこれだけが理由ではありませんが、本題の記事の様に、「低所得者でも結婚してもらえる女性を作ろう」みたいな発想で、少子化が解消されるとは思えないって感じです。

とはいえ、正直人多すぎってのもあると思いますよ。
少子化問題を騒ぐ本当の理由は「社会保障の財源が足りなくなる」っていう危機感なんじゃないかな?
それ、若者に押し付けるつもり?って話。

ありがとうございます! 支援はすべて本に変わりまする。