生き方とは。

母が、がんになった。
10年ぶり、2度目である。
10年前は、私は都会で暮らしていたのと、転移がないことを聞かされていたのと、母が今よりは若かったし、しこりを見つけはしたが、症状がなかったのを聞かされていたので、帰省すらしなかった。
今回は、わけが違う。
私もUターンして6年目、当然病院には、検査も含めて妹と手分けして付き添ったし、状況を直接先生から聞くことになった。
多発転移で、ステージ4、手術適用ですらない。
化学療法を行うとのことだけれど、調べた限りでは、あと5年生きるのは難しいのだろうな、と思っている。

しかし。
悲しい、という気持ちは、今のところない。
痛みや色々で、できるだけつらい思いをしなければいいな、とは思うが、治療については母の思うようにすればよいと思っているし、もう嫌だと思えば辞めればよいと思っている。

とても優しい妹は、一人で暮らせなくなる前に、自分の家に連れてくるつもりだが、彼女の家には子供がたくさんいて、もし母があの家に暮らすことになれば、落ち着かないだろうなというのが良く理解できるし、母は子供たちにぶつかられて骨を折ったこともあるのが現実としてあり、ずっと、母と私は、あの家では暮らせないよね、と話していたこともあって、弱ってしまったとして、本当に母はそれでよいのかな、と思っている。
私が出張の多い仕事というのもあって、世話をしてあげられない現実はあるので、口出しできないのもあるけれど。
それを思いながら、私はどうやって死にたいのだろうな、と考える。思い通りにならないのは理解しているが、考えることは必要と思う。

そもそも私は、心配されることが極端に嫌いなので、可能な限り自分で生活したいし、事故や突然死は、まだ諸々の対応ができていないこともあって嫌だけど、余命を見据えて生きるのは悪いことではないと考えている。だから、できれば頭がしっかりしている状態で、恐怖も含めて感じた上で死にたいと思っているのだけど、そういう風に考える人は少数なのかしら。
父は、認知症でがんを発症して、手術、再発を経て亡くなったのだけど、母は頭がしっかりしているからかわいそうだと妹は言う。彼女は父のようにわからない状態で死にたいというのだけど、私は全く逆で、自分の余命を知って、残りの人生について考えたいし、その結果としての行動をしたいという考え方なので、理解できずにいる。母は、どう思っているのだろう。なんとなくではこういう話をしていたけれど、現実が目の前にあると話しづらくて困るな、というのが正直な思いなのだ。

本当の気持ちを言うのは難しいが、聞くのはもっと難しい。病気をする前と病気が分かった今とでは、母の考えは変わったのかもしれないし、変わっていないのかもしれない。私は母ではないから、わからないのは当たり前で、本人に聞くしかないのだけれど、なかなか聞きにくい。親の病気に直面して困るのは、こういうところもあるのだなと実感した出来事で、入院期間が一応1か月なので、その後、どうなっているんだろうなどと思う。
全てはなるようになるし、なるようにしかならないのだとは思うけれど。


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